画像は関係ない本です。講談社、1967。単行本が手に入らなくて、いま手もとにあるのは『井上光晴新作品集 2』(勁草書房、1970)、その最初に収録されている長篇小説。意外と読みやすかったのだけれど、なんていうか、意外とひっかかりどころみたいなものもなかったかな。いつものように私が読めていないだけかもしれないけれど。

内容というかは、予備校(「東和予備校」)の事務局長、小粥寮一は終戦直後に長崎の炭鉱(「立浦炭鉱」)で起こった自決事件に関して、突然訪ねてきた浅原幸雄という男から、同じ団体(「樸会(しらきかい)」)に所属していて一緒に自決するはずだったのにあなたはなぜ事前に逃亡したのか、などと問い質される。逃亡したのではない、あれは(純粋な)自決ではない、などと説明するのだけれど、相手は納得しない。それが1週間くらい前の話で、今日は幼稚園に通う娘(達子)の運動会に義姉(友子)と来ている。私立大学のグラウンドを借りて行なわれていて、そこの学生による仮装行列も行なわれたりしている(←この小説の雑誌掲載時のタイトルが「仮装行列」だったらしいから、触れておいたほうがいいかと思って)。でも、それを見ていて落ち着かなくなった小粥は、1人で先に家へ帰ると、妻(豊子、流産したあと療養中)から学校から電話があった、と言われる。かけ直すと、宿直員の相羽から学生の1人(工藤康平)が自殺して親類らしい人から予備校の責任を問うような電話があった、と言われる。で、すぐにその学生の家を訪ねてみると、そんな電話は誰がかけたのやら、追い返されるような扱いを受ける。しかも、後日、その自殺の件で浅原とは関係があるのかないのか別の男(藤林孝)から脅されるようなことに。ひと言でいえば、災難続きというか?

一方(そんなに詳しく内容を書いても意味がないかな)予備校生の早坂正衛は、母親(藤子)が書き残した手帳を見たことから、母親の自殺は、療養所の清掃員をしている安田国芳という男が原因ではないかと疑って会いに行ったり、一緒に暮らしている父親、早坂実を問い質したりする。母親が安田に宛てた手紙を読んだりもするのだけれど、死の真相は結局、わからずじまいというか、正衛は最後まで誤解させつづけられる感じ。で、実は(ネタバレしてしまうけれど)浅原幸雄というのは、その父親の早坂実のことだったりする。最後のほうではお父さんのほうも妻の死の真相を疑い出したりもしていて、要するにふつうの(?)推理小説などとは違って真実はうやむやな感じに。――戦後20年くらいの話、“戦争”はまだ終わっていないみたいな小説ではなくて、右翼思想(といっていいの?)がまだ続いている、みたいな小説かな。本の箱についている帯には<長編『乾草の車』の人間たちは、明らかに「勤皇」の黒い影をひきずっている。天皇制の内面を鋭く追及し、右翼の不気味な復活を予見しながら、70年代にかかわる危機の本質を訴える秀作。(略)>とある。仮想行列(「オバQ」や白装束)から感じられる「不気味さ」が、でも、ちゃんと出てきている小説なのかな、個人的にはいまいち感じられなかったのだけれど。

そう、これは言っておかないと。冒頭に出てくる小粥事務局長が、英語講師(「競輪」というあだ名)の授業が休講になったときにその穴埋めとして教室で読んだと言っている「戦時中の受験雑誌に掲載された学生小説」(p.3、上段)というのは、書かれている内容(あらすじ)から言って、たぶん山田風太郎(1922年生まれ)が『螢雪時代』の懸賞小説に応募して1等で当選して掲載された、「国民徴用令」という実在する小説のこと。井上光晴(1926年生まれ)はこれを(?)自分で書いたと言っているらしいけれど(*1)、それはたぶん虚言か誤解か何かで、山田風太郎の日記本『戦中派虫けら日記』(ちくま文庫)を読むと、山田風太郎が自身の体験などからそういう内容の小説を書いていることがはっきりわかる(1943年の話)。私はその「国民徴用令」を読んだことがないので異同がわからないけれど、この冒頭に書かれているあらすじでは、軍需工場で働きながら一高(旧制第一高等学校)の試験に合格するのだけれど、工場に徴用がかかっていてそれがどうにもならならず、結局、一高の入学を取り消して戦争に行くこと(天皇に身を捧げること)を決意する、みたいな話。予備校生たちはそれを聞かされ、失笑を返えす、一高(東大)の入学を取り消すなんてバカだ、みたいなことで。そのことに小粥はショックを受けているらしいのだけれど、そもそもどうしてその小説を読み聞かせたのか、その理由がよくわからないな。戦争中、右翼思想(というか)を持っていたことは隠しているのでは? 勘の鋭い生徒であれば気づいてしまうかもしれないよね。

あと、ちょっと疑問に思ったのは、予備校生が自殺をすると、ふつうその予備校はどういう対応をとるの? この小説のように事務のちょっと偉めの人が出てきて、お悔やみを申しあげます、みたいなことが多いのかな。それだけだとちょっと不誠実な感じがしないでもないな、大学受験や予備校に無関係なことで悩んでいたのなら別だろうけど。この小説の工藤康平くんの自殺の理由というかについては、誰がかけてきたのかわからない謎の電話によれば、昭和になってからの一高の入試問題をすべてやらされた、みたいなことを言っていて。実際、国語の講師(真鶴、元旧制水戸高校の教授)が、希望者にのみだけれど、昭和2年から19年まで入試問題をプリントして配っていたことがわかる。その講師によれば、いまの入試問題はクイズみたいもので、一高の入試問題は「格調が高い」らしい。いまなら例えば「東大の入試問題はすぐれている」みたいなことを言いそうな予備校講師、ってところかな(違うか)。難しい問題をたくさんやらされて解けなくて絶望→受験ノイローゼ、みたいなことってあるかな? 例えば、偏差値がぜんぜん足りていないのにどうしても東大に入りたい人とか、そんなことになりやすいような…、そんなことないか。ちなみに、「昭和十年度国文解釈問題」とそれへ付されたの講師の「あまりうまくない回答」が紹介されている(p.40、上-下段)。

書き忘れていたけれど、小粥が勤めていて正衛が通っているらしい予備校は、御茶ノ水にあるらしい。
 
*1 作家の井上荒野が『ひどい感じ――父・井上光晴』という本を出していて、そのなかで、ちょっと孫引きっぽくなってしまうけど、

 <紀伊国屋ホールでの講演を記録した『小説の書き方』によれば、父がはじめて小説を書いたのは、小学校四年生のときだという。(略)/次が十六歳のときに書いた受験小説。軍需工場で働いている者が希望の学校にすすめないという当時の受験システムをテーマにしたもので、「その矛盾というか、危険な素材には、誰も触れなかったんですよ」「青春小説としてもわりに緊迫した、いい作品だと自負していますよ」と父は語っている。/(略)>(pp.54-5、講談社文庫)

と書いている。
 

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