重松清 『さつき断景』
2007年4月30日 読書
ノン・ノベル、2000/祥伝社文庫、2004。自分はエンターテインメント系の作家の書く小説の半分以上が苦手らしく、初めて読んだけれども、重松清もどうやら苦手のほうに入る感じである。この小説はエンタメ系という感じではないけれど、それでも面白くなかったというか、ダメでした。
<一月十七日、阪神淡路大震災。三月二十日、地下鉄サリン事件。あの一九九五年から二〇〇〇年までの世紀末、われわれはどう生きてきたのか? 大震災のボランティアに参加した高校生タカユキ、電車の一本の差でサリン禍を免れた三十五歳のヤマグチさん、長女が嫁ぐ五十七歳のアサダ氏。彼らの六年間の「五月一日」を定点観測し、各世代の「今」を問う斬新な日録小説。>(文庫カバーより。「日録」には「クロニクル」とルビ。)
作為的な設定だよね…。震災と薄く関係するタカユキ、地下鉄事件と関係する/しないヤマグチさん、とか。タカユキ、ヤマグチさん、アサダ氏の3人とも東京在住の男性で、年齢が約20歳きざみ、とか。作者が新聞を見ながら書いているらしい感じがするのも、小説としてはどうかと思う(そもそも小説もどきであるし、小説として読まないという手もある)。タカユキは、3泊4日のボランティア・ツアーから東京に戻ってきて、家に帰る途中、コンビニでスポーツ新聞を買って読んでいる。事情はどうあれ、高校生にスポーツ新聞を買わせるような小説を、個人的にはあまり読みたくない。ほかにも、登場人物たちに対しては同情してしまうというか、具体的には、新聞を読まされたり、ベストセラー本を読まされたり、流行の歌をカラオケで練習しなくてはいけなかったり、プロ野球の結果を気にしなくてはいけなかったり、している。タカユキなんて「たまごっち」をやらされちゃっているし…。かわいそうに。
最年少のタカユキに関する部分は、成長小説としても読めるかと思うのだけれど、そう、その前に、そのタカユキくんに関して、どうでもいいことだけれど、1995年の5月に15歳で高校1年生であれば、1980年の夏生まれというのは、たぶんおかしい。1979年4月から1980年3月の間に生まれていないと。――大学受験に関係する部分としては、1997年が高校3年生、1998年と1999年が浪人生。高校3年生のときのことだけれど、予備校の案内(パンフレット?)を取りに行こうとしていた場面がある。
<進路面接のあとで町田に出て、河合塾の高校グリーンコースの講座案内を取りに行くつもりだった。別に河合塾に決めているわけではない。どこの予備校のどの講師がいいのかなど、なにもわからない。代ゼミや駿台や早稲田ゼミナールでもいいし、Z会や進研ゼミの通信添削でもかまわない。ただ、河合塾の五月期生募集の新聞広告のコピーが気に入っただけだ。/<自分を見つけに。>/ほんとうにそのコピーどおりの効果があるのなら、大学受験も悪くないかもな、と思う。/でも、それよかデートのほうが大事っしょ、とも思う。>(p.96)
「自分を見つけに。」なんてほとんど無内容なコピーに反応させられている登場人物には、やっぱり同情しておきたい。無自覚的な東京中心主義にも(これはしかたがないけれど)ちょっとうざさを感じる。地方に暮らしていれば予備校なんて駅の前に1件、みたいなこともあるだろうに。どこでもいい、なんて贅沢なことを言われてもね。そう、タカユキ、高校の同級生からの口コミ情報みたいなものだってあるのではないか、本当に予備知識がゼロなのかな。あまり関係ないけれど、通信添削については、高校生が出てくる小説で、乙会をしているものなら読んだことがある(貴志祐介『青の炎』、吉野万理子『雨のち晴れ、ところにより虹』の中の「こころ三分咲き」)。たまたまだろうけれど、S研ゼミをしているものはいまのところ読んだことがないと思う。S研ゼミだと中学生向けというイメージなのかな(そんなこともないか)。予備校と違って、通信添削であれば地域格差がほとんどなくてよいよね。
