新潮社、2006/新潮文庫、2008。表紙カバーはアニメ風…ではないか、どう呼ばれているのか知らないけれど、絵です。で、ジャケ買いといえばジャケ買いだったかもしれない。表紙をきっかけにして手に取ってぱらぱらとしてみたら、「受験」という文字が何度か見えたので、購入してみることに。

高校3年生の語り手(「ぼく」)が中学3年生くらいの精神年齢であるような…。これも片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館、2001/小学館文庫、2006)くらい売れれば、みそかすな感想が書かれたりする…ような小説かもしれないけれど。メガネを買いに行ってアルバイト店員として出会って、好きになった女の子が(※言い忘れていた、以下ネタバレ注意です、毎度すみません)、よくわからないけれど、<消える>という現象に見舞われていて、その消える間隔がだんだんと長くなって、みたいな…。『世界の~』のような病気とは違うけれど(実は<消える>その子は同じ高校の1つ下の2年生、語り手と歳は同じだけれど)、要するに同じようなものでしょう、“難病もの”と? こちらの性格のせいなのか、せめて消える理由、消えるようになったちゃんとしたきっかけみたいなものを、やっぱり説明して欲しかったなと思う。(そういうのを説明する気がない小説って増えている? いちおう恋愛マンガっぽい、なぜ戦争が起こっているのか不明な、高橋しんの『最終兵器彼女』あたりがいけなかったのかな? [追記]『最終兵器彼女』よりも、アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の影響かな。)

文章というか文体についても、体言止めとか鉤括弧の使われ方とか、なんていうかちょっと安っぽい小説、という印象を受ける。日本語もちょくちょく変だよね? 決定的に変、というのではなくて、なんていうか正しい使い方なのかそうではないのか、グレーゾーンな感じのものがいくつかある。作者(男性?)が帰国子女であるというなら、しかたないあきらめるけれど。「ぼく」(=葉山タカシ)は、あまり頭がよろしくない感じ(失礼)なのに、消える少女=織部あずさ(フランスからの帰国子女、両親はいまフランスに)にかかわって、勉強どころではなくなるまでは、志望大学がW大(の社会科学系学部)だって。そんなに偏差値があるのかよ、ちょっとびっくり(うーん…)。帰国子女たくさんな、通っている都内の進学私立高校って、けっこういいところなのかな。――それはともかく、今回もほかの現役受験生を勇気づけるような“名言”をひらっておこうか。

 <このままじゃマズいってことは、自分でもよくわかってる。でもぼくは、それが見えないふりをしているのだ。/受験なんて、とどのつまり、浪人すればやりなおせる。でも、今を逃したら、二度と取り返しがつかないことだってあるかもしれない。>(文庫、p.235)

これを、超自然的な問題を抱える彼女(というか想いを寄せる相手)がいる場合ではなくて、ふつうの彼/彼女がいる場合にあてはめていいのか、がたぶん大問題だよね。来年の1年間あるいは将来そっくりと、いま身近な、目の前にいたりする好きな人とを天秤にかけて…、というか、そんなことはどうでもいいか(汗)。ネタバレしてしまうけれど、最後の10分の1以下くらい(少ないけれど)が浪人生編。「ぼく」はあずさとのかかわりから影響を受けて、進路を変更して(非日常的な出来事を経由して本当にやりたいことが見つかる――というのも小説のパターンだけれど)結局、「N大芸術学部」に落ち着いたらしい。
 
 
[追記(2015/02/05)]少し加筆修正しました。ネットで感想を読んでみると、この小説、とても評判がよくて、ーもういちど読み直してみようかな。
 

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索