講談社、1983/講談社文庫、1990。ひと言で言えば、成長物語というか。「ぼく」は寝ていたところを講師(李珍明)に起こされ(授業はすでに終了)、私は君のひいおじいさんの知り合いで、君に見せたいものがある、みたいなことを言われて、のこのこと家までついて行ったところ、粘土板に刻まれた謎の文字のようなものを見せられて、気づいたときには蛙(アマガエル)に。そのあとは人間に戻るにはどうすればよいのか、とあれこれ考えたり試したりする。――そんな感じの話です。人間に戻ろうとしているとき、(人間の)女性と出会ったりするので、恋愛小説としても読めるみたいである。

小説としては、単純に読んでいて面白いのでお薦めはお薦めです。とても読みやすいし。ただ、伊井直行のほかの小説(ぜんぶ読んでいるわけではないけれど)もそうなのだけれど、どうも素直に好きと言えない感じはある。悪い形で(?)精神を病んでいる人が出てきたり、人と動物とが交わったり――描かれ方にもよるかもしれないし、そういう部分的な箇所が理由ではないような気がするけれど。たしか、眠り込んでいる奥さんを犯すみたいな話もあったと思う(『ジャンナ』?)。村上春樹と比べると(「僕」小説、芥川賞の受賞し損ないつながり?)同じ蛙にしても伊井直行のほうが土着的、土俗的な感じかもしれない。

主人公は「できれば旧帝大、少なくとも国立大学」(文庫、p.13)の医学部志望の3浪生。5代(または6代)続く医者(5代目から病院)の跡取り息子。3浪している理由というか、落ちた理由のようなものは、楽観的らしい本人によれば、

 <現役のときは、どうせ一浪するつもりで大して勉強していなかったから、落ちても平気だった。(略)その次は、[(引用者注)バイクで模擬試験を受けに行く途中、巻き込まれた交通事故で]入院中で試験を受けられなかった。(略)三回目は、割とよく勉強していて自信満々で受けたのに、どういうわけか落ちた。>(同、p.24)

とのこと。1度は入院していて受けられなかったということは、実質的には2浪になるのかもしれない。あまり関係がないけれど(説教くさい話になってしまうか)、現役のときに「浪人してもいいや」という気持ちで勉強していると、2浪、3浪とずるずるいっちゃうのかもしれない。当り前だけれど、やっぱり現役で受かる気持ちで勉強したほうがいいかと思う。そうしたほうが仮に浪人した場合でも1年くらいで済むのではないか。←根拠というかデータとかがないので、そう思うとゆうだけの話。

予備校講師の李(英語、授業は悪くないらしい)に声を掛けられたのが5月なかば。ネタバレしてしまうけれど、かなりの苦労の末に蛙から人間に戻れたのが1年以上経ってから。病院のほうは新しい跡取りが見つかっていたみたいだし、主人公のほうも新しい目標が見つかっている(つまり医者はやめる)。でも、そのためには大学を受けなくてはみたいだから、4浪へ突入という感じか(実質は2浪?)。話が前後してしまうけれど、通っている予備校があるのは、「大手と中堅六つの予備校があわせて十一の校舎をもつという予備校街」(同、p.9)とのこと(いわゆるO通り?)。前年も同じ予備校で、前々年(1浪のとき)は、窓から見える(!)別の予備校に通っていたらしい。
 

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