梶龍雄 『我が青春に殺意あり』
2008年3月9日 読書徳間文庫、1989。『青春迷路殺人事件』(講談社、1985)が改題されたもの。この作者の小説を読むのはこれで2冊目なのだけれど、なんていうか、さわやかなのとは違うと思うけれど、ちょっとさらさらとしている、というか。少なくともべたついた感じはしないかな。つまらなくはないけれど、どうなんだろう、おすすめ度は2.8くらいで?(100点満点なら56点……、もう少し高くてもいいかもしれない)。※以下、ネタバレにはご注意ください。
<昭和十一年春、京都の老舗の御曹司で慶大生の亀富修一が、東京・芝で殺された。容疑者は二人。一人は被害者の実弟で高校浪人の浩二、もう一人は腹違いの弟で一高野球部の投手・守人。動機は相続争いか、恋のもつれか。折りしも一高と三高の野球対抗戦があり、それぞれの高校の生徒が探偵役となって事件の解明にあたる……。/ニ・ニ六事件に揺れる世相を背景に、モダーンに生きる青春群像を描く推理長篇。>(カバー後ろより。)
だいぶ前に古本屋で↑これを見て、浪人生が出てくる、と思って買ってみたのだけれど、読んでみたら例によって(?)なかなか出てこなくて…(涙)。話には出てくるけれど、本人が登場してきたのが100ページをだいぶ超えてから、だったと思う。(というか、最近、小説を読むことに疲れているので、しばらく読むのをやめようかな…。小説だけでなく本というか、文章全体に対して疲れぎみ。)
野球はもちろん、2校のぶつかる対決だけれど、推理のほうは、最初、独立して調べていた高校生、一高生の宮寺冬樹(文丙、3年)と三高生の芝崎英彦(理乙、2年)の2人が合流して(出会って)協力して調査したり、推理したりしていく。あ、でも、最後のほう、お互いが推理を披露する、みたいな感じにもなっている。「解説」(大内茂男)で初版本(単行本のこと?)にはあるらしい“著者の言葉”が引用されていて、それを読むと、あえて書いているみたいなのだけれど、登場人物やストーリーなどがかなり図式的に整理できてしまう感じ。死体の第一発見者である冬樹くんは、東京で遊びも知っている文学青年で、一方の、京都から上京してくる英彦くん(岐阜出身)は純朴な、医者を目指している理系思考な青年、みたいな。主な犯人候補である2人も、かたやスポーツ青年の一高生(亀富守人)、かたやあまり運動はしていないだろう浪人生(亀富浩二)であるし。その2人には1人ずつアリバイを証明してくれる女の子がいるのだけれど(金藤智子、江川真弓)、その2人も社会的な身分や性格が対照的といえば対照的な感じになっている。
で、注目したいのはいつものように浪人生であるわけだけれど、この小説もなぁ…。浩二くん、まず何浪目なのかがよくわからない(涙)。最初のほうで英彦にもたらされる情報で、「2、3浪」みたいに書かれていたと思うけれど、亀富兄弟のニ男の浩二と、父親の後妻の連れ子(…なんか差別用語っぽくて嫌だな、ほかの日本語はないの?)である三男の守人は、誕生日が数ヶ月違いの同じ年齢なんだっけな…、それも不確かな情報だっけ? でも、もしそうであるなら、守人が3年生(理甲)であるから(その守人がいわゆる“四修”でなければ)、浩二はたぶん(中学を卒業して)浪人3年目であると思う。(なんとなく、この小説の世界では四修での受験、が忘れ去られているような感じがしないでもない。)
志望校は(これも不確かな情報だけれど)一高らしい。三高志望なら実家の京都にそのままいれるのにね。というか、長男の修一(雑誌にすでに小説を発表したりしている、慶應大学国文学科の3年生)は死んでしまうけれど、亀富3兄弟は東京でばらばらに暮らしていたわけか。アルバイトをしているわけでもなく、上の2人はカフェに行ったりとか、遊び歩いてもいるわけで、なんていうか、自分が親だったらみんな一緒に暮らせや、みたいなことは思っちゃうけどね(貧乏人思考ですかそうですか(汗))。
