山口雅也 『続・垂里冴子のお見合いと推理』
2007年7月31日 読書
講談社、2000/講談社ノベルス、2003/講談社文庫、2004。「続」ではないほう(正編というか)もこの『続・〜』のほうも、1話完結型のものが4篇(4章)収録されている。要するに連作短篇集というか、連作短篇シリーズというか。垂里家の長女、冴子がお見合いをするたびに事件が起こる、みたいな話。――それはいいのだけれど、事件が起こるまでが(お見合いをするまでが)けっこう長くてめんどくさい。いや、別に長いこと自体はいいのかもしれないけれど、その部分がたいして面白くない。読んでいてそれほどいらいらはしないけれど。もっと面白い小説なのかと期待していたので、それほどでもなかったというだけ、というか、(正編の文庫版解説を加納朋子が書いているのだけれど)なんとなく雰囲気的にいわゆる“日常の謎”系のミステリーかと思ってしまって、読んでみたら違っていて、がっかりな感じ。(正編の最初のほうの、お父さんのケーキに対する推理はいらないよね。これが日常系を連想させるのかな。)※言い忘れましたが、今回もネタバレにはご注意ください。
あと(なかなか本題に入れないな)、なんていうか、和洋ごっちゃというか、和洋溶け合わずにごろごろと混ざっているような。例えばこれも正編の冒頭あたり、冴子の16歳離れている弟、高校生の京一が庭に椅子を出して桜(=和)が咲く下で翻訳ミステリー(=洋)を読んでいることとか。あと、わかりやすいところでは、いつも和服姿の冴子がプラスチックの眼鏡(=洋?)をかけていることとか、タイトルなんかも「お見合い」(といえば日本的?)と「推理」(といえば論理的な思考が得意そうな西洋?)の2つの言葉が同居しているところとか。家があるのは神奈川県の観音市、近くに米軍のベース・キャンプがあったり、次女の空美はそこの黒人兵士と付き合っていたりして、そもそもお土地柄からして和洋(日米?)ごっちゃな感じ、なのかな。個人的には、もっと溶け合っているような感じのほうが好き。あるいは、どちらか一方に統一されているほうが。
浪人生小説としての読みどころとしては、まず(『続・〜』の)1篇目、「湯煙のごとき事件」の冒頭。京一が掲示板を見上げて自分の受験番号が見つからない、という場面。正編があるからかもしれないけれど、大学に落ちた場面から始まる小説って、意外と少ないような気がする(そうでもない?)。あと、そう、合格発表は友達と見に行っちゃダメだよね、友達は受かっていて、京一くん、自分だけ落ちていてばつの悪いことになっている。家に帰ったあとの家族の反応とか、夕飯の席が(京一の今後のことで)家族会議化するとか、なんていうか、この小説、やっぱり“家族小説”という感じなのかな(そもそも、冴子のことを家族のみんなが心配するような小説であるし)。で、次女の空美の提案をきっかけに、残念パーティではなくて(両親は行けなくて)きょうだい3人で伊豆に温泉旅行に行くことに。そこでいちおう事件が…。というか、湯治? 受験の疲れや不合格の傷が温泉で癒されるって、理由はどうあれ、おっさん的な発想だよね。いけないってわけじゃないけれど。(さっそく春期講習へ! みたいなことは思わないか、ふつう。)
もう1つ、3篇目の「動く七福神」のほうは、全体的にお薦め。京一の仲間の予備校生が何人か出てくる。時期は、年の瀬=親しくしている古文講師(榎本彰)が開いた鍋パーティーから、年始=初詣とかまで。受験生小説では初詣は定番中の定番かな、お正月が描かれていれば。――ゲン担ぎや思い込み(?)みたいなことがテーマの1篇なのだけれど(受験生といえば、神頼みというイメージ?)、私は初めて聞いた、家の表札を4件盗むと試験に通る=合格する、みたいなゲン担ぎって、本当に昔あったの? うーん…、聞いたことがないな(表札なんか盗まずに、某キッ○カットを食べてきっと勝つ、くらいで我慢しよう?)。だいぶネタバレしてしまうけれど、京一くんは想いを寄せている仲間の1人、真紀(岡田真紀)にふられている。そう、京一くんは私大志望らしい(センター試験は…受けたとは書かれていないのか)。あと、推理小説のたぐいを読んでいるとたまにあるけれど、この1篇も、七福神を動かした真犯人が捕まらないまま終わっている(こういうのってどうなの? 小説にもよるか)。
