読み方は「セブン」。角川ホラー文庫、2002。毎度のことですが、※以下、ネタバレしているのでご注意ください。――ひと言で言うと、女の子っぽくない女の子が自分が女の子であることを認める物語、である……違うかな、違うような気がするけれど、そう言ってしまってもさほど間違いではないような気もする。文章、文体はごてごてしていなくてわりと好きかもしれないけれど、物語(ストーリー)があまり面白いと思えなくて。展開もいまいちだと思ったし、あまり深みもなかったような。私はホラー小説をほとんど読んだことがないのでわからないけれど、いちおうホラー小説らしいです。
主人公の長谷川那津は、前の週から家に戻らない大学生の兄貴(聡史)を探すため、事情を知っているらしい史学科の(元?)彼女(柳亜希子)が発掘調査に訪れているらしい山口県に行くことに。本人は行きたくはなかったのだけれど、自分よりも兄をかわいがっている母親に懇願されて(帰りに京都でも観光してくれば、みたいなことも言われて)しぶしぶ行くことに。行ってみたところ、彼女は出土した、北斗七星の力を宿すらしい「七星剣」を盗んでどこかへ去ったあと。その共犯であるとの言いがかりを付けられ、追われていたところを、出会った父子(体格のよいお坊さんと茶髪にピアスの若者)に助けられて、彼らと行動をともにすることになる。――内容紹介はこれくらいで。というか、粗筋をまとめるのがいっこうにうまくならない(涙)、誰かこつを教えてくれないかな。
表紙カバーの紹介文には「浪人生の」という形容がなされているけれど、主人公なっちゃんは大学に落ちてまだ日が浅い、最後の部分を除いて予備校が始まる前(3月くらい)の話なので、浪人生といってもまだ本格的な浪人生というわけではない。でも、それで正しいというか、ほかの小説もいくつか読んで思うのは(小説ではいまいち説得力がないけれど)やっぱり、浪人というのは、入学するつもりがあった大学をすべて落ちた時点から始まるみたいである。要するに予備校開始の4月からではなくて、浪人決定時点が浪人開始時点でもある、というか。(いちおう挙げておいたほうがいいかな、例えば、橋本治『その後の仁義なき桃尻娘』の最初のあたりなど参照。)
そんな浪人生のなっちゃんは、髪はショートで化粧なし、スカートではなくジーンズをはくというように、女の子っぽくなく設定されているのだけれど(そんなに男の子っぽくもない気がするけれど)、これは小説的には1つの手段なのかもしれない。というのは、浪人の世界は男の世界である、浪人生と言えば男(の子)みたいな社会的なイメージがあって(ありませんか?)、女の子の浪人生を描くさいに手っ取り早いのは、男の子っぽく描いてしまう、みたいなことになるのではないか、邪推であるけれど。(例えば、のちのち取りあげられたら取りあげたいけれど、乃南アサ『あなた』の美作とか、藤野千夜「午後の時間割」のハルコとか、小室みつ子『彼女によろしく』の奈々緒とか。)ただ、そう考えると、那津は高校のときからショートカットだったりするわけで、時間的・設定的なねじれが――男の子っぽいから浪人する、みたいなおかしな理屈が――生じてしまうかもしれない。
でも、この小説、ジェンダー的に見るとけっこう疑問が湧いてくる。「男らしさ/女らしさ」とは何か、というのはとりあえず措いておくとして、例えば、母親が妹の自分よりも兄のほうをかわいがっている理由は、別に自分が女で、兄が男だからというわけではないようだし、自分には兄貴風を吹かせていた兄は、同じ女である亜希子には奴隷のように扱われていたわけだし。男&男である父子(常元親子)と出会ったりするのは、考えてみれば何か意味があるのかもしれないけれど、そうではないみたいなことも書いてあるし。――要するにジェンダー(性差)は別に関係がないようにも読める。それと(ちょっと話がずれるけれど)、自分が男だからかもしれないけれど、女の子の成長って、男の子のそれよりもわかりにくい感じである。冒険をして成長、みたいな単純な描かれ方がされていないことが多い。でも、この小説もちょっとした成長小説、として読めなくもない。あまり関係ないけれど、そういえば、亜希子の背景ってほとんど描かれていないような。それが個人的にはちょっと不満かな。どうして「剣」に興味を持つようになったのか、もよくわからなかったし。
