藤枝静男 『或る年の冬 或る年の夏』
2008年7月7日 読書講談社文芸文庫、1993(図書館で借りたもの)。なんていうか、時代的にいま読むような本ではないような…。そういう言い方はよくないか、とりあえず個人的には面白くなかったです。なので、例によって最後まで読み通せず(どうにか読んで173頁まで到達、3分の2は読んでいるかな)。単行本は講談社から1971年に出ているらしい。
主人公の寺沢は千葉医大に落ちたらしく、浪人している。――高校浪人が出てくる小説は2、3作読んでいたけれど、大学浪人が主人公の小説は今回初めて読んだと思う、たぶん。あ、昭和5年(1930年)の話です、旧制高校・旧制大学の話。やっぱり現在の大学浪人生と較べると、この寺沢くんは大人な感じ、というか。高校の友達である中島と三浦は、東京ですでに左翼運動に加わっていて、自分もその運動に足を踏み入れるかどうかで悩んでいる。まぁでも、大学に落ちた理由が「怠惰で意志薄弱」とか、性欲が強くてどうのとか、そういう点では現在の浪人生が読んでも、多かれ少なかれ共感できる部分もあるかもしれない。そう、友達の2人とも東大に通っているのだけれど、中島のほうだっけな、なんと(?)無試験で入ったと言っていて。大学入学の大変さに落差がありすぎ、というか、昔から医大は入るのが大変だったのかな?(あいかわらず学校制度、入試制度がわかっていないです自分(涙))。寺沢が通っていた東海にある高校というのは、作中には名前はなかったと思うけれど(本の後ろの「解説」などを読むと)作者が通っていた八高のことらしい。寺沢くんは1年のときに落第したらしく、4年かかって卒業したとのこと。で、この人は何歳なの? 中学4年で高校に入ったとしても(いわゆる四修だとしても)20歳にはなっているよね。――いまさらだけれど、本の後ろの文句を引用しておこうか、
<性と思想に切り裂かれる青春を頑なまでに潔癖に生き、後年の著者の厳しく深い文学と人生を予感させる青春像。昭和初期に青春を生きた知識人が不可避だった“思想”問題、それを自らに苛酷に課した著者の苦悶、家族への深い愛。時代と自分の良心を誠実・厳格に生きた著者の青春自伝。>(カバー背より)
「青春」の大安売り…というか、頭痛が痛くなってくる文言? それなら“浪人”について一言くらい触れてくれてもいいのにな。それはともかく、翌年の受験に関しては結局(ネタバレしてしまうけれど)救世主が現れるというか、友達の三浦経由で、同じ高校の卒業生で千葉医大に通っている朝川と再会して、いろいろなアドバイスをもらって――ドイツ語の出題者は何々先生で、たぶん何々という本から出題するからとか、ピンポイントな感じ、で――合格してしまう。でも(これも本の後ろの「解説」をカンニングすると)作者は同じ大学に入るのに2浪しているらしい。性の問題のほうは、その合格がわかった日に思い立って遊廓に行って、あっさり解消(?)してしまう感じ。飛び込んでみればあっけなかったというかなんというか。それで自信(?)がついたあとは、同じ大学に通っている神谷(既婚)の義理の妹に手を出したりしている。この人はやっぱりちょっとずるいのかな…、後だしジャンケン的な振る舞いが多いような気が。左翼運動にしても性的なことにしても、自分の意志ではなかったとはいえ、進学に関しても、人の振りを批判的に見たりしたのちに行動をとっている。あ、あと家族のことにも触れておけば、実家は薬屋で、兄(元医大生)と妹が結核で病床に臥せっている。最初は仕送りをしてもらっているのだけれど、東京に出てからはそれを断っていちおう働き始める。労働者が暮らしているアパートに住み始めて「ルンペン」を自称したりする。――やっぱりこの小説を読むより、小林多喜二の『蟹工船』でも読んだほうがまし? 最近はやっているらしいし。そういえば、寺沢くんはけっこう引っ越しをしている。勉強に集中するにはあまりいいことじゃないよね、わからないけれど。
ぜんぜん関係ないけれど、寺沢は試験の前に心を入れかえるために赤城山に行って一泊している。夜なかに外をほっつきあるっていたら宿の主人に自殺志願者と間違われて…、みたいな。『二十歳のエチュード』の原口統三(一高生)がその山で自殺に失敗したのはいつだっけ? だいぶあとかな(15年以上もあと?)。赤城山は別に自殺の名所というわけではないと思うけれど。
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[追記] 図書館で上の本を返したあと、『藤枝静男著作集 第六巻』(講談社、1977)を借りてきたのだけれど、後ろのほうに載っている年譜(伊東康雄による)を見てみると、高校に入るのにも浪人しているようだ、この作者。まず中学4年で八高に落ちている。で、中学にはそのまま通わなかったらしく(この人みたいに高校に受かっていないのに、四修で中学校に通わなくなっちゃう人ってけっこういたの? 作家ではたしか柴田錬三郎がそうだったっけな)、その時点で浪人生になっているといえばなっているのかもしれない。翌年は――引用したほうが早いか、
<大正十四年(一九二五年)/三月、旧制第一高等学校に願書を出したが試験場入口から引返して浪人となる。兄とともに名古屋市(略)に下宿し、医大病院裏手の予備校中野塾に通う。(略)>(p.383)
どうして引き返したのか、ちょっと気になるな。その前にこの年は(八高ではなく)一高を受けようとしたんだね、それもどうしてなんだか…。天下の一高ゆえにひるむなり、諦めるなりした?(うーん…)。この「中野塾」という予備校はもうないのかな?(有名どころ?)。その後はだいたい上で書いた通りで、翌年に八高に合格。1年で落第、4年かかってそこを卒業して、3度目で(2浪して)千葉医大(千葉医科大学)に合格。要するに浪人期間は、高校浪人1年(または2年)・大学浪人2年といった感じ。
