阿久悠 『ぼくといとこの甘い生活』
2008年5月28日 読書集英社、1989。ぜんぜん期待していなかったのだけれど、読み始めてみたらけっこう面白くて。意外におすすめな小説かもしれないです。今年は2008年なので、えーと…、19年前に出た小説本か、そのわりには古びていないような気がする。ただ、格好のつけ方みたいなものは、ひと昔前な感じがするけれどね。あ、作中年もわかるように書かれている、東京ディズニーランドの開園5周年とか、ソウルオリンピックとか。――1988年? この本、欲しいのだけれど、いつものように最寄の古本屋で探してみたものの、見当たらず。いま手もとにあるのは図書館で借りてきたものです。※以下、たぶん内容まで書いてしまうので読まれていない方はご注意。
1人称が「ぼく」であると、やっぱり庄司薫・村上春樹ラインぽく感じてしまうな。でも、この小説の場合、それだけが理由ではないかも。まわりくどい語り口にも似たものを感じるし、主人公が適切な(?)距離を保って付き合い始める女の子の名前が「村上夏子」で、これはいわずもがな「村上春樹」のもじりっぽいし。「キキ」という名前の女の子も出てくるし。ベストセラー小説の『ノルウェイの森』が1987年、「キキ」が出てくる『ダンス・ダンス・ダンス』が1988年だからそのへんか、あるいはそれ以前の村上作品から影響を受けているかもしれない。
「ぼく」=世良大地(19歳、趣味は詩を書くこと)は、予備校に通うために神戸から上京して、いとこの津野秀樹のところで暮らしている。家主というか、世界的に有名な画家である伯父さん(暁介)はいま、壁画を描くために海外に長期滞在中で、不在。いとこの秀樹は劇団を主宰する劇作家で、家にはいろいろな人――名前が出てくるのは、モデルのキキ、女優の平尾由衣、職業はあとのほうでわかるけれど、巨漢の荒木、小男の日色――が出入りしていたり、お手伝いさんというか料理を出してくれる尾崎さんという謎の(?)女性もいたりして、なんていうか、「ぼく」はからかわれて、おもちゃのように扱われながらも、刺激的な生活を楽しんでいる感じ。
タイトルの「甘い」というのは、ちょっとミスリーディングかもしれない。「ぼく」は秀樹に誘惑されたりもしているけれど、BL小説とかではなく(なんでこんなタイトルをつけたのかな?)、ネタバレしてしまうけれど、「いとこ」ということでは、あとのほうで結婚して家を出ていた、秀樹の異母姉の阿佐子が出戻ってきたりする。秀樹も阿佐子も、父親の暁介(ぎょうすけ)の影響をすごく受けているのだけれど、推理小説によくあるような狂気に満ち満ちているような芸術家の家、みたいな感じではなく、もっとずっと風通しはよい感じ。
そうした家(というより邸か)の出来事のほかに、もう1つメインになっているのは、地下鉄で予備校に向うさいに知り合った、同じ予備校に通う村上夏子との付き合い(というか)。「ぼく」とその夏子との会話も、飛躍している感じがちょっと村上春樹っぽいかもしれない。これもけっこうあとでわかるのだけれど、夏子(東京が地元)は両親が離婚していていまマンションで1人暮らし。両親は学生運動の仲間だったらしく、母親はビートルズの大ファンだったらしい。いわゆる第二次ベビーブーム世代というか、団塊ジュニアが19歳になり始めるのは、何年くらいから? 1991年くらい? 1989年(単行本の出版年)ならぜんぜんおかしくないか。であれば、ちょっと早めの“団塊Jr.浪人生小説”といえるかもしれない(「だからどうした?」と言われても困るけれど(汗))。
ただ、大半の小説と同様、“浪人生小説”としての読みどころはあまりないかな。「concentration」という言葉が繰り返されているのと(ヘッドフォンでイージー・リスニングを聴きながら勉強するのって、はかどるの?)、あと、そう、「順調」という言葉について少し書かれていたっけな。浪人生どうしのあいだで、「順調?」といえば、それは勉強が順調かどうかのことらしい。そういえば(思い出した)自分も浪人しているときに「最近、調子が悪くて…」と、浪人生ではない人に言ったら、「大丈夫?」と体の心配をされて、あわてて訂正した覚えがある。これは少しネタバレになってしまうけれど、高校の同窓会の案内がきて出かけてみたら、ほかに4人しか来ていない、要するに仲間どうしの集まりだった……みたいな場面があるのだけれど、自分以外の全員が大学生。なのに、この主人公はあまり気にしていない感じ。現実でもほかの浪人生小説でも、たいてい浪人生がばつの悪い思いをしそうな場面だけどね。
