清水義範 「放火犯」
2009年3月29日 読書
同じ人=松本正幸(50歳)が1篇ごとに視点を変えて描かれている連作短篇集『八つの顔を持つ男』(朝日新聞社、2000/光文社文庫、2004)のいちばん最後に収録されているもの。この1篇の視点人物は、予備校に通っている浪人生の息子。年齢的にはちょっと遅めだけれど、“反抗期もの”みたいな感じ?(それだとずれてしまうか)。気分転換の散歩と称して夜によくゲームセンターに遊びに行っていた浩康は、いつものように出かけようとしたところ、このごろ強制されたり命令されたりすることに憤りを感じるようになっていた父親から、夜に出歩くのはよくないと言われ、ついにキレて言い返してしまう。――ちょっと近藤史恵『賢者はベンチで思索する』の最初の話っぽいかな、内容を書きすぎてしまうけれど(※以下ネタバレ注意です、すみません)あとでお父さんは息子がもしかしたら、マンションの近所で昨年から起こっている連続放火事件の犯人ではないかとちょっと疑っていたことがわかる。
ふつうの(?)“浪人生小説”と違うところは、そのお父さんが学習参考書や図鑑などを出している教育関係の出版社(「旭教育図書出版」水道橋にあるらしい)に勤めている点で、浩康くんは、毎年、出版案内から選んで参考書をもらってきてもらえるらしい。お小遣いから参考書を買わなくてはいけない受験生としてはちょっとうらやましい? ただでも、いまは机の上にあるその参考書が父親を象徴しているようで、嫌であるらしいけれど。でも、ある程度教育関係のことに詳しいだろうに、このお父さん(というか連作的にはメインキャラの正幸だけれど)は、子どもの教育に対してはあまり口を挟まないタイプらしい。ま、学校とか塾・予備校などで直接、人を相手に教えている職業ではないからかもしれないね。あ、でも、お母さん(博子)はお父さんに対して次のようなことを思っている。
<いろんな大学の入学試験問題集なんてものを作っているんだから、それらとのコネはあるだろうに、浩康をどこかの大学に入れるために一肌脱いでくれればいいではないか。私がなんとかしてやる、と言ってこそ父親なのに。>(文庫p.201、1篇前の「日常」)
大学別過去問集を出版すると、各大学とコネクションができあがるの? それによって例えば事前に問題(過去問ならぬ未来問?)がもらえたりしたら大問題だよね(汗)。その前に大学側も出版社からお金をもらったりしているのかな? だとしたら、それはそれで別の問題があると思うけれど。そう、このお母さん(お父さんと同じ歳)は、息子が浪人したことに対して、<こんなにガッカリしたことは五十年の人生で初めてだった(略)>(p.196)と言っている。あ、3人称小説だから「言っ」てはいないか。…それはともかく、50年って! ちょっと落胆しすぎだよね(汗)。
ストーリー的にはあと、正幸は会社の部下と不倫をしているのだけれど、(これもネタバレになってしまうけれど)息子は、その証拠のようなものを見つけてしまい、……これも引用したほうが正確かな、
<浩康が父親を憎悪するようになったのはそれ以来だった。そして、何をしていても集中できず、しばらくは放心状態で、ただ息苦しく生きていた。浩康が受験に失敗したことの、大きな原因だったかもしれないくらいだ。>(p.262)
現実逃避としてますます勉強する…とかは無理? わからないけれど、一般論として息子としては、でも、お父さんの裏切り(?)のほうがお母さんのそれよりもショックは少ないかな?(cf. 山田太一『岸辺のアルバム』)。この小説ではあまり悲惨な結末とかにはなっていない。関係ないけれど、図書館とか本屋とかで適当に小説を手にとって冒頭のへんとかを読んでみたりすると、大学受験前に両親が亡くなってしまって、働かなければならなくなった、みたいな話ってけっこう多いような気がするけれど、そういう経済的な不運と比べて……どちらが不幸? って比べられないか(汗)。
