斎藤栄 『完全誘拐』
2008年7月22日 読書廣済堂、1980/廣済堂文庫、1990。手もとにあるのは文庫のほう。(文庫はほかの出版社からも出ていたと思う。)これもぜんぜん期待していなかったせいか、意外と面白かったです。※以下、いつものようにネタバレしているのでご注意ください。
2つの話が平行して進んでいく感じの小説で、まず1つは、盛岡から上京してアルバイトをしながら予備校生活3年、それでも合格に恵まれなかった若者、仙波勉(21歳)は、背負わされた借金から田舎の両親が自殺してしまい、生きる張り合いを失ったこともあり、(本人も)自殺を考えているけれど、その前に、「西急デパート」社長の娘を誘拐して、両親の死とも無関係ではない資本主義の象徴である(?)デパートに、一般庶民に商品を無料で提供するように要求する、みたいな話。有名進学塾「四谷清明塾」の春期講習に通っている章子(小学5年)を誘拐し、拾った東大生の学生証で半年前から家庭教師をしている生徒の家邸(一家はただいま海外旅行中)で彼女を軟禁(?)しながら、塾に通えない間に勉強が遅れないようにと家庭教師をしたりする。それと平行するもう1つの話は、誘拐事件が起こる1週間くらい前、西急デパートの常務取締役、石本豊が秦野(丹沢山麓)にある別荘住宅の1つでガス中毒により死んでいるところを発見され、警察が採ろうとする自殺説を信じない妻の映子と、石本が目をかけていた部下の大林徳次郎(銀座支店次長)は、殺した犯人が誰なのかを考えたり、その手がかりを得ようとしたりする、みたいな話。というか、あいかわらずあらすじをまとめるのが下手だな、自分(涙)。
そう、家庭教師を可能にする東大生の学生証を拾ったのが半年前なのに、すでに小学生を5人、中学生を10人教えた経験があるというのは、設定にちょっと無理があるような…。ま、拾ったのを1、2年くらい前にすればいいだけか。だいたいそんなに教え方がうまいのなら、自分ももっと勉強ができたのではないかと思うのだけれど、そんなこともないのかな、勉くん。難関である東大や医学部を志望していたというわけでもなさそうだし、どうして受からなかったのかな(うーん…)。そういえば、本人が受験生として、具体的にどういう勉強をしていたのかは書かれていないのに、小学生の章子がどういう勉強をしているのか(例によって国語は漢字とかだけれど)は書かれている。「受験競争」「受験戦争」というと、作者の頭の中では、大学受験よりも中学校受験(あるいは高校受験――大林は今度中3になる息子のことを心配している)のイメージなのだろうか。そう、デパート商法に対してもそうだけれど、なぜか「受験競争」に対してもそれほど批判的なことは書かれていない感じ。
あと、この小説もたいていの小説と同様、受験生がらみの比喩というか、受験生だからこれこれ、みたいな説明的な表現でかえってリアリティーを損なっている気がする。例えば次のような箇所は、個人的には読んでいてちょっといらっとさせられる。
<受験勉強一筋で、この数年を過ごしてきた勉は、今回の犯行を思い立ったときも、刑法の解説書を取り寄せて、自分の犯罪が、どんな刑罰に値するのか調べた。(略)>(p.32)
<(略)。どちらでも、構わないようだが、受験勉強で、いわゆる○×問題の解答を考え続けてきた勉には、ハッキリしないのが妙に気がかりで仕方がなかった。>(p.33)
「受験勉強」というのは「調べ学習」のことなのか? あるいは「受験勉強」というのは「○×問題」(答えが○か×かの選択問題)を解くことなのか? うーん…。AでBを説明する場合(BをAに喩えたりする場合)そのAの部分には、なんていうか、話し手の身近なことや当たり前であると考えていることが来やすいけれど、この元浪人生(というより作者)の常識や経験などと、私のなかの大学受験に対するそれとがずれている感じ。逆にそういうところが一致していれば「そうそう!」と思える小説になるのかもしれない。当然そういう小説のほうを私は読みたいと思っているのだけれど。そういえば、この小説も、単行本が1980年に出ているらしいのに、まだ「国立一期校」とか言っているな…(p.65、廣済堂文庫)。あ、でもこの人の場合、3浪しているのだから、それでもいいのか。
文句ばっかり言っていても文句を言われそうなので、例えば次のような箇所は“浪人生小説”としてはよい感じ(?)かもしれない。
<勉が、真剣に勉強していたとき、「一生懸命、勉強すれば、必ず試験に合格する」という暗黙の約束が、誰かとできていたはずなのだ[「誰か」に傍点―引用者注]。/けれども、現実は厳しかった。ただ勉強しただけでは、合格はしないことが分かった。勉は裏切られたと感じた。しかし、それが誰に裏切られたのかは、まるで分からなかった。そのために、一層、苛立たしく、絶望的になったのである。>(pp.55-6)
