河野典生 『殺意という名の家畜』
2008年8月30日 読書宝石社、1963。文庫は角川文庫から出ているようだけれど、私が読んだのは『日本推理作家協会賞受賞作全集18 殺意という名の家畜』(双葉文庫、1995)。中途半端に古い小説だし、ぜんぜん期待していなかったから、思っていたよりは面白かったけれど、でも、うーん…、微妙といえば微妙な感じかもしれない。※以下毎度すみません、ネタバレにはご注意ください。
<犯罪小説家として売り出し中の私のもとへ、むかし抱いた星村美智から電話がかかってきたのは深夜だった。「今、会ってほしいの」という。むろん私は断ったが、私の郵便受けに一片のメモを残して彼女は消息を絶った。しかたなくメモを調べはじめる私。そこに驚くべき知らせが……!>(カバー後ろより)
「むかし」と言っているけれど、「電話がかかってきた」時点(昭和37年=1962年)から見れば、「私」(岡田晨一)が美智を「抱いた」のは、まだ前年のこと。小説の冒頭に「私」が昨年(昭和37年)のことを回想する、みたいな外枠が設けられているのだけれど、その時点(小説内の現在?)から言っても、前々年(おととし)のことになる。ただ、心理的には(少なくとも↑を書いた人にとっては)「むかし」と言いたくなるくらい前のことなのかもしれないけれど。
ゆくえ知れずの女の子の足跡を辿って、あちこち訪れたり、関係する人たちと会って尋ねたりする、みたいな話は、小説の1つのパターンかな。だんだんとその人の隠されていた面があらわになっていく、みたいな…。小説というか、この小説のようなハード・ボイルドな(?)推理小説でよくある話? そういえば、この小説、調査の糸がとぎれることがない、主人公の行動がほとんど停滞しない感じ。その手の内容の小説を書いている作家とはいえ、素人探偵のはずなのに、ちょっとうまく行きすぎているというか。何度か足が止まるくらいのほうが自然な気も。
それはともかく、ハード・ボイルド作家の(?)「私」が、美智の暮らしていたアパートを訪れると(場所は都内、具体的に書かれているけれど、細かいことはまぁいいか。名前は「栄荘」)、隣の部屋の住人として浪人生、松井良夫(1浪)が登場してくる。小説における浪人生の登場パターンでいえば、“疑わしきは浪人生もの”というか、そんな感じ。大学を卒業して今年から商事会社に勤める兄(新入社員なのに月の半分は海外に?)と2人暮らし、言葉に北関東北部あたりのなまりがある(語り手の推定)らしい。人物造形としては、意外とステレオタイプにはなっていない感じがするけれど。本棚にコリン・ウィルソンの訳本(愛読書?)があるとか。「私」が松井くんと会ったのはいつだっけ? あ、9月14日か。
<「今日は予備校は?」/「短い夏休みだったんです。だからもう始まってますけど、秋から英語学院だけにしようかと思って、まだ、はっきり決めてませんが、どうせ大学の講師くずれあたりが小遣いかせぎにやってるんだから、どこへ行っても、大して違いはないような気もするし……」>(p.58)
支離滅裂とは言わないけれど、何を言っているのかよくわからない。「短い夏休み」って? 「英語学院」というのは、今風にいえば「英会話学校」「英会話教室」? 英語(だけ)が苦手なのかな。どこでも大差ないなら、そのままいまの予備校に通い続ければいいのに。「小遣い稼ぎ」というのも、大学講師であればありうると思うけれど、「くずれ」となるとむしろ、生活費を捻出な感じ?(「英会話教室」には、あまり大学の講師はいないかもね。そんなこともない?)。昭和30年代後半(1960年代前半)に出版された小説だけれど、“予備校講師観”みたいなものは、現代のそれにも通じる感じかな。大学の教授、准教授とかは(現在では)予備校でのアルバイトはできない(禁止されている)と思うけれど、(いまでも)講師くらいなら大丈夫なのでは?(よく知らないけれど)。――上の引用箇所は次のように続いている(引用多すぎ(汗))、
<「それもそうだな。おれも、地方から出て来て、一年間、予備校暮らしをやってたんだ。おれの場合は吉祥寺の三畳間だった。中央線の電車が通るたびに、ぐらぐらゆれてひどいもんだったな」/何という感傷的なせりふだろう、そう思いながら私はしゃべった[引用者註:「せりふ」に傍点]。松井の目に、わずかだが、希望のようなものが浮かんだ。だが、私はもうそれ以上は何もいってやらなかった。>(同頁)
どういう「希望」なのか、とても知りたい(連帯意識とか?)。「やらなかった」というのは、ちょっと横柄な?(「私」のキャラクター的にはしようがないか)。「中央線」って、いまと同じ中央線でも、JRではないよね? あ、いつごろだろう? 作者が1935年生まれ(早生まれ)らしいので、「私」もそれくらいの生まれな感じがする(どこかに年齢って書かれていたっけ?)。1953年くらい? 「予備校暮らし」という日本語って、個人的にはちょっと微妙かな…。予備校の建物に住みついているみたいな? 「浪人暮らし」と「予備校通い」が、頭のなかでブレンドされてしまったとか?(わからんけど)。
で、ネタバレしてしまうけれど、予備校に通わなくなっている予備校生の松井くんは、例によって(?)殺されてしまうわけだけれど、殺され方がこれまた、小説中浪人生の殺され方のパターンの例にもれず、自殺を偽装されて、みたいな…。登場してくる、とりあえず自殺であると思っている刑事は、これまた例によって例のごとく「受験ノイローゼ」という言葉も口に出しているし(p.115)。作中浪人生が実際にその理由で自殺する小説よりは多少まし、という気もするけれど。でも、どっちもどっちかな。
