山田太一 『岸辺のアルバム』
2007年2月18日 読書
光文社文庫、2006。山田太一というとTVドラマの脚本家というイメージが強くて(『ふぞろいの林檎たち』とか)、この小説も脚本(シナリオ)を膨らませたようなTVドラマのノベライゼーションか何かと思っていたら、後ろの「解説」(奥田英朗)によれば、昭和52年(1977年)にTVドラマ(連続もの)が放送される前年(つまり1976年)から新聞で連載されていたものらしい。後ろのほう(奥付の前の頁)を見ると、単行本は東京新聞出版局から、文庫はいちど角川文庫から出ている(単・1977/文・1982)。※以下、ネタバレというか内容も書いてしまいますので、読まれていない方はご注意ください。
東京は多摩川沿いに暮らす家族4人(田島家)の話。10年くらい前に建売で購入した家の1階からは土手が、2階からは川が見える。番号は付いていないけれど、数えてみると全部で23の章(というか節というか)に分かれている。違う章もあった気がするけれど、ほとんど、1つの章が1人の視点で(3人称で)書かれている。前半には専業主婦である妻/母(則子)の視点が多く、最後のほうでは会社に勤める夫/父(謙作)の視点の章も出てくる。大学生の娘/姉(律子)の視点はいちばん少なく、一方、高校生の息子/弟(繁)の視点は3分の2くらいまで多い。
“ドラマ”はあるようでないし、ないようでけっこうあるし……。もちろん(?)ここでは繁くんに注目したいわけだけれど、家族の問題、家族が崩壊するような危機的な問題が出てきてしまうと、さすがに大学受験どころではなくなってしまう模様。私立文系、三流大学を3つ受けて全滅する。試験まであと2ヶ月ちょっとというときに、母親が浮気をしているのではないかと調べて回ったり(で、実際にしているわけだし)、3つめの大学を受ける5日前には、姉を強姦した外国人……じゃなくてそれを斡旋したというか手引きした(元)恋人の外国人を殴りに行って逆に殴られたり(顔に痣ができる)、翌日(試験4日前)にはクラスメイトにお金を借りてまでしてワインや食べ物を用意して、母親の誕生日を祝いながら一家の関係を修復しようと思っていたら、痣を指摘されるなどして、父親から、受験前に何をしているんだ! と怒られてしまったり……。たんに高校1、2年のときの勉強が足らなかっただけかもしれないけれど、これではちょっと受かるものも受からない心理状態ではあるよねぇ…。しかも、かなり悲惨なことに、最後の合格発表で不合格がわかった日、すなわち浪人が決定した日(あとで会社の問題で苛々していたことがわかるけれど)父親から、家に帰るなり殴られる。繁くん、考えていることはまだ子どもでも、家族思いのいい子(いいやつ)なのに、かわいそうすぎる。
予備校には通うのだけれど、5月の第1日曜日の翌日(ということは、第1か第2の月曜日に)、母の問題と姉の問題(お姉さんはさらに妊娠発覚に堕胎手術)に加えて、父親が会社で、傾きかけた会社のために人には言えないような仕事をしていたことがわかって、繁くん、ついにキレる! 家を飛び出して、おそらくそれ以降は学校には通っていないものと思われる(まだ5月上旬なのにね…)。結局、ハンバーガー屋で働いていたことがわかるのだけれど。そういえば、浪人生をドロップ・アウトするような小説ってあまり読んだことがない気がする(たくさんありそうだけれど)。
ところで、父親(謙作)は大学を出ているらしいのだけれど、父親が大学を出ている場合、大学に入ることが当り前、という考え方を持っていたりして、それはそれで、息子にとってはプレッシャーになってしまうのかもしれない(この小説ではあまり関係ないみたいな感じだけれど。自分と父親を比較している場面はあまりなかったかと思う)。――あらっぽく整理すれば4通りのパターンがあるのか。
(1) 自分は大卒ではないため、会社や社会で苦労した。
→息子には大学に入学して欲しい。
(2) 自分は大卒ではないけれど、会社や社会で苦労した。
→息子には大学に入学して欲しくない(?)。
(3) 自分は大卒であるため、会社や社会で楽をした/損をしなかった。
→息子にも大学に入学して欲しい。
(4) 自分は大卒ではあるけれど、会社や社会で楽をした/損をしなかった。
→息子には大学に入学して欲しくない(?)。
(2)と(4)の場合は「けれど」(逆接)であるよりも、要するに大卒かどうかが会社などでの苦労とは無関係、という感じかもしれない。その場合、息子はわりと自由に振る舞える……のかな? いまどき大学くらい、みたいな父親であるとまた違うか。
1ヶ月くらいしか通っていない予備校は、高田馬場(あれ、新宿か? ――どっちでも同じか)。作中の時代はたぶん、書かれた時代の1976年から1977年にかけて、または、最後のあたりで「家」に対して起こる出来事が、実際に起こった出来事を基にしているらしいので、1976年以前のいつか(調べればわかるかと)。コーヒー1杯が250円、という物価。