傍点付きの「誰か」と約束するということは、イコール「信じる」ということ? 「努力」について書かれている箇所もあったけれど、「頑張れば報われる」と信じていなければ、基本的に楽しいはずがない受験勉強なんて長い間、続けていられないよね。でも、それはたんなる「信念」にすぎないわけで。受験はかなりシビアというか、結果のみが問われ、過程が問われない(フィリップ・マーロウな)世界、だっけ?(by 高田崇史<千波くんシリーズ>)。結果が出ないことには悲しいかな、過程=努力が肯定されない(自己肯定しきれない)。2浪、3浪と浪人年数がかさんでくると、その“努力信仰”(“ガンバリズム”)も揺らいで来てしまうだろうしね。(よく覚えていないけれど、日本人の努力信仰については、新井素子『ハッピー・バースディ』で少し書かれていたと思う。)あ、上の箇所は、努力(勉強)というのは必要条件であって十分条件ではない、すなわち、努力以外にプラス・アルファとして運なども必要、みたいなふうにも読めるか(読めないか)。話が逸れてしまうけれど、以前、何かにどこかの予備校の先生が(よく覚えていないけれど)生徒から「どうして勉強しなければならないのか?」と尋ねられたら、「そういう問いを忘れるために勉強して欲しい」と答える、みたいなことを書いていたのを読んだことがあるけれど、そういうのはどうなのかな? 平面的な答えではなくて、垂直的な答え(メタな回答)? こんな箇所がある、章子に熱心に(?)勉強を教えているところ、
<勉は、自分が誘拐犯であることを忘れていた。>(p.120)
自分が何者であるか、さらに勉強していることさえも忘れるくらいの勉強が必要なのかもしれない、大学に合格するには。…って、本当かよ!(汗)。
ネタバレしてしまうけれど、勉くんは、当初デパートが要求を実行したら(章子を解放したのち)するつもりだった自殺を、頭の回転が速いというか、おりこうさんな章子と話をしたりしているうちにやっぱり取り止めることに。――これは幼い女の子に救いがある、みたいなよくあるパターン?(庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』とか村上春樹とか、小説ではないけれど、宮崎駿のアニメ映画とか)。社長の子どもが息子であれば男の子を誘拐したのかもしれないけれど。いずれにしても(これもネタバレしてしまうけれど)自殺志願を取り下げた勉くんは、自殺を偽装された形で殺されてしまうことに。――浪人生の目線で読めば、いちおう“青春小説”にもなっている感じ、かな。どうでもいいけれど、もし死なずに自首した場合、その後はどうなったかな? 早めに出所できたとしても、デパートからものすごい額の損害賠償を請求されていて、身動きが取れない感じ?
勉の要求に対するデパート側(大人たちというか)の対応についてぜんぜん触れていないけれど、まぁいいか(汗)。
2つの話が平行して進んでいく感じの小説で、まず1つは、盛岡から上京してアルバイトをしながら予備校生活3年、それでも合格に恵まれなかった若者、仙波勉(21歳)は、背負わされた借金から田舎の両親が自殺してしまい、生きる張り合いを失ったこともあり、(本人も)自殺を考えているけれど、その前に、「西急デパート」社長の娘を誘拐して、両親の死とも無関係ではない資本主義の象徴である(?)デパートに、一般庶民に商品を無料で提供するように要求する、みたいな話。有名進学塾「四谷清明塾」の春期講習に通っている章子(小学5年)を誘拐し、拾った東大生の学生証で半年前から家庭教師をしている生徒の家邸(一家はただいま海外旅行中)で彼女を軟禁(?)しながら、塾に通えない間に勉強が遅れないようにと家庭教師をしたりする。それと平行するもう1つの話は、誘拐事件が起こる1週間くらい前、西急デパートの常務取締役、石本豊が秦野(丹沢山麓)にある別荘住宅の1つでガス中毒により死んでいるところを発見され、警察が採ろうとする自殺説を信じない妻の映子と、石本が目をかけていた部下の大林徳次郎(銀座支店次長)は、殺した犯人が誰なのかを考えたり、その手がかりを得ようとしたりする、みたいな話。というか、あいかわらずあらすじをまとめるのが下手だな、自分(涙)。
そう、家庭教師を可能にする東大生の学生証を拾ったのが半年前なのに、すでに小学生を5人、中学生を10人教えた経験があるというのは、設定にちょっと無理があるような…。ま、拾ったのを1、2年くらい前にすればいいだけか。だいたいそんなに教え方がうまいのなら、自分ももっと勉強ができたのではないかと思うのだけれど、そんなこともないのかな、勉くん。難関である東大や医学部を志望していたというわけでもなさそうだし、どうして受からなかったのかな(うーん…)。そういえば、本人が受験生として、具体的にどういう勉強をしていたのかは書かれていないのに、小学生の章子がどういう勉強をしているのか(例によって国語は漢字とかだけれど)は書かれている。「受験競争」「受験戦争」というと、作者の頭の中では、大学受験よりも中学校受験(あるいは高校受験――大林は今度中3になる息子のことを心配している)のイメージなのだろうか。そう、デパート商法に対してもそうだけれど、なぜか「受験競争」に対してもそれほど批判的なことは書かれていない感じ。
