安岡章太郎 <順太郎もの>
2007年10月14日 読書
レビュー機能で探しても出てこないな(画像のあるほかの本のでいいか)。旺文社文庫版『青葉しげれる』(1976)の前半に収録されている4篇(8篇中の4篇)。事実関係がずれていたりして、厳密な続きものではないようだけれど、とりあえず、時間は(飛ぶけれど)進んでいて、3篇目の途中までが阿部順太郎、浪人中です。後ろの解説(清岡卓行「秀才の奇妙な怠惰」)が端整なわかりやすい文章になっていて、私がぐだぐだと感想を書く必要もないと思うけれど、一応いつものように。――カバーの折り返しの紹介文を引用しておけば、
<ここ数年来、阿部順太郎の心に「春」と「落第」とは切り離せない。彼、決してアタマは悪くないのにそれが一向に勉強へむかわず、予備校仲間と銀座裏の喫茶店にトグロを巻いたり、玉の井見物に出掛けたりの毎日……。日中戦争下の暗く閉ざされた時代を背景にした『青葉しげれる』以下の“順太郎物語”四部作を中心にした傑作短篇集。>
とのこと。多浪生にとって春は、不合格の季節なんだね…。順太郎くんは頭が悪くないだけでなく、去年は表彰されるほど無遅刻無欠席で予備校に通っていたらしい。浪人生活(3年目)や浪人仲間(山田、高木、後藤)、戦争(父親は陸軍大佐だっけ?)と…、あと↑で欠けているのは女性かな、主人公を縛りつけている感じの母親や、喫茶店や(玉の井だけでなく)売春街にいる女。
「青葉しげれる」(『中央公論』1958年10月号)
Z大学予科の不合格通知が来て3浪が決定する。たぶん1940年の話で(作者は1920年生まれ)個人的に驚いたのは、予備校とは別に徴兵が猶予される学校(ここでは「理数科学校」)の入学手続きをしていること。3浪では20歳を超えちゃうもんね…、というか、多浪生にはそんな手段が知られていたとは!? んで、その手続きのさいに同じ予備校で顔を知っていた2人、山田と高木(3浪、4浪が決定)と会って、喫茶店に行くなどして以降、友達付き合いをするように。小説としては、自分を束縛する母親から離れたい離れられない(逃げたい逃げられない)といった話題が大事なのかもしれないけれど、それはそれとして。浪人生小説としても、“戦争”と“浪人”が気分的に(灰色的に)通じている感じとか、(時代背景はともかく)1人の浪人生の行動や心理が描かれていて面白いです。「解説」とかぶらない箇所で、例えば細かいところだけれど(時代を感じるところで)次の箇所、
<(略)さすがの順太郎も予備校では三年間、同じ机に向かって同じ問題集をひろげ、同じ黒板にかかれた定冠詞の使用法だのトレミーの定理だのを、同じ顔ぶれの教師から聞かされることには倦き倦きして(略)>(p.29)
予備校での授業内容/学習内容の一端が知れる感じ。昔の参考書、山崎貞『新々英文解釈研究』はそういえば「冠詞」から始まっていたっけな。「トレミーの定理」ってなんだっけ? あとこの時代の人は、2浪目以降、予備校を変えたりしなかったのかな?(神田のへんにたくさんあるのに)。
「一年後」(『日本』1959年4月号)
戦地から戻った父親のいる北九州F市にいた母親が、伯母の家で暮らす順太郎に会いに戻ってくる場面から始まる。試験はだいぶ近づいているけれど、まだ1年は経っていない。これも主人公の心理面のほうが大事な作品だろうけど、浪人生小説としては、具体的な箇所では次の2点が個人的には目にとまったかな。1つは、回想的に語られている前年度受験したZ工大(=Z大?)の予科に不合格になった理由。苦手な数学をその大学のR教授のもとに習いに行って(入試問題が漏洩しちゃっているよ…、あーあ)第1次は合格するのだけれど、2次の面接で失敗する、みたいな話。もう1つは、山田や高木は顔を見せないのだけれど、順太郎はいちおう参加している予備校(「J予備校」)の「修了式」の場面。昔もいまも変わらないのか、<こうした学校の経営者には、新興宗教の教祖的な性格がみられる>(p.57)とのことで(要するに“カリスマ性”が必要なわけだね)、その教師兼経営者の水上曰く、
<「諸君は名誉あるJ予備校の生徒である。その誇りを諸君は忘れないでもらいたい。毎年、一高の入学者数の三分の一は本校出身者によってしめられている。(略)>(同頁)
東大合格者3分の1は多く言いすぎだろう…。でも、戦後だんだんとデータな世の中になっても、予備校のこうした“誇大広告”は変わらない、というか、むしろ巧妙になっている? 夏期講習を受けただけ、模擬テストを受けただけの受験生も勘定に入れたりとかして。上の引用のあと、その教師(経営者)は生徒たちに、将来“J校内閣”を組織してもらいたい、と語っている。微妙な学閥だな(汗)。政治家どうしの会話で「先生って○○予備校だったんですか、わたしもなんですよー。△△先生の英語の授業、受けてました? あれ、おもしろかったですよねー」くらいならあるか(というか、会話軽すぎ…)。