浪人のときは、代々木公園の近くの予備校に通っている。これも作者のご都合主義的な感じかもしれない。5月1日を描いた連作小説で、5月1日といえばメーデー、代々木公園、したがって町田とかではなく代々木みたいな? 具体的にはYゼミか、千駄ヶ谷のK塾かな(あいわからず東京の地理に不案内です)。家はどこなのか、通っていた高校からは、千駄ヶ谷よりも町田のほうが近いわけでしょう? ――別にどこでもいいか(ちょっとキレ気味)。2浪のときも予備校には通っているようだけれど、同じ予備校かどうかはわからない。1浪して大学に受からないとやっぱり大変、というか、1つ学年が下だった彼女の美奈子は遠くの大学(北海道大学)に受かって、離ればなれになってしまうし、父親はリストラにあってしまうしで、早めに受かるに越したことはないかも。2浪時、予備校をやめたいと言うタカユキに対して、美奈子はとにかく止めている(予備校って「やめます」と言って退学届を出すような学校ではないと思うし、やめるのは予備校ではなくて大学受験、か)。タカユキくん、でも、1浪目で受かっていたら、それほど「成長」できなかったかもしれないし、2浪してかえってよかったのかも。ちなみに、彼女とちゃんと別れる感じになるのは、タカユキが大学生になってからで、とりあえず浪人生小説によくある「大学不合格+失恋」みたいなことにはなっていない。
大学は、たぶん私立文系志望で、結局、法学部も経済学部も落ちたらしく、教育学部に落ち着いたらしい(2007年のいまごろはもう教師?)。どうでもいいけれど、「教育学部」がやけに下に見られているな。あと、こういう書き方を読むと、教育学部って文系、みたいな感じがするけれど、数学科(数学専攻)とかもあるだろうにね、何科に受かったのかな?(国語?社会?その他?)。というか、やっぱりしょうもない終わり方をしている、この小説。ヤマグチさんには小学生の娘がいて(仲直りできて?)、アサダ氏には娘にできた孫がいて、タカユキは教師を目指してもいいかな、みたいな。要するに、子どもに可能性(未来)を見て終わる、という新聞やおっさんが好みそうな発想である。まだ小さい息子や娘、あるいは孫がかわいい、というだけならわかるけれど。そう、1浪のときに出てくる予備校仲間の、元社会人の藤井さん(年齢的には3浪、新聞販売店に住み込んで新聞を配っているらしい)が大学に受かったのか受からなかったのか、は教えて欲しかったな。たぶん受かっていると思うけれど。
ところで、今年(2007年)の5月1日って何があったっけ? ……って、やっぱり新聞でも見ないとわからないな(汗)。[追記:TVドラマ『セクシーボイスアンドロボ』、ゲストは市川実和子、“かんにん袋”。爆弾カレー!]
<一月十七日、阪神淡路大震災。三月二十日、地下鉄サリン事件。あの一九九五年から二〇〇〇年までの世紀末、われわれはどう生きてきたのか? 大震災のボランティアに参加した高校生タカユキ、電車の一本の差でサリン禍を免れた三十五歳のヤマグチさん、長女が嫁ぐ五十七歳のアサダ氏。彼らの六年間の「五月一日」を定点観測し、各世代の「今」を問う斬新な日録小説。>(文庫カバーより。「日録」には「クロニクル」とルビ。)
作為的な設定だよね…。震災と薄く関係するタカユキ、地下鉄事件と関係する/しないヤマグチさん、とか。タカユキ、ヤマグチさん、アサダ氏の3人とも東京在住の男性で、年齢が約20歳きざみ、とか。作者が新聞を見ながら書いているらしい感じがするのも、小説としてはどうかと思う(そもそも小説もどきであるし、小説として読まないという手もある)。タカユキは、3泊4日のボランティア・ツアーから東京に戻ってきて、家に帰る途中、コンビニでスポーツ新聞を買って読んでいる。事情はどうあれ、高校生にスポーツ新聞を買わせるような小説を、個人的にはあまり読みたくない。ほかにも、登場人物たちに対しては同情してしまうというか、具体的には、新聞を読まされたり、ベストセラー本を読まされたり、流行の歌をカラオケで練習しなくてはいけなかったり、プロ野球の結果を気にしなくてはいけなかったり、している。タカユキなんて「たまごっち」をやらされちゃっているし…。かわいそうに。
最年少のタカユキに関する部分は、成長小説としても読めるかと思うのだけれど、そう、その前に、そのタカユキくんに関して、どうでもいいことだけれど、1995年の5月に15歳で高校1年生であれば、1980年の夏生まれというのは、たぶんおかしい。1979年4月から1980年3月の間に生まれていないと。――大学受験に関係する部分としては、1997年が高校3年生、1998年と1999年が浪人生。高校3年生のときのことだけれど、予備校の案内(パンフレット?)を取りに行こうとしていた場面がある。
