吉村昭 「予備校生」
2007年4月30日 読書
短篇集『遅れた時計』(毎日新聞社、1982/中公文庫、1990)に収録されている1篇。これも、文庫カバーの紹介文の時点でけっこうネタバレしている。
<ひたむきに生きてはいても、なぜか少しずつ、人生の軌道からはずれてしまう人たちがいる。(略)、スリをやめることができない自分に絶望して死を選ぶ少年をみつめる「予備校生」など、人生の小宇宙を作り出す秀作10篇>
これを読むと、よくある浪人生自殺譚か、みたいな想像をしてしまうけれど、実際、どうだろうか、そうであるとも言えるし、ちょっと違うと言えば違うかもしれない。人物造形や考えていることは、けっこうステレオタイプであるとは思う。ただ、そのわりに小説として悪くないような気もする。吉村昭って以前エッセイ集を1冊読んだことがあるけれど、三浦哲郎とかと同じで(?)あまり悪く言えない人だよね、たぶん。――短い話なので私が説明するよりも読んでもらったほうが早い気がするけれど、いちおう内容をもう少し詳しく。
検事である主人公、柏原のもとに電車内で掏摸(すり)をはたらいた予備校生、徳永春夫が送られてくる。で、最初のほうは、彼を起訴すべきかどうか悩む、みたいな話。2浪で20歳になっているので、「少年」(本文では使われていない?)と呼ぶのは適当ではない気がするけれど、大学生未満はみんな子どもである、という認識なのか、精神的な面を汲み取って判断しているのかなんなのか。――それはそれとして、初犯であるとか、証拠が不十分であるとか、本人の供述どおり、過去にとった小銭入れ(3つ)が下宿から見つかるのだけれど、それらは被害届が出されていないとか、あと、過去の経験(以前起訴した男のこと)とか、春夫の将来や受験勉強のこととか、あれこれと考えて、柏原は春夫に、やっていない、と無実を主張し、釈放されることを勧める。ところが、春夫のほうは、ちゃんと刑罰を受けたい、みたいなことを言い、どうも譲る気がないようなので、結局、起訴をすることに。裁判を待つあいだ、春夫は、親が手続きをして許可が出たにもかかわらず、拘置所から保釈されるのも拒んだらしい、との噂も耳に入る。結局、裁判では「懲役八ヶ月、執行猶予二年の判決」が下る(あ、刑務所には入らないわけか)。月日は流れ(そんなに流れていないかな、年が明けて)、柏原が何気なく新聞を見ると、そこには春夫が電車に飛び込んで死亡したという小さな記事が。柏原は、きっとまたやってしまったんだな、みたいなことを思う。
「若者らしい潔癖さ」という言葉があったけれど、どれくらい若者に共通する感覚なんだろうか。たしかにわからなくもないけれど。あ、私が若いというわけではないです。でも、本当にやめたい、真剣に病気というか手癖を直したいと思っているなら、拘置所とか刑務所に一定期間入っていれば(罰せられれば)治る、みたいなことはふつう考えないのではないか。まぁ、人にもよるか。無意識的にそう思っているのなら、内省や自己分析、それ以外の想像もちょっと足りないような。小説の初出は……1978年(『オール読物』)か。まだ、心療内科へ行ってカウンセリングを受けたほうがいい、みたいな言説はそれほど一般的ではなかったかもしれない。最近では万引きも病気だから、みたいなことも、やめられない理由としてふつうに語られるけれど、当時はそんなことはあまり言われなかったのかも(であれば、しかたがないか)。というか、あまり死者に鞭を打つような発言はよくないよね(反省)。あと、ワイドショー的な発言をもう1つだけ、これは、被害者にとっても加害者にとっても、司法制度が役に立っていないケースかもしれない。主人公の柏原がいずれの選択をしても、どんな言葉をかけてあげても、春夫くんはたぶん同じ道を選んでいたと思われるから。
ステレオタイプ、みたいな話とも関係すると思うけれど、読んでいてちょっと違和感があったのが、柏原が常識や経験に頼って(?)春夫に対して「……なはずである」とか「……にちがいない」という推測をしばしばして、それが実際に本人に尋ねてみると当たっている、みたいな箇所。世の中というか、人の心はそんなに単純ではないのではないかと思う。そのへんがちょっとご都合主義に感じなくもない。
例によって最後に予備校生のプロフィール的なことを。推理小説ではないけれど、この小説でも内容的に当然、春夫の素性ははっきりとしていて――引用したほうが早いかな、
<予備校生は、徳永春夫という地方出身の二十歳の男であった。両親は健在で、父は家具工場を経営し、恵まれた家庭環境と言える。浪人一年目は自宅で受験勉強を続けていたが、再び入試に失敗すると、上京して下宿し、東京の工業大学受験を目ざして予備校に通っているという。>(p.223)
お父さんの跡を継ぐ必要は特にないのかな、この人。経済学部でもないし。でも、工学部なら家具職人になったり(建築科じゃないし、何科? デザインみたいなところ?)、家具を作る機械を自由に操れるようになったり、何か新しい工具を開発したり(ゆるい想像だな…)みたいなことは可能か。そう、ちょっと古い小説であるし、長男かどうかって大事じゃないのか。どこかに書いてあったっけな…(そんなところには付箋は貼らないので、ちゃんと読み直さないとわからない…)。あと、「恵まれた家庭環境」というのは、金銭的な心配が不要、ということも含むと思うけれど、工場経営もそれほど楽じゃないのではないか(あ、これも平成不況以降の、現在の感覚なのかな)。