「相も変らず」(『新潮』1959年6月号)
大事な試験の前夜に高木の下宿に呼ばれていくと、温泉宿から連れ帰ってきたという女がいて、みんなで馬鹿騒ぎ。一睡もできなかったらしく、翌日の試験は悲惨な感じに。――浪人生小説としてはあと2点がポイント(?)かな。1つは、P大(予科)の医科を受けると母親には嘘を言って、本当は文科を受けて合格。嘘でもつかなければ、3年も続いている浪人生活に終止符が打てないよね(?)。関係ないけれど、作家の遠藤周作は父親に同種の嘘をついて、ばれたとき勘当されたのではなかったっけ? もう1点は、タイトルにも絡む心理的なことで、山田もだけれど、順太郎は大学に入っても、浪人時と精神状態はあまり変わっていないこと。どうしても入りたかった大学(旧制なら高校・大学予科)に努力して入れれば、現状すなわち新しい学校生活に満足もできるだろうけれど(期待はずれや、努力しすぎた“燃え尽き”はあるかもしれないけれど)、「しかたがない、この大学(旧制高校・大学予科)でいいや」と妥協して進学した場合は、本人の中で浪人生活に決着がつかないというか、どこか“不完全燃焼感”が残ってしまって、内的に(気持ち的に)浪人生活の灰色ぐあいが持続してしまう感じ? この小説の場合は晴れない雲、“戦争”というファクターもあるけれど。
「むし暑い朝」(『中央公論』1961年10月号)
退屈な大学生活から逃れるために、徴兵猶予の取り消しを言い出したものの、山田だけがして自分がそれをせず、要するに裏切ってしまった友人とどう接すればいいのか、という話と、もう1つ、ネタバレしてしまうけれど、喫茶店に勤める和子から「できちゃったの」と言われて、病院などをどうするか、といった“妊娠小説”な話。作者本人の経験は知らないけれど、大学生パートになって“妊娠小説”になっているのは、なんていうか、配慮? そういえば浪人生小説には基本的に“妊娠小説”が少ないような。なくはない(絶対量はある)けれど、もし比較的少ないとしたら、勉強でそれどころではないからか。
(お薦めなのだけれど、手に入れにくいかな…。1篇目と3篇目が収録されている新潮文庫『質屋の女房』は、私がよく行く新刊書店にはふつうに置かれていました。あるいは、安岡章太郎だから何か文学全集でも読めるかもしれない。)
<ここ数年来、阿部順太郎の心に「春」と「落第」とは切り離せない。彼、決してアタマは悪くないのにそれが一向に勉強へむかわず、予備校仲間と銀座裏の喫茶店にトグロを巻いたり、玉の井見物に出掛けたりの毎日……。日中戦争下の暗く閉ざされた時代を背景にした『青葉しげれる』以下の“順太郎物語”四部作を中心にした傑作短篇集。>
とのこと。多浪生にとって春は、不合格の季節なんだね…。順太郎くんは頭が悪くないだけでなく、去年は表彰されるほど無遅刻無欠席で予備校に通っていたらしい。浪人生活(3年目)や浪人仲間(山田、高木、後藤)、戦争(父親は陸軍大佐だっけ?)と…、あと↑で欠けているのは女性かな、主人公を縛りつけている感じの母親や、喫茶店や(玉の井だけでなく)売春街にいる女。
「青葉しげれる」(『中央公論』1958年10月号)
Z大学予科の不合格通知が来て3浪が決定する。たぶん1940年の話で(作者は1920年生まれ)個人的に驚いたのは、予備校とは別に徴兵が猶予される学校(ここでは「理数科学校」)の入学手続きをしていること。3浪では20歳を超えちゃうもんね…、というか、多浪生にはそんな手段が知られていたとは!? んで、その手続きのさいに同じ予備校で顔を知っていた2人、山田と高木(3浪、4浪が決定)と会って、喫茶店に行くなどして以降、友達付き合いをするように。小説としては、自分を束縛する母親から離れたい離れられない(逃げたい逃げられない)といった話題が大事なのかもしれないけれど、それはそれとして。浪人生小説としても、“戦争”と“浪人”が気分的に(灰色的に)通じている感じとか、(時代背景はともかく)1人の浪人生の行動や心理が描かれていて面白いです。「解説」とかぶらない箇所で、例えば細かいところだけれど(時代を感じるところで)次の箇所、
<(略)さすがの順太郎も予備校では三年間、同じ机に向かって同じ問題集をひろげ、同じ黒板にかかれた定冠詞の使用法だのトレミーの定理だのを、同じ顔ぶれの教師から聞かされることには倦き倦きして(略)>(p.29)