<進路面接のあとで町田に出て、河合塾の高校グリーンコースの講座案内を取りに行くつもりだった。別に河合塾に決めているわけではない。どこの予備校のどの講師がいいのかなど、なにもわからない。代ゼミや駿台や早稲田ゼミナールでもいいし、Z会や進研ゼミの通信添削でもかまわない。ただ、河合塾の五月期生募集の新聞広告のコピーが気に入っただけだ。/<自分を見つけに。>/ほんとうにそのコピーどおりの効果があるのなら、大学受験も悪くないかもな、と思う。/でも、それよかデートのほうが大事っしょ、とも思う。>(p.96)
「自分を見つけに。」なんてほとんど無内容なコピーに反応させられている登場人物には、やっぱり同情しておきたい。無自覚的な東京中心主義にも(これはしかたがないけれど)ちょっとうざさを感じる。地方に暮らしていれば予備校なんて駅の前に1件、みたいなこともあるだろうに。どこでもいい、なんて贅沢なことを言われてもね。そう、タカユキ、高校の同級生からの口コミ情報みたいなものだってあるのではないか、本当に予備知識がゼロなのかな。あまり関係ないけれど、通信添削については、高校生が出てくる小説で、乙会をしているものなら読んだことがある(貴志祐介『青の炎』、吉野万理子『雨のち晴れ、ところにより虹』の中の「こころ三分咲き」)。たまたまだろうけれど、S研ゼミをしているものはいまのところ読んだことがないと思う。S研ゼミだと中学生向けというイメージなのかな(そんなこともないか)。予備校と違って、通信添削であれば地域格差がほとんどなくてよいよね。
浪人のときは、代々木公園の近くの予備校に通っている。これも作者のご都合主義的な感じかもしれない。5月1日を描いた連作小説で、5月1日といえばメーデー、代々木公園、したがって町田とかではなく代々木みたいな? 具体的にはYゼミか、千駄ヶ谷のK塾かな(あいわからず東京の地理に不案内です)。家はどこなのか、通っていた高校からは、千駄ヶ谷よりも町田のほうが近いわけでしょう? ――別にどこでもいいか(ちょっとキレ気味)。2浪のときも予備校には通っているようだけれど、同じ予備校かどうかはわからない。1浪して大学に受からないとやっぱり大変、というか、1つ学年が下だった彼女の美奈子は遠くの大学(北海道大学)に受かって、離ればなれになってしまうし、父親はリストラにあってしまうしで、早めに受かるに越したことはないかも。2浪時、予備校をやめたいと言うタカユキに対して、美奈子はとにかく止めている(予備校って「やめます」と言って退学届を出すような学校ではないと思うし、やめるのは予備校ではなくて大学受験、か)。タカユキくん、でも、1浪目で受かっていたら、それほど「成長」できなかったかもしれないし、2浪してかえってよかったのかも。ちなみに、彼女とちゃんと別れる感じになるのは、タカユキが大学生になってからで、とりあえず浪人生小説によくある「大学不合格+失恋」みたいなことにはなっていない。
大学は、たぶん私立文系志望で、結局、法学部も経済学部も落ちたらしく、教育学部に落ち着いたらしい(2007年のいまごろはもう教師?)。どうでもいいけれど、「教育学部」がやけに下に見られているな。あと、こういう書き方を読むと、教育学部って文系、みたいな感じがするけれど、数学科(数学専攻)とかもあるだろうにね、何科に受かったのかな?(国語?社会?その他?)。というか、やっぱりしょうもない終わり方をしている、この小説。ヤマグチさんには小学生の娘がいて(仲直りできて?)、アサダ氏には娘にできた孫がいて、タカユキは教師を目指してもいいかな、みたいな。要するに、子どもに可能性(未来)を見て終わる、という新聞やおっさんが好みそうな発想である。まだ小さい息子や娘、あるいは孫がかわいい、というだけならわかるけれど。そう、1浪のときに出てくる予備校仲間の、元社会人の藤井さん(年齢的には3浪、新聞販売店に住み込んで新聞を配っているらしい)が大学に受かったのか受からなかったのか、は教えて欲しかったな。たぶん受かっていると思うけれど。
ところで、今年(2007年)の5月1日って何があったっけ? ……って、やっぱり新聞でも見ないとわからないな(汗)。[追記:TVドラマ『セクシーボイスアンドロボ』、ゲストは市川実和子、“かんにん袋”。爆弾カレー!]
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