<ひたむきに生きてはいても、なぜか少しずつ、人生の軌道からはずれてしまう人たちがいる。(略)、スリをやめることができない自分に絶望して死を選ぶ少年をみつめる「予備校生」など、人生の小宇宙を作り出す秀作10篇>
これを読むと、よくある浪人生自殺譚か、みたいな想像をしてしまうけれど、実際、どうだろうか、そうであるとも言えるし、ちょっと違うと言えば違うかもしれない。人物造形や考えていることは、けっこうステレオタイプであるとは思う。ただ、そのわりに小説として悪くないような気もする。吉村昭って以前エッセイ集を1冊読んだことがあるけれど、三浦哲郎とかと同じで(?)あまり悪く言えない人だよね、たぶん。――短い話なので私が説明するよりも読んでもらったほうが早い気がするけれど、いちおう内容をもう少し詳しく。
検事である主人公、柏原のもとに電車内で掏摸(すり)をはたらいた予備校生、徳永春夫が送られてくる。で、最初のほうは、彼を起訴すべきかどうか悩む、みたいな話。2浪で20歳になっているので、「少年」(本文では使われていない?)と呼ぶのは適当ではない気がするけれど、大学生未満はみんな子どもである、という認識なのか、精神的な面を汲み取って判断しているのかなんなのか。――それはそれとして、初犯であるとか、証拠が不十分であるとか、本人の供述どおり、過去にとった小銭入れ(3つ)が下宿から見つかるのだけれど、それらは被害届が出されていないとか、あと、過去の経験(以前起訴した男のこと)とか、春夫の将来や受験勉強のこととか、あれこれと考えて、柏原は春夫に、やっていない、と無実を主張し、釈放されることを勧める。ところが、春夫のほうは、ちゃんと刑罰を受けたい、みたいなことを言い、どうも譲る気がないようなので、結局、起訴をすることに。裁判を待つあいだ、春夫は、親が手続きをして許可が出たにもかかわらず、拘置所から保釈されるのも拒んだらしい、との噂も耳に入る。結局、裁判では「懲役八ヶ月、執行猶予二年の判決」が下る(あ、刑務所には入らないわけか)。月日は流れ(そんなに流れていないかな、年が明けて)、柏原が何気なく新聞を見ると、そこには春夫が電車に飛び込んで死亡したという小さな記事が。柏原は、きっとまたやってしまったんだな、みたいなことを思う。
「若者らしい潔癖さ」という言葉があったけれど、どれくらい若者に共通する感覚なんだろうか。たしかにわからなくもないけれど。あ、私が若いというわけではないです。でも、本当にやめたい、真剣に病気というか手癖を直したいと思っているなら、拘置所とか刑務所に一定期間入っていれば(罰せられれば)治る、みたいなことはふつう考えないのではないか。まぁ、人にもよるか。無意識的にそう思っているのなら、内省や自己分析、それ以外の想像もちょっと足りないような。小説の初出は……1978年(『オール読物』)か。まだ、心療内科へ行ってカウンセリングを受けたほうがいい、みたいな言説はそれほど一般的ではなかったかもしれない。最近では万引きも病気だから、みたいなことも、やめられない理由としてふつうに語られるけれど、当時はそんなことはあまり言われなかったのかも(であれば、しかたがないか)。というか、あまり死者に鞭を打つような発言はよくないよね(反省)。あと、ワイドショー的な発言をもう1つだけ、これは、被害者にとっても加害者にとっても、司法制度が役に立っていないケースかもしれない。主人公の柏原がいずれの選択をしても、どんな言葉をかけてあげても、春夫くんはたぶん同じ道を選んでいたと思われるから。
ステレオタイプ、みたいな話とも関係すると思うけれど、読んでいてちょっと違和感があったのが、柏原が常識や経験に頼って(?)春夫に対して「……なはずである」とか「……にちがいない」という推測をしばしばして、それが実際に本人に尋ねてみると当たっている、みたいな箇所。世の中というか、人の心はそんなに単純ではないのではないかと思う。そのへんがちょっとご都合主義に感じなくもない。
例によって最後に予備校生のプロフィール的なことを。推理小説ではないけれど、この小説でも内容的に当然、春夫の素性ははっきりとしていて――引用したほうが早いかな、
<予備校生は、徳永春夫という地方出身の二十歳の男であった。両親は健在で、父は家具工場を経営し、恵まれた家庭環境と言える。浪人一年目は自宅で受験勉強を続けていたが、再び入試に失敗すると、上京して下宿し、東京の工業大学受験を目ざして予備校に通っているという。>(p.223)
お父さんの跡を継ぐ必要は特にないのかな、この人。経済学部でもないし。でも、工学部なら家具職人になったり(建築科じゃないし、何科? デザインみたいなところ?)、家具を作る機械を自由に操れるようになったり、何か新しい工具を開発したり(ゆるい想像だな…)みたいなことは可能か。そう、ちょっと古い小説であるし、長男かどうかって大事じゃないのか。どこかに書いてあったっけな…(そんなところには付箋は貼らないので、ちゃんと読み直さないとわからない…)。あと、「恵まれた家庭環境」というのは、金銭的な心配が不要、ということも含むと思うけれど、工場経営もそれほど楽じゃないのではないか(あ、これも平成不況以降の、現在の感覚なのかな)。
コメント