実家は呉服問屋だっけ?(違うか、西陣の着物の問屋? ――同じか)。なのに、和装ではない“モボ”(=モダンボーイ)な格好。銀座のカフェに出入りしていたり、そこの女給と付き合っていたり、金持ちの息子の甘やかされ遊蕩浪人生か、みたいなことも思ってしまうけど(家には「ばあや」がいるし。自炊くらいしろ?)、そう思っていると、読者も裏切られてしまうというか。大学…じゃなかった、高校(旧制)に受からない理由は、これも本人が言っているわけではないので不確かな感じだけれど、勉強ができないからではなく、運が悪いから、不運ゆえ、らしい。――でも、運が悪いというのは、具体的にどういうこと?(本番に弱い…のとはまた違うか)。探偵役の冬樹&英彦が一度、浩二の家に行く場面があるのだけれど、部屋には「一日最低四時間勉学!」と書かれた紙が貼ってある。冬樹たちはそうは思っていないみたいだけれど、4時間って少ないよね? まぁ「最低…」であるし、勉強時間なんて人それぞれかもしれないけれど。そう、この人は予備校には通っていないのかな? 予備校に通っていないなら、東京(「都」ではなく「府」?)にいる意味もあまりないんじゃないかな。
ちなみに、「解説」にも書かれているけれど、作中の時間は……引用してしまうか、「殺人事件が起こるのが昭和十一年五月二日、それが解決されるのが三ヵ月後の八月八日」。冒頭の「第一章」では、前年(昭和10年=1935年)の一高対三高の野球対抗戦などが描かれたりしているけれど。“浪人生小説”では、安岡章太郎の「青葉しげれる」がたぶん1940年の話で、主人公(阿部順太郎)が3浪だから、……時期が重なっているかと思ったら重なっていないや(汗)。昭和11年=1936年というのは、いわゆる“第三の新人”の作家が高校を受験する年よりも、ちょっと前になるのかな。あ、あれ? でも、小島信夫は(中学卒業後3浪して?)1935年に一高(文甲)に入っているのか。小島信夫(1915年生まれ)ってほかの人たち(安岡章太郎とか遠藤周作とか)よりもちょっと歳が上?
関係ないけれど、最後に「蛇足」というのが書かれていて、それがとてもよかったです。
<昭和十一年春、京都の老舗の御曹司で慶大生の亀富修一が、東京・芝で殺された。容疑者は二人。一人は被害者の実弟で高校浪人の浩二、もう一人は腹違いの弟で一高野球部の投手・守人。動機は相続争いか、恋のもつれか。折りしも一高と三高の野球対抗戦があり、それぞれの高校の生徒が探偵役となって事件の解明にあたる……。/ニ・ニ六事件に揺れる世相を背景に、モダーンに生きる青春群像を描く推理長篇。>(カバー後ろより。)
だいぶ前に古本屋で↑これを見て、浪人生が出てくる、と思って買ってみたのだけれど、読んでみたら例によって(?)なかなか出てこなくて…(涙)。話には出てくるけれど、本人が登場してきたのが100ページをだいぶ超えてから、だったと思う。(というか、最近、小説を読むことに疲れているので、しばらく読むのをやめようかな…。小説だけでなく本というか、文章全体に対して疲れぎみ。)
野球はもちろん、2校のぶつかる対決だけれど、推理のほうは、最初、独立して調べていた高校生、一高生の宮寺冬樹(文丙、3年)と三高生の芝崎英彦(理乙、2年)の2人が合流して(出会って)協力して調査したり、推理したりしていく。あ、でも、最後のほう、お互いが推理を披露する、みたいな感じにもなっている。「解説」(大内茂男)で初版本(単行本のこと?)にはあるらしい“著者の言葉”が引用されていて、それを読むと、あえて書いているみたいなのだけれど、登場人物やストーリーなどがかなり図式的に整理できてしまう感じ。死体の第一発見者である冬樹くんは、東京で遊びも知っている文学青年で、一方の、京都から上京してくる英彦くん(岐阜出身)は純朴な、医者を目指している理系思考な青年、みたいな。主な犯人候補である2人も、かたやスポーツ青年の一高生(亀富守人)、かたやあまり運動はしていないだろう浪人生(亀富浩二)であるし。その2人には1人ずつアリバイを証明してくれる女の子がいるのだけれど(金藤智子、江川真弓)、その2人も社会的な身分や性格が対照的といえば対照的な感じになっている。