あと(なかなか本題に入れないな)、なんていうか、和洋ごっちゃというか、和洋溶け合わずにごろごろと混ざっているような。例えばこれも正編の冒頭あたり、冴子の16歳離れている弟、高校生の京一が庭に椅子を出して桜(=和)が咲く下で翻訳ミステリー(=洋)を読んでいることとか。あと、わかりやすいところでは、いつも和服姿の冴子がプラスチックの眼鏡(=洋?)をかけていることとか、タイトルなんかも「お見合い」(といえば日本的?)と「推理」(といえば論理的な思考が得意そうな西洋?)の2つの言葉が同居しているところとか。家があるのは神奈川県の観音市、近くに米軍のベース・キャンプがあったり、次女の空美はそこの黒人兵士と付き合っていたりして、そもそもお土地柄からして和洋(日米?)ごっちゃな感じ、なのかな。個人的には、もっと溶け合っているような感じのほうが好き。あるいは、どちらか一方に統一されているほうが。
浪人生小説としての読みどころとしては、まず(『続・〜』の)1篇目、「湯煙のごとき事件」の冒頭。京一が掲示板を見上げて自分の受験番号が見つからない、という場面。正編があるからかもしれないけれど、大学に落ちた場面から始まる小説って、意外と少ないような気がする(そうでもない?)。あと、そう、合格発表は友達と見に行っちゃダメだよね、友達は受かっていて、京一くん、自分だけ落ちていてばつの悪いことになっている。家に帰ったあとの家族の反応とか、夕飯の席が(京一の今後のことで)家族会議化するとか、なんていうか、この小説、やっぱり“家族小説”という感じなのかな(そもそも、冴子のことを家族のみんなが心配するような小説であるし)。で、次女の空美の提案をきっかけに、残念パーティではなくて(両親は行けなくて)きょうだい3人で伊豆に温泉旅行に行くことに。そこでいちおう事件が…。というか、湯治? 受験の疲れや不合格の傷が温泉で癒されるって、理由はどうあれ、おっさん的な発想だよね。いけないってわけじゃないけれど。(さっそく春期講習へ! みたいなことは思わないか、ふつう。)
もう1つ、3篇目の「動く七福神」のほうは、全体的にお薦め。京一の仲間の予備校生が何人か出てくる。時期は、年の瀬=親しくしている古文講師(榎本彰)が開いた鍋パーティーから、年始=初詣とかまで。受験生小説では初詣は定番中の定番かな、お正月が描かれていれば。――ゲン担ぎや思い込み(?)みたいなことがテーマの1篇なのだけれど(受験生といえば、神頼みというイメージ?)、私は初めて聞いた、家の表札を4件盗むと試験に通る=合格する、みたいなゲン担ぎって、本当に昔あったの? うーん…、聞いたことがないな(表札なんか盗まずに、某キッ○カットを食べてきっと勝つ、くらいで我慢しよう?)。だいぶネタバレしてしまうけれど、京一くんは想いを寄せている仲間の1人、真紀(岡田真紀)にふられている。そう、京一くんは私大志望らしい(センター試験は…受けたとは書かれていないのか)。あと、推理小説のたぐいを読んでいるとたまにあるけれど、この1篇も、七福神を動かした真犯人が捕まらないまま終わっている(こういうのってどうなの? 小説にもよるか)。
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