橋本治 『その後の仁義なき桃尻娘』
2007年3月29日 読書
講談社、1983/講談社文庫、1985。手元にあるのは、いつものように文庫本。
青春大河小説、『桃尻娘』シリーズの2作目。章ごとに語り手が変わる形式で書かれている小説なのだけれど、最初の、榊原玲奈(「榊」の真ん中は「ネ」ではなくて「示」)が語り手になっている表題作しか読んでいないです。1人称饒舌体(18歳だからteenage skazか)で読みやすくていいのだけれど、個人的にはなぜだか頭に意味が残っていかないというか、右の耳から左の耳に抜けていく感じがして。それでもどうにか頑張って、高校生編の1作目『桃尻娘』は読み終えたのだけれど、どうやらそれが私には限界でした(無念)。
浪人がらみの話は、文庫の後ろのところの紹介文を読むと面白そうに感じるのだけど――引用してしまうか(今回も手抜き感想文…)、
<グスッ。あたし、榊原玲奈は、浪人ですッ。クラスのみんなはしっかり大学生になって、あたしとは無関係に青春やっているようです。ち・く・しょ・お――。かの衝撃のデビュー作「桃尻娘」で、お父さんお母さんの度肝をぬき、少年少女の大喝采を浴びた著者の大河シリーズ第二作。浪人・玲奈を中心にお馴染みメンバーが大活躍する疾風怒濤の青春後期。>
浪人生です、と宣言してはいるものの、浪人生だからどうのこうの、という話はそれほど多くなくて。表題作なんて高校のときのこと(村松クンとの短い交際)について回想していたりする。――でも、まぁ、面白い箇所もなくはない。最初のあたり、浪人が決まったらしい「あたし」は、散る桜を眺める、みたいな“お約束”をするではなく、お母さんから「あるわよ」と言われた桜餅をすぐに食べず、いじりまわしている(笑)。あと、最初のほうで、予備校の特徴というか、高校と予備校の違いみたいなことについて少々語っている箇所がある。
<予備校ってサ、行ったって行かなくたって、別に誰からも怒られないでしょ? 予備校の授業なんて、さぼったって別に罪の意識なんてのも感じないし、さぼったからって、別にサバサバするような種類のもんでもないでしょ? /大教室にビシッと詰められている人間達の中にいたらそんな気がしたの。だって、予備校の先生なんて、あたしの顔を知らないんだもん。(略)/(略)。向こうは商売で講義をしてて、こっちは金払ってそれ聞いてて、ただそれだけのことなんだなって(略)。>(pp.19-20)
当り前すぎるからかもしれないけれど、教師と生徒との(心理的な)距離について書かれている小説は、そういえばあまり見かけないかも。予備校はさぼったって平気、とか解説する前に予備校生小説では多くの場合、もう勝手にさぼっちゃってるし。個人的には高校よりも予備校のほうが好きだったけれど(予備校が好きだったのではなく高校が嫌いだっただけ)、高校で友達たくさん、青春していた人たちは、高校のほうがよかった、ってな感慨になるのだろうか。いちがいに比べられないだろうけど。榊原さんは予備校では友達はできなかったのかな?(シリーズの3作目を読めばわかるかもしれないけれど、読む気がしない、買ってはあるけれど)。そう、高校生小説と比べて、予備校生小説はあまり生徒と教師が付き合っていないような気がするけれど(逆にその手の高校生小説が多すぎるのか)、そうであれば、その距離感みたいなもの(講師に対する「遠さ」)が関係しているのかもしれない。
通っている予備校は、表題作では「代々木の予備校」(p.56)と書かれているけど、あとのほうでは「代々木ゼミナール」と言ってしまっている。通っている予備校として、実在する予備校の名前を出している小説は珍しいかも。現役のときの第1志望は、早稲田大学(文系)。落ちた理由は、ぐちゃぐちゃ書いてあるようなないような(ちゃんと読めばわかるかも)。3作目を読むと、1浪して合格するかしないかわかる(書いてもさほど問題はない気がするけれど、いちおう伏せておきます)。関係ないけれど、現国(現代文)の問題集の問題が引用されている箇所がある(ちょっと清水義範の小説のよう。「国語入試問題必勝法」とか)。