で、注目したいのはいつものように浪人生であるわけだけれど、この小説もなぁ…。浩二くん、まず何浪目なのかがよくわからない(涙)。最初のほうで英彦にもたらされる情報で、「2、3浪」みたいに書かれていたと思うけれど、亀富兄弟のニ男の浩二と、父親の後妻の連れ子(…なんか差別用語っぽくて嫌だな、ほかの日本語はないの?)である三男の守人は、誕生日が数ヶ月違いの同じ年齢なんだっけな…、それも不確かな情報だっけ? でも、もしそうであるなら、守人が3年生(理甲)であるから(その守人がいわゆる“四修”でなければ)、浩二はたぶん(中学を卒業して)浪人3年目であると思う。(なんとなく、この小説の世界では四修での受験、が忘れ去られているような感じがしないでもない。)
志望校は(これも不確かな情報だけれど)一高らしい。三高志望なら実家の京都にそのままいれるのにね。というか、長男の修一(雑誌にすでに小説を発表したりしている、慶應大学国文学科の3年生)は死んでしまうけれど、亀富3兄弟は東京でばらばらに暮らしていたわけか。アルバイトをしているわけでもなく、上の2人はカフェに行ったりとか、遊び歩いてもいるわけで、なんていうか、自分が親だったらみんな一緒に暮らせや、みたいなことは思っちゃうけどね(貧乏人思考ですかそうですか(汗))。
実家は呉服問屋だっけ?(違うか、西陣の着物の問屋? ――同じか)。なのに、和装ではない“モボ”(=モダンボーイ)な格好。銀座のカフェに出入りしていたり、そこの女給と付き合っていたり、金持ちの息子の甘やかされ遊蕩浪人生か、みたいなことも思ってしまうけど(家には「ばあや」がいるし。自炊くらいしろ?)、そう思っていると、読者も裏切られてしまうというか。大学…じゃなかった、高校(旧制)に受からない理由は、これも本人が言っているわけではないので不確かな感じだけれど、勉強ができないからではなく、運が悪いから、不運ゆえ、らしい。――でも、運が悪いというのは、具体的にどういうこと?(本番に弱い…のとはまた違うか)。探偵役の冬樹&英彦が一度、浩二の家に行く場面があるのだけれど、部屋には「一日最低四時間勉学!」と書かれた紙が貼ってある。冬樹たちはそうは思っていないみたいだけれど、4時間って少ないよね? まぁ「最低…」であるし、勉強時間なんて人それぞれかもしれないけれど。そう、この人は予備校には通っていないのかな? 予備校に通っていないなら、東京(「都」ではなく「府」?)にいる意味もあまりないんじゃないかな。
ちなみに、「解説」にも書かれているけれど、作中の時間は……引用してしまうか、「殺人事件が起こるのが昭和十一年五月二日、それが解決されるのが三ヵ月後の八月八日」。冒頭の「第一章」では、前年(昭和10年=1935年)の一高対三高の野球対抗戦などが描かれたりしているけれど。“浪人生小説”では、安岡章太郎の「青葉しげれる」がたぶん1940年の話で、主人公(阿部順太郎)が3浪だから、……時期が重なっているかと思ったら重なっていないや(汗)。昭和11年=1936年というのは、いわゆる“第三の新人”の作家が高校を受験する年よりも、ちょっと前になるのかな。あ、あれ? でも、小島信夫は(中学卒業後3浪して?)1935年に一高(文甲)に入っているのか。小島信夫(1915年生まれ)ってほかの人たち(安岡章太郎とか遠藤周作とか)よりもちょっと歳が上?
関係ないけれど、最後に「蛇足」というのが書かれていて、それがとてもよかったです。
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