宗田理 『ぼくらののら犬砦』
2008年7月19日 読書
角川文庫、1998。シリーズ何作目? ちゃんと調べないと(この本だけでは)わからないけれど、とりあえず、『ぼくらの七日間戦争』(左の画像はこれ)に始まる“ぼくらシリーズ”の1作。
<勉強なしの少人数制、ストレスがないからイジメもない。銀座・勝鬨[かちどき]中学は、親にも教師にもなつかない“のら犬”たちの楽園。けれど、あと一年足らずで廃校が決まっている。それを知った「ぼくら」は学校を最恐のお化け屋敷に改造!!/ところが、戦争中建てられたというその校舎には、お化け屋敷よりも恐い、凶悪犯罪組織の秘密が隠されていて…。ヤクザの3D[スリー・ドラゴン]が、のら犬たちを脅かす。/大都会の神話、子どもたちの砦を守れ! 知恵と勇気の大作戦。>(表紙カバーより。[括弧]はルビ。)
4月、浪人している菊地英治のもとに、中学のときの担任、北原から電話がかかってきて、おれがいま出向している廃校間際の中学(生徒10人、のちに増えて12人に)で、教師の助手として手伝わないか、みたいなことを言われ、中学の教員が志望でもある英治は、その誘いを喜んで(?)引き受ける、みたいな始まり。シリーズ全体に言えることかもしれないけれど、映画『ホーム・アローン』の団体版というか、そんな感じかもしれない。中学生たちが、いろいろな意味で悪い大人たちに対して、いたずらの延長的な、相手が死なないくらいの仕掛けを作って、攻撃を防いだり攻撃をしたりする、みたいな感じ。
浪人中、勉強とはまったく関係のないアルバイトをするよりは、相手が中学生であれ(お金にはならないものであれ)勉強を教えたりするほうが、まだましかな? うーん…。ま、どうでもいいか、そんなこと。というか、小説の関心(?)が“浪人生”よりも“中学生たち”(=子どもたち)にあるのだからしかたがない。“浪人”がらみのことは、いちおう最初のへんでちょっと触れられている、けれど、あとは全体的にあまり書かれていないかな。でも、浪人していたりするとやっぱり、元同級生(“ぼくら”のメンバー)に会うたびに、<「私。勉強してる?」>(p.39)とか、<「ところで勉強のほうはどうだ?」>(p.43)みたいなことを言われてしまう(あ、これはともに電話か)。英治くんは、通っていた塾とはつながりがまだあるみたいだけれど、予備校には通っていない模様。ちょっとネタバレしてしまうけれど、中学校の廃校が早まってしまうので、そのあと勉強する時間は十分あるかもしれない。ちなみに“ぼくら”のなかでは、英治のほかに柿沼(医者の息子、お気楽浪人生?)と安永が浪人しているらしい。
英治を始めとして“ぼくら”というのは、全共闘チルドレンというか、いわゆる“団塊ジュニア”であるので(第1作の『〜七日間戦争』など参照)、教師になるにしても就職が大変な足踏み世代、いわゆる“ロスジェネ”(ロスト・ジェネレーション)にあたるから、前途はけっこう大変かもしれない。ま、そのへんとかは続編、続々編を読んでいけばわかるかもしれないけれど。そういえば、いまどきの中学生は…的な発言を英治はしているのだけれど、よく考えたら3年生の生徒たちとは4つしか違わないよね?(作者のご意見が混じってしまっている感じ?)。あと、ぜんぜん関係ないけれど、最初のへんにちらっと出てくる、ひとみの大学(教育学部)の友達、笹本遥という人が、なんのためにこの小説に登場しているのか、がよくわからない。何か布石というか伏線として使おうとして、回収し忘れたのかな?(あるいは同シリーズの別の作品にも出てくるとか?)。
そういえば、これもぜんぜん関係ないけれど、小説の始まり(?の1の冒頭)が、T.S.エリオットの「荒地」(詩)の冒頭っぽくなっている。たまたまだろうけどね。
<四月は、学校を落第した者にとっては残酷な月である。>(p.5)
あれ、「落第」とか言っているな。世代論(?)はあまり好きではないのだけれど、90年代後半、もう、受験生たちは入学試験で不合格になることを「落第する」とはあまり言わないかもしれない(ちなみに作者は1928年生まれ)。
