小池真理子 『無伴奏』
2008年9月25日 読書
集英社、1990/集英社文庫、1994。新潮文庫からも出ているみたいだけれど、手もとにあるのは集英社文庫のもの。わりと透明感のある青春恋愛小説、という感じ。「彼方へ」(『薔薇船』/アンソロジー『恋する男たち』)、「天使」(『律子慕情』)よりもこちらを先に読めばよかったな、失敗した。長篇小説のほうがやっぱり情報量が多い。※以下、いつものようにネタバレ注意です、すみません。
<学園紛争、デモ、フォーク反戦集会。1960年代、杜の都・仙台。荘厳なバロック音楽の流れる喫茶店で出会い、恋に落ちた野間響子・17歳と堂本渉・21歳。多感で不良っぽい女子高生と男からも女からも愛されるような不思議な雰囲気の大学生の危険で美しい恋。激しい恋をひっそりと見守る渉の特別な友人、関祐之介。三人の微妙な関係が引き起こす忌まわしい事件はやがて20年後の愛も引き裂いていく。異色長編。>(カバー背より)
「私」(野間響子)によって20年前のことが語られる。20年前というのは(ちょっとネタバレしてしまうけれど)主に1969年の春くらいから1970年の冬までで、「私」でいえば高校3年から浪人1年目まで。後ろのほう4分の1くらいが予備校生編かな。時代が時代だから(?)県立S女子高校に通う「私」は、高校の友達のジュリーとレイコ(本名不明)とともに集会やデモに参加したり、ジャズ喫茶やラーメン屋に行ったり、学校(だいぶさぼっているみたいだけれど)では「制服廃止闘争委員会」の先頭に立ったり…している。そんなときに「無伴奏」という、クラシック音楽がかかっている、みんなおとなしく本を読んだりしている喫茶店で、東北大学3年生の堂本渉(わたる)と関祐之介、高校生(M女子学院)の高宮エマと出会う。それが渉との運命的な出会いだったというか、「私」は渉に対して恋に落ちた…みたいな感じ。(あ、渉が「私」に話しかけたきっかけは、「私」が路上で買って、そこで広げて読んでいた詩集。)
どうもエロスとタナトス(生と死)みたいなことが言いたくなってくるな、この小説。後者のほうは、自殺、自殺、自殺……。「私」が直接関わっているのではなくて、ほとんど伝聞的というか間接的なものだけれど。最後になってやっと(正確には最後の1つ前か)他殺が1件出てくる……というか、ミステリーだったのか、この小説は!(びっくりだ)。それはともかく、最初に出てくる自殺ばなしは、両親と妹が父親(サラリーマン)の転勤で東京へ行ったあと「私」が一緒に暮らすことになった伯母さん(子どものいない未亡人、ピアノの先生)の家の話で、伯母さんによれば、
<「十年くらい前よ。死んだ主人の親戚のお嬢さんが、うちに一年ほど居候してたことがあったの。当時、ちょうど響子ちゃんと同じ年くらいだったかしらね。その子、東北大学の受験に失敗して、一浪したんだけど。よほど神経が疲れてたんだねえ。ある朝、あの物置で首を吊っていたのよ」>(p.27)
とのこと。これは「私」を怖がらせるためかもしれず、真偽のほどは不明。1969年の10年前であれば、1959年? 人口的にあまり女子浪人生はいなかった時代かもしれない。あと、そう、この箇所だけでなく「一浪」という言葉がけっこう使われていて、個人的にはちょっと違和感が…。高校生(現役受験生)にとっては、ふつうただ「浪人」とだけ言えば、1浪のことを指すのではないかと思う。でも、(これもちょっとネタバレしてしまうけれど)「私」は“事件”が起こったりして、結局、1浪では大学に受からず2浪しているから、20年後目線では別に不自然ではないのかもしれない。
父親と交わした約束というか、父親から出された仙台に残ってもいいことの条件の1つに、<浪人せずに東京の大学に合格すること>(p.18)というのがあったにもかかわらず、「私」は浪人生に。浪人した原因はわりとはっきりしている。要するに勉強していない。欠席や早退常習犯の学校はもちろん、申し込んだ予備校の夏期講習や冬期講習には1度も行かず、模擬試験も1度も受けなかった、と言っている。そう、父親が振り込んだ予備校代をすべて使ってしまった、みたいなことも言っていたと思うけれど、そのお金はいったいどこに消えたの? 本を買ったりラーメンを食べたりしたくらいなら、だいぶあまっているはずだよね?(わからん)。伯母さんや父親に勉強をしている振りをしている「私」の言動というか演技というか、女の子がつく嘘はなんていうか、わかりくにくてちょっと怖いな、男の子のそれよりもたぶん。うーん…。あ、忘れていた。勉強していないというか、そもそもこの人、大学じたい1校も受けなかったらしい。浪人になってからは予備校にはちゃんと通っている感じだけれど(ショックな出来事があるまでは)。2浪目のことは、描かれてはいないのだけれど、志望を変えて(“事件”の影響で)最終的には心理学科に落ち着いたらしい。