主人公の寺沢は千葉医大に落ちたらしく、浪人している。――高校浪人が出てくる小説は2、3作読んでいたけれど、大学浪人が主人公の小説は今回初めて読んだと思う、たぶん。あ、昭和5年(1930年)の話です、旧制高校・旧制大学の話。やっぱり現在の大学浪人生と較べると、この寺沢くんは大人な感じ、というか。高校の友達である中島と三浦は、東京ですでに左翼運動に加わっていて、自分もその運動に足を踏み入れるかどうかで悩んでいる。まぁでも、大学に落ちた理由が「怠惰で意志薄弱」とか、性欲が強くてどうのとか、そういう点では現在の浪人生が読んでも、多かれ少なかれ共感できる部分もあるかもしれない。そう、友達の2人とも東大に通っているのだけれど、中島のほうだっけな、なんと(?)無試験で入ったと言っていて。大学入学の大変さに落差がありすぎ、というか、昔から医大は入るのが大変だったのかな?(あいかわらず学校制度、入試制度がわかっていないです自分(涙))。寺沢が通っていた東海にある高校というのは、作中には名前はなかったと思うけれど(本の後ろの「解説」などを読むと)作者が通っていた八高のことらしい。寺沢くんは1年のときに落第したらしく、4年かかって卒業したとのこと。で、この人は何歳なの? 中学4年で高校に入ったとしても(いわゆる四修だとしても)20歳にはなっているよね。――いまさらだけれど、本の後ろの文句を引用しておこうか、
<性と思想に切り裂かれる青春を頑なまでに潔癖に生き、後年の著者の厳しく深い文学と人生を予感させる青春像。昭和初期に青春を生きた知識人が不可避だった“思想”問題、それを自らに苛酷に課した著者の苦悶、家族への深い愛。時代と自分の良心を誠実・厳格に生きた著者の青春自伝。>(カバー背より)
「青春」の大安売り…というか、頭痛が痛くなってくる文言? それなら“浪人”について一言くらい触れてくれてもいいのにな。それはともかく、翌年の受験に関しては結局(ネタバレしてしまうけれど)救世主が現れるというか、友達の三浦経由で、同じ高校の卒業生で千葉医大に通っている朝川と再会して、いろいろなアドバイスをもらって――ドイツ語の出題者は何々先生で、たぶん何々という本から出題するからとか、ピンポイントな感じ、で――合格してしまう。でも(これも本の後ろの「解説」をカンニングすると)作者は同じ大学に入るのに2浪しているらしい。性の問題のほうは、その合格がわかった日に思い立って遊廓に行って、あっさり解消(?)してしまう感じ。飛び込んでみればあっけなかったというかなんというか。それで自信(?)がついたあとは、同じ大学に通っている神谷(既婚)の義理の妹に手を出したりしている。この人はやっぱりちょっとずるいのかな…、後だしジャンケン的な振る舞いが多いような気が。左翼運動にしても性的なことにしても、自分の意志ではなかったとはいえ、進学に関しても、人の振りを批判的に見たりしたのちに行動をとっている。あ、あと家族のことにも触れておけば、実家は薬屋で、兄(元医大生)と妹が結核で病床に臥せっている。最初は仕送りをしてもらっているのだけれど、東京に出てからはそれを断っていちおう働き始める。労働者が暮らしているアパートに住み始めて「ルンペン」を自称したりする。――やっぱりこの小説を読むより、小林多喜二の『蟹工船』でも読んだほうがまし? 最近はやっているらしいし。そういえば、寺沢くんはけっこう引っ越しをしている。勉強に集中するにはあまりいいことじゃないよね、わからないけれど。
ぜんぜん関係ないけれど、寺沢は試験の前に心を入れかえるために赤城山に行って一泊している。夜なかに外をほっつきあるっていたら宿の主人に自殺志願者と間違われて…、みたいな。『二十歳のエチュード』の原口統三(一高生)がその山で自殺に失敗したのはいつだっけ? だいぶあとかな(15年以上もあと?)。赤城山は別に自殺の名所というわけではないと思うけれど。
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[追記] 図書館で上の本を返したあと、『藤枝静男著作集 第六巻』(講談社、1977)を借りてきたのだけれど、後ろのほうに載っている年譜(伊東康雄による)を見てみると、高校に入るのにも浪人しているようだ、この作者。まず中学4年で八高に落ちている。で、中学にはそのまま通わなかったらしく(この人みたいに高校に受かっていないのに、四修で中学校に通わなくなっちゃう人ってけっこういたの? 作家ではたしか柴田錬三郎がそうだったっけな)、その時点で浪人生になっているといえばなっているのかもしれない。翌年は――引用したほうが早いか、
<大正十四年(一九二五年)/三月、旧制第一高等学校に願書を出したが試験場入口から引返して浪人となる。兄とともに名古屋市(略)に下宿し、医大病院裏手の予備校中野塾に通う。(略)>(p.383)
どうして引き返したのか、ちょっと気になるな。その前にこの年は(八高ではなく)一高を受けようとしたんだね、それもどうしてなんだか…。天下の一高ゆえにひるむなり、諦めるなりした?(うーん…)。この「中野塾」という予備校はもうないのかな?(有名どころ?)。その後はだいたい上で書いた通りで、翌年に八高に合格。1年で落第、4年かかってそこを卒業して、3度目で(2浪して)千葉医大(千葉医科大学)に合格。要するに浪人期間は、高校浪人1年(または2年)・大学浪人2年といった感じ。
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