大学受験関係のところをもう少し。現役のときの第1志望は、昔から優等生だった兄が通っている大学なので、那津自身も平均よりは勉強ができるのかもしれない(そんなこともないか)。ただ、第1志望以外もすべて落ちた理由は「自分の学力を買いかぶり、狙いを絞りすぎた」(p.29)せいとのこと。狙いの絞りすぎ、というのは、偏差値的にもっと低いところも受けておけば、みたいなことかな(あと、学部・学科的なことも含むのかな)。「日本史は受験の必須科目」(p.63)とも言っているので、理系ではなく文系かもしれない(少なくとも私立理系ではないような)。卒業旅行は行かなかったらしい。引用しても大丈夫かな、
<大学合格した暁には、高校の同級生だった友人たちと遊ぶ計画も立てていたものの、いまは合格組の彼らと逢うのもつらい。むこうだって、気兼ねするだろう。/友人たちには、「うーん、暇にはなったんだけどね、家族の中でちょっと揉め事があって。ごめん、出られないわ。こっちのことは気にせず、みんなで楽しんできてよ」と告げて、旅行をキャンセルした。電話のむこうで、相手もホッとしたようだった……気の回しすぎかもしれないが。>(p.75)
友だちであれば一緒に行けなくて残念、な気持ちもあるはずだから、たんにほっとするよりも、複雑な気持ちのほうが強いのでは?(というのは、気の回しすぎか)。「家族の中でちょっと揉め事」というのは、嘘から出た真というか、お兄さんを探すはめになって、結果としてまんざら嘘にもなっていない。あと、「遊ぶ計画」であれば、これは別に卒業旅行というわけでもないのか。近場のどこかでカラオケとかボーリングとかを1、2時間、くらいな計画にしておけばよかったのにね。というか、それでは高校生のときと変わらず、卒業後の遊び(?)にならないのか。会うだけでもつらいのなら、いずれにしても断ってしまうかもしれないけれど。(浪人生は出てこない小説だけれど、堀田あけみ『さくら日記』という小説では、国立大学の入試が終わって合格発表がある前に――つまり受験勉強から解放されて、しかも合格組と不合格組が別れる前に――みんなでスキーに行っている。友達どうしが似たような日程で大学を受けるならそういうことも可能かもしれないけれど、ふつうは無理じゃないか、という気がする。)
主人公の長谷川那津は、前の週から家に戻らない大学生の兄貴(聡史)を探すため、事情を知っているらしい史学科の(元?)彼女(柳亜希子)が発掘調査に訪れているらしい山口県に行くことに。本人は行きたくはなかったのだけれど、自分よりも兄をかわいがっている母親に懇願されて(帰りに京都でも観光してくれば、みたいなことも言われて)しぶしぶ行くことに。行ってみたところ、彼女は出土した、北斗七星の力を宿すらしい「七星剣」を盗んでどこかへ去ったあと。その共犯であるとの言いがかりを付けられ、追われていたところを、出会った父子(体格のよいお坊さんと茶髪にピアスの若者)に助けられて、彼らと行動をともにすることになる。――内容紹介はこれくらいで。というか、粗筋をまとめるのがいっこうにうまくならない(涙)、誰かこつを教えてくれないかな。
表紙カバーの紹介文には「浪人生の」という形容がなされているけれど、主人公なっちゃんは大学に落ちてまだ日が浅い、最後の部分を除いて予備校が始まる前(3月くらい)の話なので、浪人生といってもまだ本格的な浪人生というわけではない。でも、それで正しいというか、ほかの小説もいくつか読んで思うのは(小説ではいまいち説得力がないけれど)やっぱり、浪人というのは、入学するつもりがあった大学をすべて落ちた時点から始まるみたいである。要するに予備校開始の4月からではなくて、浪人決定時点が浪人開始時点でもある、というか。(いちおう挙げておいたほうがいいかな、例えば、橋本治『その後の仁義なき桃尻娘』の最初のあたりなど参照。)