予備校での授業内容/学習内容の一端が知れる感じ。昔の参考書、山崎貞『新々英文解釈研究』はそういえば「冠詞」から始まっていたっけな。「トレミーの定理」ってなんだっけ? あとこの時代の人は、2浪目以降、予備校を変えたりしなかったのかな?(神田のへんにたくさんあるのに)。
「一年後」(『日本』1959年4月号)
戦地から戻った父親のいる北九州F市にいた母親が、伯母の家で暮らす順太郎に会いに戻ってくる場面から始まる。試験はだいぶ近づいているけれど、まだ1年は経っていない。これも主人公の心理面のほうが大事な作品だろうけど、浪人生小説としては、具体的な箇所では次の2点が個人的には目にとまったかな。1つは、回想的に語られている前年度受験したZ工大(=Z大?)の予科に不合格になった理由。苦手な数学をその大学のR教授のもとに習いに行って(入試問題が漏洩しちゃっているよ…、あーあ)第1次は合格するのだけれど、2次の面接で失敗する、みたいな話。もう1つは、山田や高木は顔を見せないのだけれど、順太郎はいちおう参加している予備校(「J予備校」)の「修了式」の場面。昔もいまも変わらないのか、<こうした学校の経営者には、新興宗教の教祖的な性格がみられる>(p.57)とのことで(要するに“カリスマ性”が必要なわけだね)、その教師兼経営者の水上曰く、
<「諸君は名誉あるJ予備校の生徒である。その誇りを諸君は忘れないでもらいたい。毎年、一高の入学者数の三分の一は本校出身者によってしめられている。(略)>(同頁)
東大合格者3分の1は多く言いすぎだろう…。でも、戦後だんだんとデータな世の中になっても、予備校のこうした“誇大広告”は変わらない、というか、むしろ巧妙になっている? 夏期講習を受けただけ、模擬テストを受けただけの受験生も勘定に入れたりとかして。上の引用のあと、その教師(経営者)は生徒たちに、将来“J校内閣”を組織してもらいたい、と語っている。微妙な学閥だな(汗)。政治家どうしの会話で「先生って○○予備校だったんですか、わたしもなんですよー。△△先生の英語の授業、受けてました? あれ、おもしろかったですよねー」くらいならあるか(というか、会話軽すぎ…)。
「相も変らず」(『新潮』1959年6月号)
大事な試験の前夜に高木の下宿に呼ばれていくと、温泉宿から連れ帰ってきたという女がいて、みんなで馬鹿騒ぎ。一睡もできなかったらしく、翌日の試験は悲惨な感じに。――浪人生小説としてはあと2点がポイント(?)かな。1つは、P大(予科)の医科を受けると母親には嘘を言って、本当は文科を受けて合格。嘘でもつかなければ、3年も続いている浪人生活に終止符が打てないよね(?)。関係ないけれど、作家の遠藤周作は父親に同種の嘘をついて、ばれたとき勘当されたのではなかったっけ? もう1点は、タイトルにも絡む心理的なことで、山田もだけれど、順太郎は大学に入っても、浪人時と精神状態はあまり変わっていないこと。どうしても入りたかった大学(旧制なら高校・大学予科)に努力して入れれば、現状すなわち新しい学校生活に満足もできるだろうけれど(期待はずれや、努力しすぎた“燃え尽き”はあるかもしれないけれど)、「しかたがない、この大学(旧制高校・大学予科)でいいや」と妥協して進学した場合は、本人の中で浪人生活に決着がつかないというか、どこか“不完全燃焼感”が残ってしまって、内的に(気持ち的に)浪人生活の灰色ぐあいが持続してしまう感じ? この小説の場合は晴れない雲、“戦争”というファクターもあるけれど。
「むし暑い朝」(『中央公論』1961年10月号)
退屈な大学生活から逃れるために、徴兵猶予の取り消しを言い出したものの、山田だけがして自分がそれをせず、要するに裏切ってしまった友人とどう接すればいいのか、という話と、もう1つ、ネタバレしてしまうけれど、喫茶店に勤める和子から「できちゃったの」と言われて、病院などをどうするか、といった“妊娠小説”な話。作者本人の経験は知らないけれど、大学生パートになって“妊娠小説”になっているのは、なんていうか、配慮? そういえば浪人生小説には基本的に“妊娠小説”が少ないような。なくはない(絶対量はある)けれど、もし比較的少ないとしたら、勉強でそれどころではないからか。
(お薦めなのだけれど、手に入れにくいかな…。1篇目と3篇目が収録されている新潮文庫『質屋の女房』は、私がよく行く新刊書店にはふつうに置かれていました。あるいは、安岡章太郎だから何か文学全集でも読めるかもしれない。)
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