新潮社、1995/ポプラ社、2003/小学館文庫、2007。いま手もとにあるのは文庫本です。彼女(とか奥さんとか)の気持ちがわからないんです、みたいなよくある小説? あるいは、食欲と性欲は繋がっている、みたいな話をよく聞くけれど、「食」と「性」=「生」みたいな小説?(ってどういう小説だよ(汗))。よくわからないけれど、「海」は、「この世」と「あの世」を繋ぐ聖なる(?)場所なのか、なんなのか。――どうでもいいか。同じ作者の『世界の中心で、愛をさけぶ』(2001)もそうだったけれど、この小説も読み終わってすぐ、読み返したくなったです。別に面白かったからではなくて、意味がわからなくてだいぶ不満足感が残っていて(涙)。

 <いたって普通の健全な高校生であるぼくと、恋人のカヲル、破天荒な言動ゆえに学校内の有名人である友人のジーコ。不思議な絆で結ばれた3人は70年代、青春の日々を謳歌していた。/しかし、大学に入学した頃から、カヲルは心身に不調をきたし始める。(略)>(カバー後ろより。)

3人は高校の同級生。1977年、高校を卒業して「ぼく」(本名不明)とカヲル(苗字は「小林」)は大学生に。カヲルは県庁所在地M市の郊外にある大学に、「ぼく」はそのM市まで夜行で12時間もかかる場所の大学に。一方、大学受験に全敗したジーコ(天本コージ)はM市の中心地にある予備校に。予備校の寮は5階建て――ということなどは、「ぼく」宛ての手紙でわかるのだけれど、ジーコのほかの寮生(予備校生)に対する発言が、読んでいてちょっと…。結局、大学に行くつもりがなくて、あとで実際に予備校も中退(?)して、肉体労働アルバイトに専念してしまうからかもしれないけれど……というか、少し引用させてもらえば、

 <ここの連中は(というのは寮の連中はってことだけど)、みんな『ポパイ』を読んでイーグルスを聴いている。つまり大学には入れなかったけれど、気分は大学生ってわけだな。(略)>(p.166)
 <ここでは誰もが、受験勉強のせいで考える能力を麻痺させている。少なくとも、おれにはそうとしか思えない。いや、何も考えない口実のために受験勉強をしているのかもしれないな。(略)>(p.167)

といった感じ。難しい本も読んでいて(例えば、3人がばらばらになってすぐくらいにはフォイエルバッハの『キリスト教の本質』という本を読んでいる)、頭もいいのだろうけれど、他人(=ほかの予備校生)がステレオタイプにしか見えていないというか。引用の後者、人生において浪人生のときが、ある種の難しいことをいちばん考えていた時期だった、という人も意外に多いのでは?(私なんかもそうかもしれないけれど)。

ちなみに、この予備校(の授業?)には出席確認のためにタイムカードがあるらしい。で、出席率が悪いと親に連絡がいくらしい。入学金&授業料さえいただければあとは来ようが来まいがお好きにどうぞ、みたいなぼったくり系(?)の予備校と較べてどう? ――自己管理が苦手な人にとってはそういう予備校(親に連絡がいく学校)のほうがいいかもね。そう、時代的に1977年では、磁気カードみたいなもの(コンピュータとつながっていて生徒を管理しやすそうな)がまだ使われていないのは当然か。

話が戻ってしまうけれど(別に戻るわけではないか)、「ジーコ」といえばやっぱり「神様」? ――なんていうか、やっぱりよくわからない小説だな(汗)。そう、「ぼく」が大学生だし、高校の同級生のカヲルが入院することになる病気が(よくわからないけれど)精神からくる摂食障害のようなもので、そういう意味では、村上春樹の『ノルウェイの森』に似てると言われていた『世界の中心で~』よりも、もっと『ノルウェイの森』っぽいかもしれない。あ、でも、『ノルウェイ~』と『世界~』の両方をちゃんと読み直してみないとわからないな。『世界~』みたいに蛍は出て来なかったけれど。

あと、「M市」ってどこ? 作者が愛媛県出身らしいからそのへん?
 

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