ちなみに、家は<埼玉県浦和市の、埼京線武蔵浦和駅にほど近い>(p.88)のマンションで、予備校はお母さんに<浦和にある能輪ゼミ>(p.198)に通うと言っているので、たぶんそこに通っているはず。お父さんは東京まで通勤しているのに、息子は近場すませているんだね。書き忘れていたけれど、家族にはあと、今年(平成10年が去年だから、今年は平成11年=1999年)大学を卒業して働いているお姉さん(久美、去年22歳だから今年23歳になる)がいる。いま書いていて気づいたけれど、両親が2人ともいわゆる“団塊の世代”(1998年に50歳だから1948年生まれ?)にあたるから、息子たちは文字通りの“団塊ジュニア”であるみたい。息子のほうというか浩康くんは1980年生まれ、お姉ちゃんは1976年生まれくらい、か。
ふつうの(?)“浪人生小説”と違うところは、そのお父さんが学習参考書や図鑑などを出している教育関係の出版社(「旭教育図書出版」水道橋にあるらしい)に勤めている点で、浩康くんは、毎年、出版案内から選んで参考書をもらってきてもらえるらしい。お小遣いから参考書を買わなくてはいけない受験生としてはちょっとうらやましい? ただでも、いまは机の上にあるその参考書が父親を象徴しているようで、嫌であるらしいけれど。でも、ある程度教育関係のことに詳しいだろうに、このお父さん(というか連作的にはメインキャラの正幸だけれど)は、子どもの教育に対してはあまり口を挟まないタイプらしい。ま、学校とか塾・予備校などで直接、人を相手に教えている職業ではないからかもしれないね。あ、でも、お母さん(博子)はお父さんに対して次のようなことを思っている。
<いろんな大学の入学試験問題集なんてものを作っているんだから、それらとのコネはあるだろうに、浩康をどこかの大学に入れるために一肌脱いでくれればいいではないか。私がなんとかしてやる、と言ってこそ父親なのに。>(文庫p.201、1篇前の「日常」)
大学別過去問集を出版すると、各大学とコネクションができあがるの? それによって例えば事前に問題(過去問ならぬ未来問?)がもらえたりしたら大問題だよね(汗)。その前に大学側も出版社からお金をもらったりしているのかな? だとしたら、それはそれで別の問題があると思うけれど。そう、このお母さん(お父さんと同じ歳)は、息子が浪人したことに対して、<こんなにガッカリしたことは五十年の人生で初めてだった(略)>(p.196)と言っている。あ、3人称小説だから「言っ」てはいないか。…それはともかく、50年って! ちょっと落胆しすぎだよね(汗)。
ストーリー的にはあと、正幸は会社の部下と不倫をしているのだけれど、(これもネタバレになってしまうけれど)息子は、その証拠のようなものを見つけてしまい、……これも引用したほうが正確かな、
<浩康が父親を憎悪するようになったのはそれ以来だった。そして、何をしていても集中できず、しばらくは放心状態で、ただ息苦しく生きていた。浩康が受験に失敗したことの、大きな原因だったかもしれないくらいだ。>(p.262)
現実逃避としてますます勉強する…とかは無理? わからないけれど、一般論として息子としては、でも、お父さんの裏切り(?)のほうがお母さんのそれよりもショックは少ないかな?(cf. 山田太一『岸辺のアルバム』)。この小説ではあまり悲惨な結末とかにはなっていない。関係ないけれど、図書館とか本屋とかで適当に小説を手にとって冒頭のへんとかを読んでみたりすると、大学受験前に両親が亡くなってしまって、働かなければならなくなった、みたいな話ってけっこう多いような気がするけれど、そういう経済的な不運と比べて……どちらが不幸? って比べられないか(汗)。
ちなみに、家は<埼玉県浦和市の、埼京線武蔵浦和駅にほど近い>(p.88)のマンションで、予備校はお母さんに<浦和にある能輪ゼミ>(p.198)に通うと言っているので、たぶんそこに通っているはず。お父さんは東京まで通勤しているのに、息子は近場すませているんだね。書き忘れていたけれど、家族にはあと、今年(平成10年が去年だから、今年は平成11年=1999年)大学を卒業して働いているお姉さん(久美、去年22歳だから今年23歳になる)がいる。いま書いていて気づいたけれど、両親が2人ともいわゆる“団塊の世代”(1998年に50歳だから1948年生まれ?)にあたるから、息子たちは文字通りの“団塊ジュニア”であるみたい。息子のほうというか浩康くんは1980年生まれ、お姉ちゃんは1976年生まれくらい、か。
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