乃南アサ 『二十四時間』
2008年7月8日 読書
新潮社、2004/新潮文庫、2007。「零時」から「二十三時」までの24の時をお題にした「私」による回想的エッセイ風の連作短篇集(「私」が同一人物であるとすると、矛盾しているように感じる箇所もあったけれど)。子ども時代から始まって…みたいな時系列になっているわけではなく、配列も「二十三時」「十八時」「十三時」…と始まって最後は「四時」で終わっている、みたいなことになっている。各篇を超えて全体的に何度か繰り返して出てくるもの・ことがあるのだけれど(犬とか雪とかラジオ番組とか)「浪人生」というのもそのなかの1つ。
「私」の年齢に即して言えば、(1) 中学生のころに空家だった隣家に越してくる4人家族(+犬)の息子が、家からあまり出ない感じの暗い浪人生(「一時」)、(2) 高校3年生のときに予備校の冬期講習に通い始めてそこで友達になる人のなかにや、その友達たちと一緒に行き始めた予備校近くの喫茶店に客としてたくさんの浪人生が(「十一時」)、(3) (浪人せずに)大学生になったときには同じ歳の幼なじみ(男の子)で、高校3年の秋くらいから「私」が飼っている犬(「くま」)の散歩を一緒にしていた「よっちゃん」が、恋に目覚めた浪人生に(「二十二時」)、(4) 同じく大学生のときには予備校生や予備校OBが集う喫茶店で知り合って付き合い始めるのが、健康を害していく浪人生(「七時」)。「私」自身は浪人していないのに“浪人生”によほどの縁があるのかなんなのか、この人。暗かったり明るかったり、その両方を持ち合わせていて「私」にはせつなく思えたり、数種類の浪人生が描かれている。群像小説のように(並列的に)複数の浪人生が描かれているのではなく、見つめる側の「私」の立場も変わっていっていることが、ほかの“浪人生小説”とは一線を画しているかな。
(1) 私=中学生〜高校生 → 浪人生=隣家の息子
(2) 私=高校3年(現役受験生) → 浪人生(集団的)=友達たち/喫茶店の客たち
(3) 私=大学1年 → 浪人生(よっちゃん)=幼なじみ
(4) 私=大学生 → 浪人生=彼氏
別にまとめる必要はなかったか(汗)。で、“浪人生小説”としておすすめなのは((2)も面白かったけれど、団体だからはずすとすれば)(4)しかないか。多浪&リタイア系。あらすじを書きすぎてもアレ(?)だから、短いですし、読んでみてください。
ところで、早稲田大学のある高田馬場は予備校街でもあるの? 知らなかったです。いまでもそうなのかな?(「私」はたぶん作者と同じで1960年生まれ)。大学に入る前にその大学の校歌を歌える浪人生って、確かにちょっと切ないやね…(あ、(2)に関して)。実際のところ、いま志望校の校歌を歌える浪人生っているの? あまりいない気がするけれど…。というか、早稲田なら私もちょっと歌えるか、ふつうに有名だから(汗)。♪都の西北〜。(浪人生と校歌に関しては、旧制高校だけれど、中野孝次「雪ふる年よ」(『麦熟るる日に』)、浪人中のことではないけれど、遠藤周作のエッセイ「わが青春に悔いあり(二)」(『わが青春に悔いあり』)など参照です。)
「私」の年齢に即して言えば、(1) 中学生のころに空家だった隣家に越してくる4人家族(+犬)の息子が、家からあまり出ない感じの暗い浪人生(「一時」)、(2) 高校3年生のときに予備校の冬期講習に通い始めてそこで友達になる人のなかにや、その友達たちと一緒に行き始めた予備校近くの喫茶店に客としてたくさんの浪人生が(「十一時」)、(3) (浪人せずに)大学生になったときには同じ歳の幼なじみ(男の子)で、高校3年の秋くらいから「私」が飼っている犬(「くま」)の散歩を一緒にしていた「よっちゃん」が、恋に目覚めた浪人生に(「二十二時」)、(4) 同じく大学生のときには予備校生や予備校OBが集う喫茶店で知り合って付き合い始めるのが、健康を害していく浪人生(「七時」)。「私」自身は浪人していないのに“浪人生”によほどの縁があるのかなんなのか、この人。暗かったり明るかったり、その両方を持ち合わせていて「私」にはせつなく思えたり、数種類の浪人生が描かれている。群像小説のように(並列的に)複数の浪人生が描かれているのではなく、見つめる側の「私」の立場も変わっていっていることが、ほかの“浪人生小説”とは一線を画しているかな。
(1) 私=中学生〜高校生 → 浪人生=隣家の息子
(2) 私=高校3年(現役受験生) → 浪人生(集団的)=友達たち/喫茶店の客たち
(3) 私=大学1年 → 浪人生(よっちゃん)=幼なじみ
(4) 私=大学生 → 浪人生=彼氏
別にまとめる必要はなかったか(汗)。で、“浪人生小説”としておすすめなのは((2)も面白かったけれど、団体だからはずすとすれば)(4)しかないか。多浪&リタイア系。あらすじを書きすぎてもアレ(?)だから、短いですし、読んでみてください。
ところで、早稲田大学のある高田馬場は予備校街でもあるの? 知らなかったです。いまでもそうなのかな?(「私」はたぶん作者と同じで1960年生まれ)。大学に入る前にその大学の校歌を歌える浪人生って、確かにちょっと切ないやね…(あ、(2)に関して)。実際のところ、いま志望校の校歌を歌える浪人生っているの? あまりいない気がするけれど…。というか、早稲田なら私もちょっと歌えるか、ふつうに有名だから(汗)。♪都の西北〜。(浪人生と校歌に関しては、旧制高校だけれど、中野孝次「雪ふる年よ」(『麦熟るる日に』)、浪人中のことではないけれど、遠藤周作のエッセイ「わが青春に悔いあり(二)」(『わが青春に悔いあり』)など参照です。)
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