<犯罪小説家として売り出し中の私のもとへ、むかし抱いた星村美智から電話がかかってきたのは深夜だった。「今、会ってほしいの」という。むろん私は断ったが、私の郵便受けに一片のメモを残して彼女は消息を絶った。しかたなくメモを調べはじめる私。そこに驚くべき知らせが……!>(カバー後ろより)
「むかし」と言っているけれど、「電話がかかってきた」時点(昭和37年=1962年)から見れば、「私」(岡田晨一)が美智を「抱いた」のは、まだ前年のこと。小説の冒頭に「私」が昨年(昭和37年)のことを回想する、みたいな外枠が設けられているのだけれど、その時点(小説内の現在?)から言っても、前々年(おととし)のことになる。ただ、心理的には(少なくとも↑を書いた人にとっては)「むかし」と言いたくなるくらい前のことなのかもしれないけれど。
ゆくえ知れずの女の子の足跡を辿って、あちこち訪れたり、関係する人たちと会って尋ねたりする、みたいな話は、小説の1つのパターンかな。だんだんとその人の隠されていた面があらわになっていく、みたいな…。小説というか、この小説のようなハード・ボイルドな(?)推理小説でよくある話? そういえば、この小説、調査の糸がとぎれることがない、主人公の行動がほとんど停滞しない感じ。その手の内容の小説を書いている作家とはいえ、素人探偵のはずなのに、ちょっとうまく行きすぎているというか。何度か足が止まるくらいのほうが自然な気も。
それはともかく、ハード・ボイルド作家の(?)「私」が、美智の暮らしていたアパートを訪れると(場所は都内、具体的に書かれているけれど、細かいことはまぁいいか。名前は「栄荘」)、隣の部屋の住人として浪人生、松井良夫(1浪)が登場してくる。小説における浪人生の登場パターンでいえば、“疑わしきは浪人生もの”というか、そんな感じ。大学を卒業して今年から商事会社に勤める兄(新入社員なのに月の半分は海外に?)と2人暮らし、言葉に北関東北部あたりのなまりがある(語り手の推定)らしい。人物造形としては、意外とステレオタイプにはなっていない感じがするけれど。本棚にコリン・ウィルソンの訳本(愛読書?)があるとか。「私」が松井くんと会ったのはいつだっけ? あ、9月14日か。
<「今日は予備校は?」/「短い夏休みだったんです。だからもう始まってますけど、秋から英語学院だけにしようかと思って、まだ、はっきり決めてませんが、どうせ大学の講師くずれあたりが小遣いかせぎにやってるんだから、どこへ行っても、大して違いはないような気もするし……」>(p.58)
支離滅裂とは言わないけれど、何を言っているのかよくわからない。「短い夏休み」って? 「英語学院」というのは、今風にいえば「英会話学校」「英会話教室」? 英語(だけ)が苦手なのかな。どこでも大差ないなら、そのままいまの予備校に通い続ければいいのに。「小遣い稼ぎ」というのも、大学講師であればありうると思うけれど、「くずれ」となるとむしろ、生活費を捻出な感じ?(「英会話教室」には、あまり大学の講師はいないかもね。そんなこともない?)。昭和30年代後半(1960年代前半)に出版された小説だけれど、“予備校講師観”みたいなものは、現代のそれにも通じる感じかな。大学の教授、准教授とかは(現在では)予備校でのアルバイトはできない(禁止されている)と思うけれど、(いまでも)講師くらいなら大丈夫なのでは?(よく知らないけれど)。――上の引用箇所は次のように続いている(引用多すぎ(汗))、
<「それもそうだな。おれも、地方から出て来て、一年間、予備校暮らしをやってたんだ。おれの場合は吉祥寺の三畳間だった。中央線の電車が通るたびに、ぐらぐらゆれてひどいもんだったな」/何という感傷的なせりふだろう、そう思いながら私はしゃべった[引用者註:「せりふ」に傍点]。松井の目に、わずかだが、希望のようなものが浮かんだ。だが、私はもうそれ以上は何もいってやらなかった。>(同頁)
どういう「希望」なのか、とても知りたい(連帯意識とか?)。「やらなかった」というのは、ちょっと横柄な?(「私」のキャラクター的にはしようがないか)。「中央線」って、いまと同じ中央線でも、JRではないよね? あ、いつごろだろう? 作者が1935年生まれ(早生まれ)らしいので、「私」もそれくらいの生まれな感じがする(どこかに年齢って書かれていたっけ?)。1953年くらい? 「予備校暮らし」という日本語って、個人的にはちょっと微妙かな…。予備校の建物に住みついているみたいな? 「浪人暮らし」と「予備校通い」が、頭のなかでブレンドされてしまったとか?(わからんけど)。
で、ネタバレしてしまうけれど、予備校に通わなくなっている予備校生の松井くんは、例によって(?)殺されてしまうわけだけれど、殺され方がこれまた、小説中浪人生の殺され方のパターンの例にもれず、自殺を偽装されて、みたいな…。登場してくる、とりあえず自殺であると思っている刑事は、これまた例によって例のごとく「受験ノイローゼ」という言葉も口に出しているし(p.115)。作中浪人生が実際にその理由で自殺する小説よりは多少まし、という気もするけれど。でも、どっちもどっちかな。
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