同名書(講談社、1981/講談社文庫、1985)所収。単行本には表題作のみ、文庫本にはもう1篇収録されている。※以下、内容についても触れています。この小説も早いところで浪人ではなくなってしまうので、浪人生小説として読むとがっかりな感じだけれど、主人公が付き合うのが予備校の講師であるし、大学に入ってから予備校に関わるアルバイトを始めるので、(個人的にはあまり興味がないけれど)予備校小説として読むとそれなりに面白いかもしれない。

 <予備校生の弓子は、古文の講師三村がしきりと気になった。三村は五十五歳、まるで親と子の年齢差なのに。それに彼には妻と、二号さえいた。しかしそれがなんだ、自分には自分の愛があるはず……少女弓子が遭遇した大人の愛の世界を、みずみずしいタッチで描く。(略)>(文庫の後ろの紹介文より。)

2号vs.3号の戦い(ロボットかよ!)みたいな話なら単純でわかりやすいだろうけれど、そんなふうでもなく。ひと言でまとめると「おとな」のふりをしている(あるいはふりをしいられた)少女が、「おとな」のような「子供」のような歳上の男と付き合い、別れることによって、歳相応で無理のない自然な「おとな」あるいは「子供」(この小説では大学生)に戻る、というような話かな。……全然「ひと言」でまとまっていない(涙)。年齢差が30歳以上、どうせうまくいくわけがない、とはつい思ってしまうし、弓子も周囲の人からそれに似たようなことを言われもするらしいけれど、結局、最後はそんなような感じになって終わる。要するに2人は別れる。なので(?)読みどころは、どう付き合っているかよりも、どう別れるかになるのかな。作家の高橋源一郎はこの小説について次のように書いている。

 <(略)。限りなくさえない男との恋(映画では山崎努がやっていたっけ。けっこう似合っていたような気がする)が、限りなく現実的でせつないこの物語のクライマックスはパックのお惣菜を容器に移すシーンなので、よく注意して読むように。同じ頃、見延典子の『もう頬づえはつかない』という作品もあったが、僕はこっちに軍配をあげる。>(高橋源一郎「ノン・ジャンルのラヴ・ロマンス(日本篇)ベスト50」[ぼくらはカルチャー探偵団編『恋愛小説の快楽 ブックガイド・ベスト600』角川文庫、1990]より。)

丸括弧の中が長くてわかりくいけれど、文法的には「限りなく現実的でせつない」のは「限りなくさえない男との恋」である。三村はたんにさえないわけではなくて、年齢的にというか経験的に女性の口説き方には長けている。「パックのお惣菜を容器に移す」と言い方も、なにやら違うイメージを抱きそうな表現だけれど、デパートの包み紙のまま開いてテーブルの上に置いてあった冷えたお惣菜を、参考書のゴースト・ライターをして得たお金で買った、いちばん気に入っている小鉢(「容器」といえば「容器」か)に移している。――2人の別れに繋がっていく場面なのだけれど、ここが本当に「クライマックス」なのだろうか、確かに注意して読まないとわからないかもしれない。

浪人に関係するコメントは、こんな箇所くらいしかないかな。

 <(略)。予備校では、学力の絶対評価によってしか人間は分類されない。そして、弓子にとっても、受験勉強は確実に結果を伴って、自分のあらゆる行為を正当化してくれるはずの格好の逃げ場であった。/「栄光の陰に涙あり」/とか、「今泣くか、後で泣くか」/とか言って、受験が迫るにつれてますます元気になっていく友人達から仲間はずれにはなりたくなかった。希望大学には、どうしても入らなければならなかった。>(p.21)

この小説では友人(たち)というのがちょっとくせもの、かな。「ハンサム君」という人以外は直接は登場してこないけれど。弓子は友達たちや母親には三村とのことを隠さずに話しているらしく、よくある(?)2人だけ、みたいな閉じた関係にはなっていない(あるいは、なっていないようでなっている?)。ところで、入試日が近づくとどうして友人達は「元気になっていく」の? 焦燥感とかで壊れぎみ、テンションがおかしくなっているのを、主人公が誤解しているだけだったり? あと、「学力の絶対評価」というのもちょっとハテナかな。受験がらみの「学力」というのは、基本的に「相対評価」でしょう? 偏差値にしても、成績ランキングにしてもそうだし、実際の大学入試にしても人よりも点数が取れれば合格するわけだし。たぶんそういう意味の「絶対」ではないと思うけれど。(「結果」「正当化」うんぬんについては、高田崇史<千波くん>のぴいくんも、浪人の世界は、結果のみが問われ過程が問われないフィリップ・マーロウな世界、とかなんとか言っていたような。)

プロフィール的なことを書いておかないと。高校は女子高で、田舎から出てきているらしい。1人暮らしだったのかな(大学生になってからはアパートで三村と半同棲のような感じ)。母親は元教師で、職業はわからないけれど父親は厳しい人らしい。通っている予備校は……どこ? 代々木の駅から歩ける距離にあるみたい(東京の地理に疎くてすみません)。特待生で、三村の授業では、授業が始まる前に黒板にテキストの答えを書いてしまう助手的な存在らしい。大学(早稲田大学)には受かる。描かれているのは、予備校の新学期(9月?)から、最後「メーデーの代々木駅前」(p.122)と言っているので、大学2年の5月まで?

どうでもいいけれど、三村の年齢が最初と最後で矛盾しているような。最後、もう1年歳を取っていないとおかしいような気がする。あと、これもどうでもいいといえばどうでもいいのだけれど、

 <「お前はかわいいな」/(略)/「誰と比べて?」/(略)/「えっ?」/「『は』っていうのは区別を表わす格助詞でしょう?」/「じゃ、何て言えばいい?」/「主語は、いらないと思いますけど……」/「そうか。……かわいいな」>(p.41)

「は」っていうのは助詞でしょう? ――という決め付けもよくないか(汗)。国語教師の三村は、暗喩と隠喩の違いにはちょっとうるさそうなのに、この格助詞と副助詞の区別にはまったくツッコミを入れていない(うーん…)。会話自体はどこかで聞いたことがあるような「今日はきれいだね」「今日は?」「今日も」――みたいなものと同じタイプか(こちらの「は」はもう格助詞とは言えないかも)。関係ないけれど、「た?」みたいな返しもよくあるか、「なんで過去形?」みたいな意味で。

そう、この小説、笑えるほどではないけれど、ちょくちょく“言葉”が面白い。受験に関係するものでは、誰が言い出したのか、たまに見かけるけれど、「一浪は「ひとなみ」と読む」(p.9)とか、私も昔この覚え方で覚えたけれど、古典文法の語呂合わせ「サ未四已(寂しい)完了の“り”」(p.57)とか。あと、早稲田ってどうして中退する人が多いんだろうね、弓子たちは卒業することを「タテに出る」、中退することを「ヨコに出る」と言っているらしい(p.110)。

[追記]初出は『早稲田文学』1981年4月で、単行本は同年5月に出ているようだ。
 

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