松原好之 『京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ』
2007年10月16日 読書集英社、1980。面白かったか面白くなかったか以前に、この小説も読んでいてなかなか意味が頭に入ってこなくて…。語られている内容が主人公の行動に比べて抽象的で、タイトルからもうかがえるけれど、表現もちょっと大袈裟な小説であると思う。そんなわけで(?)例によって表面的な話の流れだけを読んで、むりやりに読了です。主人公の「僕」(空知誠)は、賀茂川近くに下宿している京都大学理学部志望の予備校生。同じ下宿には偶然、高校のときに学園紛争のカリスマ的な存在であった男、吹石がいて(「僕」の実家、高校は静岡)、手紙の中で忠告をしてくれる友達(本田とよひこ、東大理?現役合格)や高校の英語教師(木下葉子)もいるのだけれど、主人公はその吹石にだんだんと影響されていく、みたいな話。←違ってますか? 下宿には浪人生ばかりが入居しているっぽい。名前が出てくるのは10人弱くらい? 最初のほうでは川原でソフトボールをしていると書かれていたり、友達友達みたいな感じではないけれど、とりあえず吹石が波風を立てる前まではみんな仲が悪い感じではない。あと、そう、「僕」と付き合うようになる短大生のユウコが、平手で殴られたりとか、最後のところとか、ちょっとかわいそうかな。ちなみに、描かれているのは春から翌年の入試日まで。
ところで、大森望・豊?由美『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版、2004)という対談本に次のような箇所がある。
<大森 すばる文学賞といえば、最初のころに、「京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ」(松原好之 第3回)っていう、タイトルも中身もものすごい作品がありましたね。当時、あまりのことに「なんじゃこれは」と話題になった。今となっては懐かしいなあ(笑)。/豊? この人消えてるんですか? /大森 うん、これ一作でしょう。ちょうど僕が大学に受かって京都へ来たばかりのころに出たんで、どれどれと思って読んだけど……とにかくもう、なんとも形容しがたいくらいすごい珍品でした。なんだったんだろうな、あれは。>(p.68)
誰が読んでもアレ(?)な小説かもしれないけれど、現役合格した現役京大生が、(時代はずれていても)ほとんど同じ歳の京大浪人生が主人公である小説を読む……というのはどんなもんだろうね? さくっとは感情移入ができないかもしれない。大森氏(1961年生まれ、SF翻訳家)は、「これ一作でしょう」と語っているけれど、まったく話題にならなかったにしても、いちおう同じ集英社からあと2冊小説が出ているようだ(『過激派はやさしい瞳をしている』『結婚式』)。([訂正]この2作は、本にはなっていない雑誌掲載作どまりのようだ。)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
余分な話をしてもしようがないけれど、個人的にはこの『京都よ、〜』の前に、同じ作者の「再生不良性貧血」と題する小説を読んだことがあって。作者(1952年生まれ)は予備校講師で受験参考書も出しているらしいのだけれど、昔――といってもそれほど昔ではないか、受験雑誌『螢雪時代』の姉妹誌のような、学習記事を中心とした『螢雪アルシェ』(または『KEISETSU Arche』)という雑誌があったのだけれど、「再生〜」は、そこで連載されていたもの(1998年4月号〜1999年2月号。その2月号で休刊に)。内容はぜんぜん覚えていなくて――部屋の奥のほうからいま取り出して見てみると――、そう、主人公が予備校講師だったっけな、思い出しました(主人公は1970年生まれらしい)。でも、それ以外のことがぜんぜん覚えていない(汗)。とりあえず、「第一回」をざっと見てみたかぎり、受験生が読んでおもしろい小説であるとはとても思えない。若い女の子とかならまだしも、20代後半の男性が死亡確率50%の病気にかかってもなぁ…。ちなみに、私が読んだのは大学生のときで、家庭教師や小さな塾でアルバイトをしていたとき。
