いちおう連作らしい同名の短篇集(電撃文庫、2005)の表題作。7篇中の最初に置かれている。この小説を読んで、自分にはライトノベルが向いていないというか、ライトノベルはとりあえず<涼宮ハルヒ>(谷川流)だけを読みつないでいけばいいかな、と改めて思った次第です。※例によって以下、ネタバレ注意です

爆弾が女の子で――と言えば、あとはタイトルからもわかるとおり、“落ちもの系”というか、変わった女の子が落ちてきてお話が始まるみたいな、よくあるタイプの小説。短篇なので次から次へと落ちてくるみたいなことはない。季節はボーイ・ミーツ・ガールのつねで、夏(8月)。夏期講習ではなくて通常の授業があるのか、模擬試験の結果が思わしくなく、頭も良くないらしい「僕」(長島)が、お昼休みに(さらにそれを過ぎて)予備校の屋上で仰向けに寝転がっていたところ、空から高校2年のときのクラスメイトでちょっと好きだったりした女の子、広崎ひかりによく似た女の子が降ってくる。彼女は「ピカリちゃん」と名乗って、自分は“爆弾”であると言う。

広島、長崎をもじった人の名前とか「ピカリ」とか、ご年配の方(読んでいないか)からクレームが来なかったのかな、この小説。完全に名前負けもしているというか。あ、でも、この最新の人型爆弾は関東あたりがスッキリしちゃうくらいの、威力はあるらしい。そんな大変なものの爆発するしないが、「赤の他人」で、頭の良くない浪人生の1人の肩に掛かっているなんて、世の中、やんなっちゃうよね…(読んでいて萎え萎えだ)。あと、タイトルにもなっているくらいだから、少しツッコんでおけば、最後まで読んでも、ピカリが空から降ってくる必然性はほとんどないと思うし(爆弾だからとか、お約束だから、みたいなメタな理由ならいらない)、胸に時計がうまっている必要はもちろんないし、そもそも時計である必要すらないし(何か目盛りがあれば十分で、時刻の表示は必要ない)。

ライトノベルってほとんど読んだことがないのだけれど、たまに読むといつも、お約束の金太郎飴、みたいなことを感じてしまう。この小説でも、例えば高校のときの回想の場面、誰もいない放課後の教室で、広崎ひかりが胸を押さえてうずくまっているところを、長島くんが通りかかって心配する、みたいなくだりがあるのだけれど、これはあれだね、「お女中お女中、いかが召された?」「じ、持病のシャクが…」みたいな時代劇によくある古典中の古典、と同じレベル。いまのTVドラマでもたまに見かけるけれど、いまさらこんなことをやられてもなぁ、と思うのは当然でしょう?(そう思わないのは中学生以下の人?)。ピカリの話し方にしてもお約束な感じであるし、どこらへんにわりとオリジナル! という自信があるのかな、この小説は。

あと、どうでもいいことだけれど、「屋上の手すり」って何? 鉄とかでできた落下防止のための柵? それで煙草の火を揉み消しているけれど、吸殻はちゃんと灰皿に捨てたんでしょうね? でも、そう、浪人生小説としては、最初のあたりの「僕」と「僕」の彼女らしい1つ歳下の辰美(1浪)との会話が、ちょっとだけ面白いかな。勉強していないのを怒られるとほっとして、かえって勉強しなくなる、みたいな(そんなこと書かれていなかったっけ?)。この小説も、最後むりやり成長小説みたいな形で終わりになっている。成長といっても、外面的には、勉強するようになるだけ。浪人生の成長なんて、所詮そんな程度なのだろうか。
 

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索