ちなみに、「ぼく」は最初いちおう東大志望。志望の理由は両親(世良富士太、ちづる。母親が津野暁介と兄妹)がどうのこうのだったと思う(←省略してすみません、気になる方は読んでください)。夏子は早稲田大学法学部志望。描かれているのは、4月からクリスマスくらいまで。あ、主人公の親が(少しだけでも)出てくるあたりは、村上春樹っぽくないか。
1人称が「ぼく」であると、やっぱり庄司薫・村上春樹ラインぽく感じてしまうな。でも、この小説の場合、それだけが理由ではないかも。まわりくどい語り口にも似たものを感じるし、主人公が適切な(?)距離を保って付き合い始める女の子の名前が「村上夏子」で、これはいわずもがな「村上春樹」のもじりっぽいし。「キキ」という名前の女の子も出てくるし。ベストセラー小説の『ノルウェイの森』が1987年、「キキ」が出てくる『ダンス・ダンス・ダンス』が1988年だからそのへんか、あるいはそれ以前の村上作品から影響を受けているかもしれない。
「ぼく」=世良大地(19歳、趣味は詩を書くこと)は、予備校に通うために神戸から上京して、いとこの津野秀樹のところで暮らしている。家主というか、世界的に有名な画家である伯父さん(暁介)はいま、壁画を描くために海外に長期滞在中で、不在。いとこの秀樹は劇団を主宰する劇作家で、家にはいろいろな人――名前が出てくるのは、モデルのキキ、女優の平尾由衣、職業はあとのほうでわかるけれど、巨漢の荒木、小男の日色――が出入りしていたり、お手伝いさんというか料理を出してくれる尾崎さんという謎の(?)女性もいたりして、なんていうか、「ぼく」はからかわれて、おもちゃのように扱われながらも、刺激的な生活を楽しんでいる感じ。
タイトルの「甘い」というのは、ちょっとミスリーディングかもしれない。「ぼく」は秀樹に誘惑されたりもしているけれど、BL小説とかではなく(なんでこんなタイトルをつけたのかな?)、ネタバレしてしまうけれど、「いとこ」ということでは、あとのほうで結婚して家を出ていた、秀樹の異母姉の阿佐子が出戻ってきたりする。秀樹も阿佐子も、父親の暁介(ぎょうすけ)の影響をすごく受けているのだけれど、推理小説によくあるような狂気に満ち満ちているような芸術家の家、みたいな感じではなく、もっとずっと風通しはよい感じ。
そうした家(というより邸か)の出来事のほかに、もう1つメインになっているのは、地下鉄で予備校に向うさいに知り合った、同じ予備校に通う村上夏子との付き合い(というか)。「ぼく」とその夏子との会話も、飛躍している感じがちょっと村上春樹っぽいかもしれない。これもけっこうあとでわかるのだけれど、夏子(東京が地元)は両親が離婚していていまマンションで1人暮らし。両親は学生運動の仲間だったらしく、母親はビートルズの大ファンだったらしい。いわゆる第二次ベビーブーム世代というか、団塊ジュニアが19歳になり始めるのは、何年くらいから? 1991年くらい? 1989年(単行本の出版年)ならぜんぜんおかしくないか。であれば、ちょっと早めの“団塊Jr.浪人生小説”といえるかもしれない(「だからどうした?」と言われても困るけれど(汗))。
ただ、大半の小説と同様、“浪人生小説”としての読みどころはあまりないかな。「concentration」という言葉が繰り返されているのと(ヘッドフォンでイージー・リスニングを聴きながら勉強するのって、はかどるの?)、あと、そう、「順調」という言葉について少し書かれていたっけな。浪人生どうしのあいだで、「順調?」といえば、それは勉強が順調かどうかのことらしい。そういえば(思い出した)自分も浪人しているときに「最近、調子が悪くて…」と、浪人生ではない人に言ったら、「大丈夫?」と体の心配をされて、あわてて訂正した覚えがある。これは少しネタバレになってしまうけれど、高校の同窓会の案内がきて出かけてみたら、ほかに4人しか来ていない、要するに仲間どうしの集まりだった……みたいな場面があるのだけれど、自分以外の全員が大学生。なのに、この主人公はあまり気にしていない感じ。現実でもほかの浪人生小説でも、たいてい浪人生がばつの悪い思いをしそうな場面だけどね。
ちなみに、「ぼく」は最初いちおう東大志望。志望の理由は両親(世良富士太、ちづる。母親が津野暁介と兄妹)がどうのこうのだったと思う(←省略してすみません、気になる方は読んでください)。夏子は早稲田大学法学部志望。描かれているのは、4月からクリスマスくらいまで。あ、主人公の親が(少しだけでも)出てくるあたりは、村上春樹っぽくないか。
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