同名書(河出書房新社、1989/新潮文庫、1995)所収、3篇中の2篇目。なんていうか、久しぶりにちゃんとした小説を読んだ、と感じた。のは、なんでだろう?(わからない)。とりあえずとても読みやすかったです。

大きな団地(「帷子団地」)に暮らす「(吉田の)おばあちゃん」が主人公というか、視点人物になっている。タイトルは姥捨山というか姥捨の名前らしい。おばあちゃんは近所をよく散歩しているのだけれど、団地と姥捨野が重ね合わされているような話。家族――息子の利夫(会社員、54歳)、その嫁の文江(主婦、いくつ?)、孫娘の千代子(フリーター、26歳)、孫息子の透(予備校生、19歳)――からおばあちゃんはほとんど無視されている。家族たちの前ではおとなしくしているけれど、でも、頭の中ではけっこう平気な感じで、何かが起こって家族が(もともと心理的には少しばらばらな感じなのだけれど、より)ばらばらになることを、ちょっと期待していたりもする。で、おしゃべりキャラ(?)の千代子が(もちろん故意にではなく)弟の透の頭に鉄製のヌンチャクをぶつけたあたりから、いままでの均衡が崩れてちょっと話が動いていく感じ。――文章が「おばあちゃんは……」という書き方になっていて、それだけでわりとユーモアが出ているかな(一般に、人名+敬称、例えば「○○氏/さんは……」とかでも、ちょっと飄々とした感じになる、かな。伊井直行『服部さんの幸福な日』とか)。

カバーの後ろ(手もとにあるのは文庫本)に書かれている紹介文に「老人問題」という言葉があるけれど、83歳で外に散歩に出かけられるくらいの健康体で、頭のほうもしっかりしている感じだから、そういう意味ではあまり深刻な問題ではないかもしれない。「ネグレクト」(家族が面倒を放棄)というほどでもないし(だから広い意味での「虐待」ではないし)、やっぱり見えない心理的な疎外(疎外感)というか、そっちのほうが問題というかテーマなのかもしれない(←あいからずのボキャ貧ですみません、情けないな自分(涙))。でも、そう、真夜中に散歩していると、認知症徘徊老人と間違われて警察に通報されちゃいそうだよね、いくら本人が呆けていないと主張しても。関係ないけれど、そういえば、家族小説であるにしても、恋愛的なことがぜんぜん絡んでこない小説というのも、珍しいかもしれない。両親のどちらかが不倫して家族がぎくしゃくするとか、未婚の娘が妊娠するとか息子が誰かを妊娠させるとか……って、そんなベタな家族崩壊小説も、ありそうであまりないか(汗)。

本題というか、浪人生についても触れておかないと。どうでもいいけれど、そう、祖母の目から見た浪人生が出てくる小説は初めて読んだかもしれない(だからどうした?と言われても困るけれど)。季節は秋も深くなっていく11月の半ば以降。透くん(1浪)は、その秋に受けた模擬試験の結果もよくなかったみたいだけれど、夏前に受けた模試では<第一志望の早稲田の商学部は二十パーセントの合格率だった>(p.98)そうだ。これはどうなのかな、「志望」というよりは「夢」?(それほど悪くはないか)。そんなことよりも、お姉ちゃんに頭を打たれてからの、ときどき食事中に箸を落としてしばらく空白の表情になる、というのがかなり危ないよねぇ。それに気づいているのが責任を感じているらしいお姉ちゃんと、家族を観察している感じのおばあちゃんだけで、両親は気づいていない。たぶん勉強のさいにもそのフリーズが起こっているだろうし、来年(といってももうすぐでしょ?)の試験本番では大丈夫だったのだろうか、この人。下手をしたら2浪どころでは済まないかもしれない。
 

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