そういえば、塾でバイトをしていたときに、何かの折にほかの講師というか、別の大学に通っていた大学生に、「『アルシェ』って知ってますか?」と訊いたら、「ああ、日○教○フォー○ムね」と返されたことがあるのだけれど、その雑誌が休刊する前くらいは、執筆者の多くがその予備校講師団体所属の人になっている。『アルシェ』の連載記事は、“螢雪ライブシリーズ”として単行本化されていたのだけれど、ほとんど絶版?(薬袋善郎の「モヤモヤを残さない英文法」という連載記事が『TOEICテストスーパートレーニング 基礎文法編』として単行本化されていて、それはまだ手に入るかな。同様の形でほかにも命を保っている記事があるかも)。いま手に入る旺文社の参考書としては、執筆者が予備校講師であるし、“DOシリーズ”というのが中身的にはいちばん近いかな? ……えーと、ずるずるした話が続くけれど、昔、研究社から出ていた英語教師向け・受験生向けの雑誌に『高校英語研究』というのもあって(よく知らないけれど、前身は『受験と学生』。歴史のあった雑誌)、何かの折に人と話していたら、「晩年は駿台化していましたよね」と言われたことがあって。私は最後の1年しか知らないけれど(1996年3月号で休刊に)、執筆者の何人かがその予備校の講師または元講師で、そう言われれば確かにそうだったかもしれない。
同様に(?)以前、研究社から英語教師向けに『現代英語教育』という雑誌が出ていたのだけれど(休刊した『高英研』の代わりに購入していた感じ)、誰かがその雑誌について、「最後のころは予備校化していた」と書いていたのを読んだことがある(ネットでかな、あとで検索しておきます)。どういう意味でそう言っていたのかは覚えていないけれど、最後の1年(1998年度)にはその名もずばり、「予備校の流儀」という連載記事が掲載されていた。で、それを担当していたのがまた予備校講師の集団、○本○育○ォーラムなわけで。持ち回りというかリレー連載のような形だったのだけれど、まともな文章を書いている人(福崎伍郎とか薬袋善郎とか)もたしかにいて、でも、しかし――あぁやっと話が元に戻る(涙)、大森望が感じたことにもたぶん通じるかと思う、その中で一読、個人的に「なんじゃこれは」と思ったのが、松原氏の記事。「第10回 語学の大衆化と文法」(1999年2月号)、「第11回 知恵の塊としての文法」(同年3月号。その3月号で休刊に)。なんていうか、だらだらと野球の話とか書きやがって? これ、誰からも怒られなかったのかな…、とりあえず教育誌に載せていいような文章じゃないと思う。
ところで、大森望・豊?由美『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版、2004)という対談本に次のような箇所がある。
<大森 すばる文学賞といえば、最初のころに、「京都よ、わが情念のはるかな飛翔を支えよ」(松原好之 第3回)っていう、タイトルも中身もものすごい作品がありましたね。当時、あまりのことに「なんじゃこれは」と話題になった。今となっては懐かしいなあ(笑)。/豊? この人消えてるんですか? /大森 うん、これ一作でしょう。ちょうど僕が大学に受かって京都へ来たばかりのころに出たんで、どれどれと思って読んだけど……とにかくもう、なんとも形容しがたいくらいすごい珍品でした。なんだったんだろうな、あれは。>(p.68)
誰が読んでもアレ(?)な小説かもしれないけれど、現役合格した現役京大生が、(時代はずれていても)ほとんど同じ歳の京大浪人生が主人公である小説を読む……というのはどんなもんだろうね? さくっとは感情移入ができないかもしれない。大森氏(1961年生まれ、SF翻訳家)は、「これ一作でしょう」と語っているけれど、まったく話題にならなかったにしても、いちおう同じ集英社からあと2冊小説が出ているようだ(『過激派はやさしい瞳をしている』『結婚式』)。([訂正]この2作は、本にはなっていない雑誌掲載作どまりのようだ。)
