松本侑子 「性遍歴」
2007年7月1日 読書
『恋愛アンソロジー 蜜の眠り』(光文社文庫、2001)所収。10篇(10人が1篇ずつ書いている)中の9篇目。単行本は廣済堂出版から出ている(2000)ようだけれど、収録作によって長さがまちまちなので、たぶん単行本書き下ろしではないと思う。何か他の本でも読めるかもしれない。
森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」ってどういう話だっけ? いちおう読んだことがあるのだけれど、記憶がほとんどないです。それの短め・女性版という感じなのかな(だいぶ違う気もするけれど)。語られているのは、東北の田舎街にいる中学3年のとき、同じく高校3年のとき、上京して寮生活を送っている大学3年のとき、最後、結婚して夫がいる27歳のとき、の4つの時期。3年きざみで最後だけ6年あいているのか。読んでいて、エロいといえばエロいと思うけれど、どうなのかな…、とりあえず、冷静に語られている感じではある。
高校のときの話。同じ部活の先輩として浪人生が登場してくる。浪人生目線で読んでいるせいもあるかと思うけれど、けっこうかわいそうな感じ、この人。というか、かわいそうと思うことがかわいそうなのか(ごめんなさい)。卒業生がうろうろしている学校というのも、ちょっとどうなのかな、在校生からすると嫌というか、じゃまっけな感じ? でも、しかたがない、田舎で予備校がなく、学校の先生が「補講科コース」を設けて卒業生を教えているらしい。敷地内には専用のプレハブ校舎もあるそうだ(進学率、現役合格率がどれくらいの高校なのかわからないけれど、人によっては“四年制高校”という感じかも)。
小説家または翻訳家を目指している「私」(恩田麻美子)は、文芸部(の部室)でパソコンを使って小説を書いているのだけれど、先輩の政志はそこに現れてうろうろしている。それ以外の場所でも「私」につきまとっているらしい(ひと言でいえば、不器用な男の子なのかな)。ほかに好きな男の子もいるし、最初はうとましく思っているのだけれど、「憧れの作家は、山田詠美と中沢けい」(p.243)という「私」は、洋雑誌を見て性器の部分の名前を知ったり、鏡の前で足を開いて確認したり(もちろん家というか自分の部屋で)と、性に対して関心が高まっていて。政志――そういえば語り手は先輩なのに呼び捨て――のことをだんだんと嫌わなくもなるのだけれど、結局、性への関心というか好奇心から、部室で誘惑(のようなこと)を繰り返して、しんぼうたまらん(?)政志くんはことに及んで、失敗…。入れる前にいっちゃうというか。なんていうか、これが青春だよね(違うか)。
中沢けいの「海を感じる時」ってどういう話だっけ? わりと最近読んだのに、すでに記憶がほとんどない。確か文芸部ではなくて新聞部で、先輩につきまとわれるのではなくて先輩(浪人ではない)につきまとう感じ、じゃなかったっけ? ――そんなことはどうでもいいか。大学に関しては、推薦で合格する「私」に対して、1浪の政志のほうはまた失敗。現役のときにはすべり止めもすべて落ちたらしいけれど、今回は受かったすべり止め(私立と国立)を蹴って2浪へ、とのこと。志望は「有名私立大学の文学部」(p.234)で、作家になると言っていたそうだ。最後のへん、「私」が27歳のとき、今では「二浪した政志はロンドン駐在の銀行員だ」(p.271)と言っているので、3浪はしなかったようである。どこの大学に入ったのかわからないけれど、(留年していないければ)24歳で卒業、28歳くらいで海外に飛んでいる銀行員って、一般的な日本人(?)としてはどうなのかな、収入が不安定な小説家よりはずっとまし?