<勉強なしの少人数制、ストレスがないからイジメもない。銀座・勝鬨[かちどき]中学は、親にも教師にもなつかない“のら犬”たちの楽園。けれど、あと一年足らずで廃校が決まっている。それを知った「ぼくら」は学校を最恐のお化け屋敷に改造!!/ところが、戦争中建てられたというその校舎には、お化け屋敷よりも恐い、凶悪犯罪組織の秘密が隠されていて…。ヤクザの3D[スリー・ドラゴン]が、のら犬たちを脅かす。/大都会の神話、子どもたちの砦を守れ! 知恵と勇気の大作戦。>(表紙カバーより。[括弧]はルビ。)
4月、浪人している菊地英治のもとに、中学のときの担任、北原から電話がかかってきて、おれがいま出向している廃校間際の中学(生徒10人、のちに増えて12人に)で、教師の助手として手伝わないか、みたいなことを言われ、中学の教員が志望でもある英治は、その誘いを喜んで(?)引き受ける、みたいな始まり。シリーズ全体に言えることかもしれないけれど、映画『ホーム・アローン』の団体版というか、そんな感じかもしれない。中学生たちが、いろいろな意味で悪い大人たちに対して、いたずらの延長的な、相手が死なないくらいの仕掛けを作って、攻撃を防いだり攻撃をしたりする、みたいな感じ。
浪人中、勉強とはまったく関係のないアルバイトをするよりは、相手が中学生であれ(お金にはならないものであれ)勉強を教えたりするほうが、まだましかな? うーん…。ま、どうでもいいか、そんなこと。というか、小説の関心(?)が“浪人生”よりも“中学生たち”(=子どもたち)にあるのだからしかたがない。“浪人”がらみのことは、いちおう最初のへんでちょっと触れられている、けれど、あとは全体的にあまり書かれていないかな。でも、浪人していたりするとやっぱり、元同級生(“ぼくら”のメンバー)に会うたびに、<「私。勉強してる?」>(p.39)とか、<「ところで勉強のほうはどうだ?」>(p.43)みたいなことを言われてしまう(あ、これはともに電話か)。英治くんは、通っていた塾とはつながりがまだあるみたいだけれど、予備校には通っていない模様。ちょっとネタバレしてしまうけれど、中学校の廃校が早まってしまうので、そのあと勉強する時間は十分あるかもしれない。ちなみに“ぼくら”のなかでは、英治のほかに柿沼(医者の息子、お気楽浪人生?)と安永が浪人しているらしい。
英治を始めとして“ぼくら”というのは、全共闘チルドレンというか、いわゆる“団塊ジュニア”であるので(第1作の『〜七日間戦争』など参照)、教師になるにしても就職が大変な足踏み世代、いわゆる“ロスジェネ”(ロスト・ジェネレーション)にあたるから、前途はけっこう大変かもしれない。ま、そのへんとかは続編、続々編を読んでいけばわかるかもしれないけれど。そういえば、いまどきの中学生は…的な発言を英治はしているのだけれど、よく考えたら3年生の生徒たちとは4つしか違わないよね?(作者のご意見が混じってしまっている感じ?)。あと、ぜんぜん関係ないけれど、最初のへんにちらっと出てくる、ひとみの大学(教育学部)の友達、笹本遥という人が、なんのためにこの小説に登場しているのか、がよくわからない。何か布石というか伏線として使おうとして、回収し忘れたのかな?(あるいは同シリーズの別の作品にも出てくるとか?)。
そういえば、これもぜんぜん関係ないけれど、小説の始まり(?の1の冒頭)が、T.S.エリオットの「荒地」(詩)の冒頭っぽくなっている。たまたまだろうけどね。
<四月は、学校を落第した者にとっては残酷な月である。>(p.5)
あれ、「落第」とか言っているな。世代論(?)はあまり好きではないのだけれど、90年代後半、もう、受験生たちは入学試験で不合格になることを「落第する」とはあまり言わないかもしれない(ちなみに作者は1928年生まれ)。
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