『学生時代』所収。単行本は1918年に新潮社から出ているらしい。文庫は新潮文庫からも出ているけれど(1948年かな)、手元にあるのは旺文社文庫のもの(1975年)。何か文学全集のたぐいでも読めるかと思う([追記2013/10/09] だいぶ前から青空文庫でも読めるようです)。とてもお薦めですというか、浪人生小説としては古典(の1つ)という位置付けになるだろうか、わからないけれど。ただ、この小説も、浪人生にはちょっと薦められない気がする。それが残念。※以下、今回もネタをばらけさしてもらいます。結末を知りたくない方はご注意ください。といっても、この本も文庫カバーに載っている紹介文の時点でかなりネタバレしているけれど。

 <一高入試に再度失敗して弟に先を越され、恋でも弟に敗れて自殺する兄の苦悩を描き、その間、入学した級友への羨望や弟への嫉妬など心理を掘りさげて、破滅への道を歩む重苦しい受験生の青春を浮かびあがらせた『受験生の手記』。(略)>

「入学した級友への羨望」ってどこに書かれているの? あ、書かれているか(記憶力が…)。「私」(久野健吉)は、田舎から出てきたわりに知り合いがたくさんいる様子。それはいいとして、↑「自殺する」とまで書かれている。自殺の原因は、例によって複合的な感じである。受験に失敗し(もちろんショックを受ける)、しかも弟の健次は受かっているし(弟への敗北1)さらに自分が想いを寄せていた女の子(義兄の姪の澄子さん)を弟にとられてしまう(弟への敗北2)。直接のきっかけみたいなもの(引き金を引いたの)は、遊蕩児(遊び人)の浪人生、佐藤のところへ行って酒を飲まされ、酔っ払ったまま売春宿へ連れて行かれたこと(童○喪失?)。「酒+女」によって惨めさをより深める、みたいなありがちなパターンだけれど、翌朝、実家へは帰らずに途中下車して、猪苗代湖で入水自殺である。――自殺してしまうような小説はちょっと、浪人生には薦められないよね。

健吉くん、迷いながらも結局、去年と同じく一高(いまでいえば東大)を受けるのだけれど、家はいちおう医者で、受験するのは「三部」(たぶん医学部)。東大志望とか医者の息子で医学部志望とか、いまでも通じるステレオタイプな受験生像、かもしれない。というか、そんなことよりも、このお兄さん想いでない弟は何?(清水義範の『学問ノススメ』の弟を見習って欲しい)。弟だけでなくて、そのほかの家族とか受験生仲間とか、健吉くんのためになるような存在がほとんど見当たらない。要するにけっこう孤独な戦いだったかも。あ、お姉さんとか受験生仲間の松井くんとかは、比較的ましなほうか。

いちおう予備校にも通っている。約90年前に書かれた小説でも、予備校観みたいなものはいまと大差ない。

 <けれども閑暇[ひま]だから、予備校へだけは行くことにした。そこでの講義は、実力をつけるというよりも、いかに能力を活用すべきかを教える、whatよりもむしろhowの方に重きを置いた。学校としては実に変則的なものだと思った。しかし講義は面白かった。漫然と聞き流していても面白かった。予備校は遊び半分に行くべき処だ。それでも十分効用はある。知らず識らず受験生の頭脳を刺戟する、狡猾にする、そして最もよい事には、ややもすれば不規則になりやすい受験生生活に、まず学校らしい体制を備えた、一つの規律を与える機関となる。――とにかく私にとっては、予備校は一つのいい暇潰し場所でなければならなかった。>(pp.12-3、[括弧]はルビ)

howというのは、内実はともかく、「受験技術」「受験テクニック」と言い換えても大丈夫そうで、いまでも通じる話かもしれない。予備校生小説では、予備校の授業はたいてい退屈なものとして描かれるのだけれど、この小説では面白い、と言われている。遊び半分に通っているから落ちるんだよ、しっかり予習・復習をしないと、みたいなことを思うのは結果論かな。予備校に通ったほうが、生活のリズムがちゃんとする、みたいなことも現在でも通じる話かと思う。そういえば、「頭脳を刺戟する、狡猾にする」みたいな話で思い出したけれど、昔ちょっと知り合った人が、東京の予備校の先生はしゃべるのが速い人が多くて、授業についていくのが大変だった、みたいなことを言っていたのだけど、そういう速さ(マシンガン・トーク?)についていけるようになると、ふだんの思考するの速度、問題を解くスピードなんかもあがったりするのかな。(そう、こんなことを言い出したらきりがないけれど、いちおう注意というか、ちょっと気になるのは、作者自身は推薦で一高(旧制第一高等学校)に入学しているらしいので、少なくとも浪人生としては予備校に通っていないということ。要するに浪人生活や予備校に関しては、伝聞や推測が混じっている可能性が高い。)

健吉くんは1月に上京しているのだけれど(弟は中学を終えてからで、4月の初め)、入学試験は7月にある。このあたり、いまの入試制度の感覚でいると、ちょっとわからないかもしれない、サクラサクもサクラチルもないし。浪人生なのだから、下宿とか金銭とかの問題がなければ、もっと早く上京してもよかったのにね。あ、お父さんが上京自体に反対していたんだっけ。でも、去年受けて落ちたときにそのまま東京に居座ってしまえばよかったのに。(関係ないけれど、東京はまだ「都」じゃなくて「府」? 作中の年代は書かれたのよりも前で、大正の初めくらいになるのかもしれない。「作者付記」から考えると、久米正雄が高校に入学した年の1910年に2、3年足せばいいのか、やっぱり大正の初めくらいか。)入学試験も、ちょっと実況中継的に、小説としては詳しく書かれている。去年というか現役のときに落ちた理由は、英語でpromotionという1語がわからなかったから、らしい。今年(1浪)で落ちた理由は、なんだろうね、読者それぞれが判断すればいいのかもしれない。

話が戻ってしまうけれど、何も死ななくてもよかったのにね(天国…じゃなくて、天国の手前で高野和明『幽霊人命救助隊』みたいなことになっていればいいけれど)。そもそも、「不合格(挫折)→勉強(努力)→合格(成功)」みたいな、わかりやすいふつうの小説はないのかな? 大学受験では、努力のパートが絵にならないからダメなのか。
 

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