内容的には無関係であると思うけど、作者が同じなので2篇一緒に取りあげておきます。

「ぼくの出発」(『新潮』1980年7月号)
遊びに来ていた近所の女の子(由美、6歳)にいたずらをしたと疑われ、以前から関係がよくなかった家族――父(おやじ)や兄(兄貴)、そして兄嫁(みどり)――からさらに疎まれ、2度目の大学受験に失敗している「ぼく」は、あさっての朝、N県S町にあるT学園という「全人教育」を施している学校へと厄介払いされることが決まっている。そんなタイム・リミットの迫っている主人公の丸1日が描かれている小説なのだけれど、うーん…、どうなのかな、微妙といえば微妙な小説かもしれない。

これは新潮新人賞(第12回)の受賞作(2作)の1作なのだけれど、選評の中で佐伯彰一は「サリンジャー、また「赤頭巾」のヴァイオレンス版、タッチの荒い当世版」(p.78)という言葉を使っている。“浪人生小説”といえばやっぱり、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』なのだろうか。でも、選者の中でいちばん浪人生小説が得意そうな安岡章太郎がこの作品にケチ(?)をつけているのが、ちょっと解せない(選者はほかに大江健三郎、河野多恵子、三浦哲郎)。『ライ麦』&『赤頭巾』と比べるとどうなのかな? まず、1人称小説で1人称が「ぼく」ではあっても、両者ほど語りが“饒舌”という感じではない。『ライ麦畑でつかまえて』といえば、大人や大人を模倣する若者への反抗と、子どもが持つイノセンス(無垢)への憧れ、それを守ってあげたいみたいな感じ…だったっけ? 

大人への反抗・反感などは、父親をはじめ家族へのそれとして現れている。というか、基本的に言語によるコミュニケーションが欠けているかな、この主人公は。そんなことを言ったら小説として成り立たないかもしれないけれど。逆に、子どもに何か救いを見ているかといえば、近所の女の子(名前が「由美」というのが微妙に『赤頭巾』?)に対しては、もう少し一緒にいたら手を出していたかもしれない、みたいな危ない(?)ことも言っていて、小さな子(特に女の子)の中にイノセンスを見ている感じではない。でも、主人公は小さいころに母親が亡くなっていて母親の愛情には飢えているようで、親と一緒の子ども(親の愛情が注がれた子ども)を羨ましく感じているような場面がある。

そう、大人といえば、「ぼく」が家を出て最初に足を向けるが、なんとなく去年通っていた予備校(「S予備校」)なのだけれど、その近くにある本屋で、偶然、諸岡という予備校講師(男)と会う。その講師は「おやじ」の大学の後輩で、「ぼく」は個人教授も受けていたようだ。詩を書いたりもするらしく、気分にむらがあって、要するにちゃんと大人になれていない大人というか。去年、その諸岡の家でキスを強要されたりもしたらしいけれど(微妙にBL?)、「ぼく」はその予備校講師に対しては共感と反感の両方の感情を抱いている感じ。なんていうか、この諸岡みたいな予備校の先生って、実際にもいそうな感じがして、個人的にはちょっと怖い、かな(どういう授業をしているのかわからないけれど、いま21世紀、予備校の教壇に立っているとしたら不人気爆発?)。ちなみに、大学受験(2度目)に失敗した理由は、本人曰く、<(略)ぼくの堕落の一番の原因がS予備校の諸岡にあるとも思っている>(p.108)とのことで、よくわからないけれど、大学合格には“師”とのめぐり合わせも大事、ということなのかもしれない。

“ヴァイオレンス”に関しては、最後の場面(ちょっとネタバレしてしまうけれど)そうでもしなければ話を終わりにできなかった(「ぼく」が「出発」できなかった?)のかもしれないけれど、例えば『ライ麦』の「僕」(ホールデン・コールフィールド)が、小学校の壁に卑猥な言葉を書いた犯人がわかったとしても、たぶんその犯人を衝動的に殴ったりはしなかったと思う。内に秘めた暴力というか鬱屈した感じといえば、出かける前に、想像して変形させた(?)脳内兄嫁をお肴にひとりエッ○をしているし、微妙に中上健次の「十九歳の地図」も混じっているのかな?(関係ないか)。

浪人がらみの話では、ほかに、主人公は諸岡と喫茶店(<ボン>)で話をしたあと、デパートの屋上に行ってから去年予備校で一緒だった明子という女の子の家へ行く。明子は、模擬テストではいつもトップで、講師みんなが太鼓判を押すほど合格が確実だったのに大学には受からなかったらしい(受けたのはT医大)。具体的に何が原因で不合格になったのか、書かれていないけれど、まぁそういう人もいるだろうね。小説としては、その明子の部屋で2人がいちゃついている(?)場面が、なんていうか、いちばんほのぼのしている(「明子」だけに明るい?)感じだったかな。

「他人の領分」(『新潮』1980年10月号)
ユキという1人の女の子について、彼女が東京で下宿を始める先の叔母さんと、地元の高校で同級生だった彼氏とが交互に語っている小説。自分の気持ちをほとんど口に出さない姪/彼女に「わたし」も「俺」も振り回されている感じ。ユキは社会人というか働き始めているのだけれど、「わたし」もいちおう社会人で、「俺」のほうは浪人生。この「俺」は、比較的“饒舌”に語っているかもしれない。話は「わたし」(叔母さん)に関しては、1人称小説によくある、だんだんと語り手の狂気が読者にわかっていくような話かな。主な登場人物が3人いて、要するにお互いの認識のずれや、それゆえ必要なはずであるコミュニケーションもない、みたいな感じかもしれない。もちろん(?)いちばん悪いのは無口な(年齢は18歳でも)思春期の女の子のようなのユキだろうけれど。

ネタバレしてしまうけれど、これも後半、微妙に「○○小説かよ!」と言いたくなってくる話かも。特に「俺」視点では「△△告知」されてしまうわけだし。あれ、地元ってどこだっけ? 「裏日本の地方都市」――もっと具体的に書かれた箇所があったかもしれない(「ぼくの出発」のN県というのは新潟県?)。ユキが身を寄せている叔母さんの家は、「常磐線沿線のA市」とのこと。それはいいとして、「俺」はやっぱり家の人から東京で1年浪人することは許されなかったのだろうか、とりあえず夏期講座を受けるため(という口実で彼女の近くにいるために)上京している。ちょっと引用させてもらうと、

 <S予備校では、今まで見たこともないような難しいテキストといばりくさった講師連中が待っていた。寮にもどれば、かたっくるしい規則ととりすました寮生。>(p.66)

とのこと。予備校の名前がまた「S予備校」だな。「難しいテキスト」で授業にはついていけているのかな。というか、申し込む前に難易度によるコース分けみたいなものはなかったのか? あと、よく知らないのだけれど、こういう夏期講習(講座)を受ける生徒だけを受け入れている専用の予備校の寮ってあるの?(よく覚えていないけれど、高校3年生小説、川西蘭「春一番が吹くまで」ではたしか、浪人生もいる予備校生向けの下宿かなんかを借りていたような)。

現役のときに受からなかった理由は、受験生としては大事な時期に恋愛にうつつを抜かしていたから?
 

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