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余分な話をしてもしようがないけれど、個人的にはこの『京都よ、〜』の前に、同じ作者の「再生不良性貧血」と題する小説を読んだことがあって。作者(1952年生まれ)は予備校講師で受験参考書も出しているらしいのだけれど、昔――といってもそれほど昔ではないか、受験雑誌『螢雪時代』の姉妹誌のような、学習記事を中心とした『螢雪アルシェ』(または『KEISETSU Arche』)という雑誌があったのだけれど、「再生〜」は、そこで連載されていたもの(1998年4月号〜1999年2月号。その2月号で休刊に)。内容はぜんぜん覚えていなくて――部屋の奥のほうからいま取り出して見てみると――、そう、主人公が予備校講師だったっけな、思い出しました(主人公は1970年生まれらしい)。でも、それ以外のことがぜんぜん覚えていない(汗)。とりあえず、「第一回」をざっと見てみたかぎり、受験生が読んでおもしろい小説であるとはとても思えない。若い女の子とかならまだしも、20代後半の男性が死亡確率50%の病気にかかってもなぁ…。ちなみに、私が読んだのは大学生のときで、家庭教師や小さな塾でアルバイトをしていたとき。
そういえば、塾でバイトをしていたときに、何かの折にほかの講師というか、別の大学に通っていた大学生に、「『アルシェ』って知ってますか?」と訊いたら、「ああ、日○教○フォー○ムね」と返されたことがあるのだけれど、その雑誌が休刊する前くらいは、執筆者の多くがその予備校講師団体所属の人になっている。『アルシェ』の連載記事は、“螢雪ライブシリーズ”として単行本化されていたのだけれど、ほとんど絶版?(薬袋善郎の「モヤモヤを残さない英文法」という連載記事が『TOEICテストスーパートレーニング 基礎文法編』として単行本化されていて、それはまだ手に入るかな。同様の形でほかにも命を保っている記事があるかも)。いま手に入る旺文社の参考書としては、執筆者が予備校講師であるし、“DOシリーズ”というのが中身的にはいちばん近いかな? ……えーと、ずるずるした話が続くけれど、昔、研究社から出ていた英語教師向け・受験生向けの雑誌に『高校英語研究』というのもあって(よく知らないけれど、前身は『受験と学生』。歴史のあった雑誌)、何かの折に人と話していたら、「晩年は駿台化していましたよね」と言われたことがあって。私は最後の1年しか知らないけれど(1996年3月号で休刊に)、執筆者の何人かがその予備校の講師または元講師で、そう言われれば確かにそうだったかもしれない。
同様に(?)以前、研究社から英語教師向けに『現代英語教育』という雑誌が出ていたのだけれど(休刊した『高英研』の代わりに購入していた感じ)、誰かがその雑誌について、「最後のころは予備校化していた」と書いていたのを読んだことがある(ネットでかな、あとで検索しておきます)。どういう意味でそう言っていたのかは覚えていないけれど、最後の1年(1998年度)にはその名もずばり、「予備校の流儀」という連載記事が掲載されていた。で、それを担当していたのがまた予備校講師の集団、○本○育○ォーラムなわけで。持ち回りというかリレー連載のような形だったのだけれど、まともな文章を書いている人(福崎伍郎とか薬袋善郎とか)もたしかにいて、でも、しかし――あぁやっと話が元に戻る(涙)、大森望が感じたことにもたぶん通じるかと思う、その中で一読、個人的に「なんじゃこれは」と思ったのが、松原氏の記事。「第10回 語学の大衆化と文法」(1999年2月号)、「第11回 知恵の塊としての文法」(同年3月号。その3月号で休刊に)。なんていうか、だらだらと野球の話とか書きやがって? これ、誰からも怒られなかったのかな…、とりあえず教育誌に載せていいような文章じゃないと思う。
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