[追記(2016.08.31)]初出に関しては、単行本(図書館本。東京新聞出版局、1977.5)の奥付の前のページに次のように書かれている。<東京新聞/中日新聞/北陸中日新聞/北海道新聞連載 ’76・12・15~’77・5・27>(説明がしづらいんだけど、「東京新聞/中日新聞」と「北陸中日新聞/北海道新聞」のところは2行を使って書かれていて、その下の「連載 ~」に対して角書きのようになっている)。1976年からといっても12月の中頃からだったのか。で、半年弱くらいの連載になるのか(新聞休暇日も少しあっただろうし)。
東京は多摩川沿いに暮らす家族4人(田島家)の話。10年くらい前に建売で購入した家の1階からは土手が、2階からは川が見える。番号は付いていないけれど、数えてみると全部で23の章(というか節というか)に分かれている。違う章もあった気がするけれど、ほとんど、1つの章が1人の視点で(3人称で)書かれている。前半には専業主婦である妻/母(則子)の視点が多く、最後のほうでは会社に勤める夫/父(謙作)の視点の章も出てくる。大学生の娘/姉(律子)の視点はいちばん少なく、一方、高校生の息子/弟(繁)の視点は3分の2くらいまで多い。
“ドラマ”はあるようでないし、ないようでけっこうあるし……。もちろん(?)ここでは繁くんに注目したいわけだけれど、家族の問題、家族が崩壊するような危機的な問題が出てきてしまうと、さすがに大学受験どころではなくなってしまう模様。私立文系、三流大学を3つ受けて全滅する。試験まであと2ヶ月ちょっとというときに、母親が浮気をしているのではないかと調べて回ったり(で、実際にしているわけだし)、3つめの大学を受ける5日前には、姉を強姦した外国人……じゃなくてそれを斡旋したというか手引きした(元)恋人の外国人を殴りに行って逆に殴られたり(顔に痣ができる)、翌日(試験4日前)にはクラスメイトにお金を借りてまでしてワインや食べ物を用意して、母親の誕生日を祝いながら一家の関係を修復しようと思っていたら、痣を指摘されるなどして、父親から、受験前に何をしているんだ! と怒られてしまったり……。たんに高校1、2年のときの勉強が足らなかっただけかもしれないけれど、これではちょっと受かるものも受からない心理状態ではあるよねぇ…。しかも、かなり悲惨なことに、最後の合格発表で不合格がわかった日、すなわち浪人が決定した日(あとで会社の問題で苛々していたことがわかるけれど)父親から、家に帰るなり殴られる。繁くん、考えていることはまだ子どもでも、家族思いのいい子(いいやつ)なのに、かわいそうすぎる。
予備校には通うのだけれど、5月の第1日曜日の翌日(ということは、第1か第2の月曜日に)、母の問題と姉の問題(お姉さんはさらに妊娠発覚に堕胎手術)に加えて、父親が会社で、傾きかけた会社のために人には言えないような仕事をしていたことがわかって、繁くん、ついにキレる! 家を飛び出して、おそらくそれ以降は学校には通っていないものと思われる(まだ5月上旬なのにね…)。結局、ハンバーガー屋で働いていたことがわかるのだけれど。そういえば、浪人生をドロップ・アウトするような小説ってあまり読んだことがない気がする(たくさんありそうだけれど)。
ところで、父親(謙作)は大学を出ているらしいのだけれど、父親が大学を出ている場合、大学に入ることが当り前、という考え方を持っていたりして、それはそれで、息子にとってはプレッシャーになってしまうのかもしれない(この小説ではあまり関係ないみたいな感じだけれど。自分と父親を比較している場面はあまりなかったかと思う)。――あらっぽく整理すれば4通りのパターンがあるのか。
(1) 自分は大卒ではないため、会社や社会で苦労した。
→息子には大学に入学して欲しい。
(2) 自分は大卒ではないけれど、会社や社会で苦労した。
→息子には大学に入学して欲しくない(?)。
(3) 自分は大卒であるため、会社や社会で楽をした/損をしなかった。
→息子にも大学に入学して欲しい。
(4) 自分は大卒ではあるけれど、会社や社会で楽をした/損をしなかった。
→息子には大学に入学して欲しくない(?)。
(2)と(4)の場合は「けれど」(逆接)であるよりも、要するに大卒かどうかが会社などでの苦労とは無関係、という感じかもしれない。その場合、息子はわりと自由に振る舞える……のかな? いまどき大学くらい、みたいな父親であるとまた違うか。
1ヶ月くらいしか通っていない予備校は、高田馬場(あれ、新宿か? ――どっちでも同じか)。作中の時代はたぶん、書かれた時代の1976年から1977年にかけて、または、最後のあたりで「家」に対して起こる出来事が、実際に起こった出来事を基にしているらしいので、1976年以前のいつか(調べればわかるかと)。コーヒー1杯が250円、という物価。
[追記(2016.08.31)]初出に関しては、単行本(図書館本。東京新聞出版局、1977.5)の奥付の前のページに次のように書かれている。<東京新聞/中日新聞/北陸中日新聞/北海道新聞連載 ’76・12・15~’77・5・27>(説明がしづらいんだけど、「東京新聞/中日新聞」と「北陸中日新聞/北海道新聞」のところは2行を使って書かれていて、その下の「連載 ~」に対して角書きのようになっている)。1976年からといっても12月の中頃からだったのか。で、半年弱くらいの連載になるのか(新聞休暇日も少しあっただろうし)。
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