これも時代が時代というか、最後のほうで出てくる“自殺ばなし”だけれど、三島由紀夫の割腹自殺(11月25日)のニュースを「私」は、予備校の補習室(自習室?)で聞いたと言っている。三島事件(?)も、いろいろな人によって「そのとき自分はどこでどうしていたか」みたいなことが語られがちな、歴史的な大事件なのか。そういえば、私の場合も、直接関わりがあるわけでもないのに、浪人中に起こった大きな社会的な事件(言ってしまうと歳がばれてしまうから言わないけれど)を最初にどこで知ったのかを、いまでもよく覚えている。あと、受験がらみのことでは、そう、「私」が高校3年のときのこと、<そのころ流行っていた『受験生ブルース』>というのを口ずさんでいる箇所がある(p.115)。「浪人ブルース」(だっけ?)という歌はなんとなく知っていたけれど、「受験生ブルース」というのもあったのか、知らなかったです。もっと有名な、舟木一夫の「高校三年生」はいつくらいの歌だっけ? もっと前かな。――あとで検索しておきます(汗)。関係ないけれど、固有名詞つながりでは『女学生の友』という名前も出てきている。“ジュニア小説”が載っている雑誌?(林真理子『葡萄が目にしみる』にも出てくるよね)。女子校であると男の子の目もないから、みんなで回し読みしたりとか、授業中に膝にのせて読んだりとかもしやすいかもね。
どうでもいいけれど、小池真理子の小説って意外と和洋折衷な感じ? 渉の実家が有名な和菓子屋だったり、祐之介が生活していて、渉が転がり込んでいる下宿が、大きな家にある元茶室だったり。(小川洋子の小説だったら洋風なもので統一されていそうなところかもしれない。)あと、この小説も「私」が妊娠するわけではないけれど、“妊娠小説”的な要素ありです。
<学園紛争、デモ、フォーク反戦集会。1960年代、杜の都・仙台。荘厳なバロック音楽の流れる喫茶店で出会い、恋に落ちた野間響子・17歳と堂本渉・21歳。多感で不良っぽい女子高生と男からも女からも愛されるような不思議な雰囲気の大学生の危険で美しい恋。激しい恋をひっそりと見守る渉の特別な友人、関祐之介。三人の微妙な関係が引き起こす忌まわしい事件はやがて20年後の愛も引き裂いていく。異色長編。>(カバー背より)
「私」(野間響子)によって20年前のことが語られる。20年前というのは(ちょっとネタバレしてしまうけれど)主に1969年の春くらいから1970年の冬までで、「私」でいえば高校3年から浪人1年目まで。後ろのほう4分の1くらいが予備校生編かな。時代が時代だから(?)県立S女子高校に通う「私」は、高校の友達のジュリーとレイコ(本名不明)とともに集会やデモに参加したり、ジャズ喫茶やラーメン屋に行ったり、学校(だいぶさぼっているみたいだけれど)では「制服廃止闘争委員会」の先頭に立ったり…している。そんなときに「無伴奏」という、クラシック音楽がかかっている、みんなおとなしく本を読んだりしている喫茶店で、東北大学3年生の堂本渉(わたる)と関祐之介、高校生(M女子学院)の高宮エマと出会う。それが渉との運命的な出会いだったというか、「私」は渉に対して恋に落ちた…みたいな感じ。(あ、渉が「私」に話しかけたきっかけは、「私」が路上で買って、そこで広げて読んでいた詩集。)
どうもエロスとタナトス(生と死)みたいなことが言いたくなってくるな、この小説。後者のほうは、自殺、自殺、自殺……。「私」が直接関わっているのではなくて、ほとんど伝聞的というか間接的なものだけれど。最後になってやっと(正確には最後の1つ前か)他殺が1件出てくる……というか、ミステリーだったのか、この小説は!(びっくりだ)。それはともかく、最初に出てくる自殺ばなしは、両親と妹が父親(サラリーマン)の転勤で東京へ行ったあと「私」が一緒に暮らすことになった伯母さん(子どものいない未亡人、ピアノの先生)の家の話で、伯母さんによれば、