青春大河小説、『桃尻娘』シリーズの2作目。章ごとに語り手が変わる形式で書かれている小説なのだけれど、最初の、榊原玲奈(「榊」の真ん中は「ネ」ではなくて「示」)が語り手になっている表題作しか読んでいないです。1人称饒舌体(18歳だからteenage skazか)で読みやすくていいのだけれど、個人的にはなぜだか頭に意味が残っていかないというか、右の耳から左の耳に抜けていく感じがして。それでもどうにか頑張って、高校生編の1作目『桃尻娘』は読み終えたのだけれど、どうやらそれが私には限界でした(無念)。
浪人がらみの話は、文庫の後ろのところの紹介文を読むと面白そうに感じるのだけど――引用してしまうか(今回も手抜き感想文…)、
<グスッ。あたし、榊原玲奈は、浪人ですッ。クラスのみんなはしっかり大学生になって、あたしとは無関係に青春やっているようです。ち・く・しょ・お――。かの衝撃のデビュー作「桃尻娘」で、お父さんお母さんの度肝をぬき、少年少女の大喝采を浴びた著者の大河シリーズ第二作。浪人・玲奈を中心にお馴染みメンバーが大活躍する疾風怒濤の青春後期。>
浪人生です、と宣言してはいるものの、浪人生だからどうのこうの、という話はそれほど多くなくて。表題作なんて高校のときのこと(村松クンとの短い交際)について回想していたりする。――でも、まぁ、面白い箇所もなくはない。最初のあたり、浪人が決まったらしい「あたし」は、散る桜を眺める、みたいな“お約束”をするではなく、お母さんから「あるわよ」と言われた桜餅をすぐに食べず、いじりまわしている(笑)。あと、最初のほうで、予備校の特徴というか、高校と予備校の違いみたいなことについて少々語っている箇所がある。
<予備校ってサ、行ったって行かなくたって、別に誰からも怒られないでしょ? 予備校の授業なんて、さぼったって別に罪の意識なんてのも感じないし、さぼったからって、別にサバサバするような種類のもんでもないでしょ? /大教室にビシッと詰められている人間達の中にいたらそんな気がしたの。だって、予備校の先生なんて、あたしの顔を知らないんだもん。(略)/(略)。向こうは商売で講義をしてて、こっちは金払ってそれ聞いてて、ただそれだけのことなんだなって(略)。>(pp.19-20)
当り前すぎるからかもしれないけれど、教師と生徒との(心理的な)距離について書かれている小説は、そういえばあまり見かけないかも。予備校はさぼったって平気、とか解説する前に予備校生小説では多くの場合、もう勝手にさぼっちゃってるし。個人的には高校よりも予備校のほうが好きだったけれど(予備校が好きだったのではなく高校が嫌いだっただけ)、高校で友達たくさん、青春していた人たちは、高校のほうがよかった、ってな感慨になるのだろうか。いちがいに比べられないだろうけど。榊原さんは予備校では友達はできなかったのかな?(シリーズの3作目を読めばわかるかもしれないけれど、読む気がしない、買ってはあるけれど)。そう、高校生小説と比べて、予備校生小説はあまり生徒と教師が付き合っていないような気がするけれど(逆にその手の高校生小説が多すぎるのか)、そうであれば、その距離感みたいなもの(講師に対する「遠さ」)が関係しているのかもしれない。
通っている予備校は、表題作では「代々木の予備校」(p.56)と書かれているけど、あとのほうでは「代々木ゼミナール」と言ってしまっている。通っている予備校として、実在する予備校の名前を出している小説は珍しいかも。現役のときの第1志望は、早稲田大学(文系)。落ちた理由は、ぐちゃぐちゃ書いてあるようなないような(ちゃんと読めばわかるかも)。3作目を読むと、1浪して合格するかしないかわかる(書いてもさほど問題はない気がするけれど、いちおう伏せておきます)。関係ないけれど、現国(現代文)の問題集の問題が引用されている箇所がある(ちょっと清水義範の小説のよう。「国語入試問題必勝法」とか)。
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