『Talkingアスカ』(ピュアフル文庫、2007)所収。本の後ろのほうを見ると、初出は今はなき文芸誌『海燕』の1996年1月号とのことで、それほど新しく書かれた小説というわけではないようだ。――これもネタバレせずには感想が書けないな(すみません、以下ご注意ください)。
同じ授業を受けている男の子に注意されてまでも、主人公の「私」(私立文系?コース所属)が窓から眺めているのは、病院の屋上。そこにはしばしば身を乗り出して鉄柵をいまにも乗り越えてしまいそうな人が現れる。きっかけがあって会いに行くと、その人(男)は同じ歳の大学生であることがわかる。ひと言で言えば、ガール・ミーツ・ボーイな話というか、そんな感じです。
この主人公は、なんていうか、ずるさ、みたいなものはあまり感じないのだけれど、言動がちょっと中途半端な印象を受ける。勉強を放棄しているわけではないし、本人が死にたいみたいなことを言っているわけではないし…。とりあえず、全体的に「息苦しさ」というか、閉塞感みたいなものは伝わってくるかな。ただ、それも、「予備校生は授業が終わればそれぞれ好きなところへ散っていけるが入院患者はそうではない」(p.128)とのことで、病院に入院している「彼」ほどではないらしい。直接的に言ってしまえば、やっぱり本人も飛びたい(飛びたかった)のだろうか。
こういう人たちには、だから豊島ミホの「青空チェリー」(特に最後の会話部分)がお薦めなんだけれど、読めるわけがないっすね、はい(汗)。「私」のその後は、ちょっと心配である。けれど、心の傷は傷として、大学にはふつうに勉強してふつうに合格したのではないか、と思えなくもない。
この小説、季節がいまいちわからない。大学生なら夏休み、それより前であるというなら、6月くらいになるか。6月であれば1ヶ月くらい経過しても、まだぎりぎり通常授業でも(夏期講習になっていなくても)不思議ではないかな。ただ、6月・7月にしては屋上がけっこう冷えるみたいだし、7月にしては世界史の授業がやけに進んでいるような気もする。
同じ授業を受けている男の子に注意されてまでも、主人公の「私」(私立文系?コース所属)が窓から眺めているのは、病院の屋上。そこにはしばしば身を乗り出して鉄柵をいまにも乗り越えてしまいそうな人が現れる。きっかけがあって会いに行くと、その人(男)は同じ歳の大学生であることがわかる。ひと言で言えば、ガール・ミーツ・ボーイな話というか、そんな感じです。
この主人公は、なんていうか、ずるさ、みたいなものはあまり感じないのだけれど、言動がちょっと中途半端な印象を受ける。勉強を放棄しているわけではないし、本人が死にたいみたいなことを言っているわけではないし…。とりあえず、全体的に「息苦しさ」というか、閉塞感みたいなものは伝わってくるかな。ただ、それも、「予備校生は授業が終わればそれぞれ好きなところへ散っていけるが入院患者はそうではない」(p.128)とのことで、病院に入院している「彼」ほどではないらしい。直接的に言ってしまえば、やっぱり本人も飛びたい(飛びたかった)のだろうか。
こういう人たちには、だから豊島ミホの「青空チェリー」(特に最後の会話部分)がお薦めなんだけれど、読めるわけがないっすね、はい(汗)。「私」のその後は、ちょっと心配である。けれど、心の傷は傷として、大学にはふつうに勉強してふつうに合格したのではないか、と思えなくもない。
この小説、季節がいまいちわからない。大学生なら夏休み、それより前であるというなら、6月くらいになるか。6月であれば1ヶ月くらい経過しても、まだぎりぎり通常授業でも(夏期講習になっていなくても)不思議ではないかな。ただ、6月・7月にしては屋上がけっこう冷えるみたいだし、7月にしては世界史の授業がやけに進んでいるような気もする。
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