<「十年くらい前よ。死んだ主人の親戚のお嬢さんが、うちに一年ほど居候してたことがあったの。当時、ちょうど響子ちゃんと同じ年くらいだったかしらね。その子、東北大学の受験に失敗して、一浪したんだけど。よほど神経が疲れてたんだねえ。ある朝、あの物置で首を吊っていたのよ」>(p.27)
とのこと。これは「私」を怖がらせるためかもしれず、真偽のほどは不明。1969年の10年前であれば、1959年? 人口的にあまり女子浪人生はいなかった時代かもしれない。あと、そう、この箇所だけでなく「一浪」という言葉がけっこう使われていて、個人的にはちょっと違和感が…。高校生(現役受験生)にとっては、ふつうただ「浪人」とだけ言えば、1浪のことを指すのではないかと思う。でも、(これもちょっとネタバレしてしまうけれど)「私」は“事件”が起こったりして、結局、1浪では大学に受からず2浪しているから、20年後目線では別に不自然ではないのかもしれない。
父親と交わした約束というか、父親から出された仙台に残ってもいいことの条件の1つに、<浪人せずに東京の大学に合格すること>(p.18)というのがあったにもかかわらず、「私」は浪人生に。浪人した原因はわりとはっきりしている。要するに勉強していない。欠席や早退常習犯の学校はもちろん、申し込んだ予備校の夏期講習や冬期講習には1度も行かず、模擬試験も1度も受けなかった、と言っている。そう、父親が振り込んだ予備校代をすべて使ってしまった、みたいなことも言っていたと思うけれど、そのお金はいったいどこに消えたの? 本を買ったりラーメンを食べたりしたくらいなら、だいぶあまっているはずだよね?(わからん)。伯母さんや父親に勉強をしている振りをしている「私」の言動というか演技というか、女の子がつく嘘はなんていうか、わかりくにくてちょっと怖いな、男の子のそれよりもたぶん。うーん…。あ、忘れていた。勉強していないというか、そもそもこの人、大学じたい1校も受けなかったらしい。浪人になってからは予備校にはちゃんと通っている感じだけれど(ショックな出来事があるまでは)。2浪目のことは、描かれてはいないのだけれど、志望を変えて(“事件”の影響で)最終的には心理学科に落ち着いたらしい。
これも時代が時代というか、最後のほうで出てくる“自殺ばなし”だけれど、三島由紀夫の割腹自殺(11月25日)のニュースを「私」は、予備校の補習室(自習室?)で聞いたと言っている。三島事件(?)も、いろいろな人によって「そのとき自分はどこでどうしていたか」みたいなことが語られがちな、歴史的な大事件なのか。そういえば、私の場合も、直接関わりがあるわけでもないのに、浪人中に起こった大きな社会的な事件(言ってしまうと歳がばれてしまうから言わないけれど)を最初にどこで知ったのかを、いまでもよく覚えている。あと、受験がらみのことでは、そう、「私」が高校3年のときのこと、<そのころ流行っていた『受験生ブルース』>というのを口ずさんでいる箇所がある(p.115)。「浪人ブルース」(だっけ?)という歌はなんとなく知っていたけれど、「受験生ブルース」というのもあったのか、知らなかったです。もっと有名な、舟木一夫の「高校三年生」はいつくらいの歌だっけ? もっと前かな。――あとで検索しておきます(汗)。関係ないけれど、固有名詞つながりでは『女学生の友』という名前も出てきている。“ジュニア小説”が載っている雑誌?(林真理子『葡萄が目にしみる』にも出てくるよね)。女子校であると男の子の目もないから、みんなで回し読みしたりとか、授業中に膝にのせて読んだりとかもしやすいかもね。
どうでもいいけれど、小池真理子の小説って意外と和洋折衷な感じ? 渉の実家が有名な和菓子屋だったり、祐之介が生活していて、渉が転がり込んでいる下宿が、大きな家にある元茶室だったり。(小川洋子の小説だったら洋風なもので統一されていそうなところかもしれない。)あと、この小説も「私」が妊娠するわけではないけれど、“妊娠小説”的な要素ありです。
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