そんな浪人生のなっちゃんは、髪はショートで化粧なし、スカートではなくジーンズをはくというように、女の子っぽくなく設定されているのだけれど(そんなに男の子っぽくもない気がするけれど)、これは小説的には1つの手段なのかもしれない。というのは、浪人の世界は男の世界である、浪人生と言えば男(の子)みたいな社会的なイメージがあって(ありませんか?)、女の子の浪人生を描くさいに手っ取り早いのは、男の子っぽく描いてしまう、みたいなことになるのではないか、邪推であるけれど。(例えば、のちのち取りあげられたら取りあげたいけれど、乃南アサ『あなた』の美作とか、藤野千夜「午後の時間割」のハルコとか、小室みつ子『彼女によろしく』の奈々緒とか。)ただ、そう考えると、那津は高校のときからショートカットだったりするわけで、時間的・設定的なねじれが――男の子っぽいから浪人する、みたいなおかしな理屈が――生じてしまうかもしれない。
でも、この小説、ジェンダー的に見るとけっこう疑問が湧いてくる。「男らしさ/女らしさ」とは何か、というのはとりあえず措いておくとして、例えば、母親が妹の自分よりも兄のほうをかわいがっている理由は、別に自分が女で、兄が男だからというわけではないようだし、自分には兄貴風を吹かせていた兄は、同じ女である亜希子には奴隷のように扱われていたわけだし。男&男である父子(常元親子)と出会ったりするのは、考えてみれば何か意味があるのかもしれないけれど、そうではないみたいなことも書いてあるし。――要するにジェンダー(性差)は別に関係がないようにも読める。それと(ちょっと話がずれるけれど)、自分が男だからかもしれないけれど、女の子の成長って、男の子のそれよりもわかりにくい感じである。冒険をして成長、みたいな単純な描かれ方がされていないことが多い。でも、この小説もちょっとした成長小説、として読めなくもない。あまり関係ないけれど、そういえば、亜希子の背景ってほとんど描かれていないような。それが個人的にはちょっと不満かな。どうして「剣」に興味を持つようになったのか、もよくわからなかったし。
大学受験関係のところをもう少し。現役のときの第1志望は、昔から優等生だった兄が通っている大学なので、那津自身も平均よりは勉強ができるのかもしれない(そんなこともないか)。ただ、第1志望以外もすべて落ちた理由は「自分の学力を買いかぶり、狙いを絞りすぎた」(p.29)せいとのこと。狙いの絞りすぎ、というのは、偏差値的にもっと低いところも受けておけば、みたいなことかな(あと、学部・学科的なことも含むのかな)。「日本史は受験の必須科目」(p.63)とも言っているので、理系ではなく文系かもしれない(少なくとも私立理系ではないような)。卒業旅行は行かなかったらしい。引用しても大丈夫かな、
<大学合格した暁には、高校の同級生だった友人たちと遊ぶ計画も立てていたものの、いまは合格組の彼らと逢うのもつらい。むこうだって、気兼ねするだろう。/友人たちには、「うーん、暇にはなったんだけどね、家族の中でちょっと揉め事があって。ごめん、出られないわ。こっちのことは気にせず、みんなで楽しんできてよ」と告げて、旅行をキャンセルした。電話のむこうで、相手もホッとしたようだった……気の回しすぎかもしれないが。>(p.75)
友だちであれば一緒に行けなくて残念、な気持ちもあるはずだから、たんにほっとするよりも、複雑な気持ちのほうが強いのでは?(というのは、気の回しすぎか)。「家族の中でちょっと揉め事」というのは、嘘から出た真というか、お兄さんを探すはめになって、結果としてまんざら嘘にもなっていない。あと、「遊ぶ計画」であれば、これは別に卒業旅行というわけでもないのか。近場のどこかでカラオケとかボーリングとかを1、2時間、くらいな計画にしておけばよかったのにね。というか、それでは高校生のときと変わらず、卒業後の遊び(?)にならないのか。会うだけでもつらいのなら、いずれにしても断ってしまうかもしれないけれど。(浪人生は出てこない小説だけれど、堀田あけみ『さくら日記』という小説では、国立大学の入試が終わって合格発表がある前に――つまり受験勉強から解放されて、しかも合格組と不合格組が別れる前に――みんなでスキーに行っている。友達どうしが似たような日程で大学を受けるならそういうことも可能かもしれないけれど、ふつうは無理じゃないか、という気がする。)
コメント