手元にあるのは同名の新潮文庫なのだけれど、「二十一刷改版」(1993)となっている。初版は1974年に出ているらしい。単行本は、収録作品が違うようだけれど、同名のものが筑摩書房から出ているようだ(1966年)。その単行本ではどうなっているのかわからないけれど、手元の文庫では6篇中の5篇目に収録されている。いつものように後ろの紹介文を引用してみると、

 <平穏な日々の内に次第に瀰漫する倦怠と無気力感。そこから抜け出ようとしながら、ふと呟かれた死という言葉[「死」に傍点――引用者注]の奇妙な熱っぽさの中で、集団自殺を企てる少年たち。その無動機の遊戯性に裏づけられた死を、冷徹かつ即物的な手法で、詩的美に昇華した太宰治賞受賞の表題作。他に『鉄橋』『少女架刑』など、しなやかなロマンティシズムとそれを突き破る堅固な現実との出会いに結実した佳品全6編。>(文庫のカバー後ろより。)

とのこと。後ろの「解説」(磯田光一)から切り貼りした感じの文章なので、これだけではわかりにくいかもしれないけれど、要するにストーリー的には、少年たちが集団自殺するという話。主人公というか視点人物の圭一(いちおう苗字は光岡)は、似たような倦怠感、無気力感を抱えている少年グループと付き合っていて、その少年たちの1人として集団自殺を目的とした旅に加わっている。仲間の1人(有川)が運転するトラックに乗って行き着く先は、背後に山があるような北の国の海。――最後、そんな感じで終わっちゃうのか、と思ったけれど、全体的な感想としては、うーん、どうなのかな…。まだ読み終わってあまり日が経っていないけれど、意外と記憶に残りそうな短篇である気はする。って、感想になっていないか(汗)。

死を意識することでしか生が精彩を取り戻さない、みたいな逆説っていったい何だろうね…。こういうことは、ちゃんと考えようとすると、哲学とか心理学の話になってしまうのかな。――それはそれとして、圭一くんが倦怠感にとらわれるようになったのは、予備校に通い始めて2ヶ月くらい経ったころで、夕空を見上げて、それはどうも突然のことだったらしい。家庭環境(両親が不在がち)とか、趣味の移り変わり(小学生のときは昆虫、中学生のときは模型作り)とか、大学受験(かなりの自信があったらしいけれど、不合格)とかは、書かれているのだけれど、結局、それらが倦怠感に襲われたこととどう関係しているのかよくわからない。とりあえず、この小説では、受験に失敗→何をしても無意味、もう何もする気が起きない(=無気力感)みたいなわかりやすいことにはなっていない。勉強がいやで、もう何もかもを放り出したい、みたいなわかりやすい現実逃避とも違っている。それで、どうすればいいのかな、執拗な倦怠感というのは? 精神科の医者に見てもらって元気になる薬をしょ……安易な発想ですね(すみません)。

ところで、いまというか、この旅をしている、季節はいつなのかな? 三宅たちと知り合ったのが3ヶ月前と言っていて、その時点で4月から2ヶ月は経っているはずだから、まぁ、9月くらいでいいのか。海にもまだ入れているし。(というか、ちゃんと読み直せば季節くらい書いてあるかも。)あと、書き忘れたけれど、ちゃんとした参加メンバーは、本人を入れて5人いる。リーダ的な存在の三宅(画塾に籍)、紅一点の(?)槙子(美容学校)、太っている運転手の有川(予備校)、いちばん若い望月(定時制高校)。――高校生(全日制の)とか大学生とかはいないのか、それはそれでちょっと不自然かも。
 

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