(作中の年代、がよくわからないのだけれど、大学3年のときにはインターネットや携帯電話があって、でも、高校3年のときにはインターネットではなく、わざわざアメリカの雑誌から性に関する知識を得たりしているので、えーと…、わからないや(涙)。高3の時点で1990年代の後半という感じかな。単行本の出版年の2000年から、最後が27歳だから27年を引いてしまうと、おかしくなっちゃうか。1973年生まれ……これでは早すぎる。20、21歳になるのが1993、1994年? 携帯電話ではなくポケットベルの時代? あと、それと関係して中沢けいが好き、というのは1990年代の後半であれば、時代的に多数派じゃないよね、たぶん。山田詠美のほうはわかるけど。)
[追記]アンソロジーではなくて、この1篇が表題作になっている単著があるようだ(『性遍歴』幻冬舎、2001/幻冬舎文庫、2004)。なんで気づかなかったんだろう。
森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」ってどういう話だっけ? いちおう読んだことがあるのだけれど、記憶がほとんどないです。それの短め・女性版という感じなのかな(だいぶ違う気もするけれど)。語られているのは、東北の田舎街にいる中学3年のとき、同じく高校3年のとき、上京して寮生活を送っている大学3年のとき、最後、結婚して夫がいる27歳のとき、の4つの時期。3年きざみで最後だけ6年あいているのか。読んでいて、エロいといえばエロいと思うけれど、どうなのかな…、とりあえず、冷静に語られている感じではある。
高校のときの話。同じ部活の先輩として浪人生が登場してくる。浪人生目線で読んでいるせいもあるかと思うけれど、けっこうかわいそうな感じ、この人。というか、かわいそうと思うことがかわいそうなのか(ごめんなさい)。卒業生がうろうろしている学校というのも、ちょっとどうなのかな、在校生からすると嫌というか、じゃまっけな感じ? でも、しかたがない、田舎で予備校がなく、学校の先生が「補講科コース」を設けて卒業生を教えているらしい。敷地内には専用のプレハブ校舎もあるそうだ(進学率、現役合格率がどれくらいの高校なのかわからないけれど、人によっては“四年制高校”という感じかも)。
小説家または翻訳家を目指している「私」(恩田麻美子)は、文芸部(の部室)でパソコンを使って小説を書いているのだけれど、先輩の政志はそこに現れてうろうろしている。それ以外の場所でも「私」につきまとっているらしい(ひと言でいえば、不器用な男の子なのかな)。ほかに好きな男の子もいるし、最初はうとましく思っているのだけれど、「憧れの作家は、山田詠美と中沢けい」(p.243)という「私」は、洋雑誌を見て性器の部分の名前を知ったり、鏡の前で足を開いて確認したり(もちろん家というか自分の部屋で)と、性に対して関心が高まっていて。政志――そういえば語り手は先輩なのに呼び捨て――のことをだんだんと嫌わなくもなるのだけれど、結局、性への関心というか好奇心から、部室で誘惑(のようなこと)を繰り返して、しんぼうたまらん(?)政志くんはことに及んで、失敗…。入れる前にいっちゃうというか。なんていうか、これが青春だよね(違うか)。
中沢けいの「海を感じる時」ってどういう話だっけ? わりと最近読んだのに、すでに記憶がほとんどない。確か文芸部ではなくて新聞部で、先輩につきまとわれるのではなくて先輩(浪人ではない)につきまとう感じ、じゃなかったっけ? ――そんなことはどうでもいいか。大学に関しては、推薦で合格する「私」に対して、1浪の政志のほうはまた失敗。現役のときにはすべり止めもすべて落ちたらしいけれど、今回は受かったすべり止め(私立と国立)を蹴って2浪へ、とのこと。志望は「有名私立大学の文学部」(p.234)で、作家になると言っていたそうだ。最後のへん、「私」が27歳のとき、今では「二浪した政志はロンドン駐在の銀行員だ」(p.271)と言っているので、3浪はしなかったようである。どこの大学に入ったのかわからないけれど、(留年していないければ)24歳で卒業、28歳くらいで海外に飛んでいる銀行員って、一般的な日本人(?)としてはどうなのかな、収入が不安定な小説家よりはずっとまし?
(作中の年代、がよくわからないのだけれど、大学3年のときにはインターネットや携帯電話があって、でも、高校3年のときにはインターネットではなく、わざわざアメリカの雑誌から性に関する知識を得たりしているので、えーと…、わからないや(涙)。高3の時点で1990年代の後半という感じかな。単行本の出版年の2000年から、最後が27歳だから27年を引いてしまうと、おかしくなっちゃうか。1973年生まれ……これでは早すぎる。20、21歳になるのが1993、1994年? 携帯電話ではなくポケットベルの時代? あと、それと関係して中沢けいが好き、というのは1990年代の後半であれば、時代的に多数派じゃないよね、たぶん。山田詠美のほうはわかるけど。)
[追記]アンソロジーではなくて、この1篇が表題作になっている単著があるようだ(『性遍歴』幻冬舎、2001/幻冬舎文庫、2004)。なんで気づかなかったんだろう。
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