あと、この小説もたいていの小説と同様、受験生がらみの比喩というか、受験生だからこれこれ、みたいな説明的な表現でかえってリアリティーを損なっている気がする。例えば次のような箇所は、個人的には読んでいてちょっといらっとさせられる。
<受験勉強一筋で、この数年を過ごしてきた勉は、今回の犯行を思い立ったときも、刑法の解説書を取り寄せて、自分の犯罪が、どんな刑罰に値するのか調べた。(略)>(p.32)
<(略)。どちらでも、構わないようだが、受験勉強で、いわゆる○×問題の解答を考え続けてきた勉には、ハッキリしないのが妙に気がかりで仕方がなかった。>(p.33)
「受験勉強」というのは「調べ学習」のことなのか? あるいは「受験勉強」というのは「○×問題」(答えが○か×かの選択問題)を解くことなのか? うーん…。AでBを説明する場合(BをAに喩えたりする場合)そのAの部分には、なんていうか、話し手の身近なことや当たり前であると考えていることが来やすいけれど、この元浪人生(というより作者)の常識や経験などと、私のなかの大学受験に対するそれとがずれている感じ。逆にそういうところが一致していれば「そうそう!」と思える小説になるのかもしれない。当然そういう小説のほうを私は読みたいと思っているのだけれど。そういえば、この小説も、単行本が1980年に出ているらしいのに、まだ「国立一期校」とか言っているな…(p.65、廣済堂文庫)。あ、でもこの人の場合、3浪しているのだから、それでもいいのか。
文句ばっかり言っていても文句を言われそうなので、例えば次のような箇所は“浪人生小説”としてはよい感じ(?)かもしれない。
<勉が、真剣に勉強していたとき、「一生懸命、勉強すれば、必ず試験に合格する」という暗黙の約束が、誰かとできていたはずなのだ[「誰か」に傍点―引用者注]。/けれども、現実は厳しかった。ただ勉強しただけでは、合格はしないことが分かった。勉は裏切られたと感じた。しかし、それが誰に裏切られたのかは、まるで分からなかった。そのために、一層、苛立たしく、絶望的になったのである。>(pp.55-6)
傍点付きの「誰か」と約束するということは、イコール「信じる」ということ? 「努力」について書かれている箇所もあったけれど、「頑張れば報われる」と信じていなければ、基本的に楽しいはずがない受験勉強なんて長い間、続けていられないよね。でも、それはたんなる「信念」にすぎないわけで。受験はかなりシビアというか、結果のみが問われ、過程が問われない(フィリップ・マーロウな)世界、だっけ?(by 高田崇史<千波くんシリーズ>)。結果が出ないことには悲しいかな、過程=努力が肯定されない(自己肯定しきれない)。2浪、3浪と浪人年数がかさんでくると、その“努力信仰”(“ガンバリズム”)も揺らいで来てしまうだろうしね。(よく覚えていないけれど、日本人の努力信仰については、新井素子『ハッピー・バースディ』で少し書かれていたと思う。)あ、上の箇所は、努力(勉強)というのは必要条件であって十分条件ではない、すなわち、努力以外にプラス・アルファとして運なども必要、みたいなふうにも読めるか(読めないか)。話が逸れてしまうけれど、以前、何かにどこかの予備校の先生が(よく覚えていないけれど)生徒から「どうして勉強しなければならないのか?」と尋ねられたら、「そういう問いを忘れるために勉強して欲しい」と答える、みたいなことを書いていたのを読んだことがあるけれど、そういうのはどうなのかな? 平面的な答えではなくて、垂直的な答え(メタな回答)? こんな箇所がある、章子に熱心に(?)勉強を教えているところ、
<勉は、自分が誘拐犯であることを忘れていた。>(p.120)
自分が何者であるか、さらに勉強していることさえも忘れるくらいの勉強が必要なのかもしれない、大学に合格するには。…って、本当かよ!(汗)。
ネタバレしてしまうけれど、勉くんは、当初デパートが要求を実行したら(章子を解放したのち)するつもりだった自殺を、頭の回転が速いというか、おりこうさんな章子と話をしたりしているうちにやっぱり取り止めることに。――これは幼い女の子に救いがある、みたいなよくあるパターン?(庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』とか村上春樹とか、小説ではないけれど、宮崎駿のアニメ映画とか)。社長の子どもが息子であれば男の子を誘拐したのかもしれないけれど。いずれにしても(これもネタバレしてしまうけれど)自殺志願を取り下げた勉くんは、自殺を偽装された形で殺されてしまうことに。――浪人生の目線で読めば、いちおう“青春小説”にもなっている感じ、かな。どうでもいいけれど、もし死なずに自首した場合、その後はどうなったかな? 早めに出所できたとしても、デパートからものすごい額の損害賠償を請求されていて、身動きが取れない感じ?
勉の要求に対するデパート側(大人たちというか)の対応についてぜんぜん触れていないけれど、まぁいいか(汗)。
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