本の中身がもっとインターネットで検索できるようになれば、こんなことはぜんぜん意味がないことだろうけれど。

・川西蘭『空で逢うとき』(河出書房新社、1980/河出文庫、1986)

 <気分はよくないが、口答えするのも疲れるから、よく動く母の口を見たまま口を閉ざしていた。“彼はカキのように寡黙な男だ”と頭の中で英作文の問題を解く。“ヒィ・イズ・アン・オイスター・マン”、思い出した。“新々英文解釈研究”の例題だ。>(pp.179-80、文庫)

「オブ・ア・」が抜けている。『豆単』とabandonほど強く結びついてはいないと思うけれど、『新々~』と言われると、このoyster(を含む文)を思い出すという人がけっこう多いみたいです。

  He is an oyster of a man.
  彼はかき(牡蠣)みたいな(寡黙な)人だ。

ちなみに作者は1960年生まれ。

・関川夏央「春の日の花と輝く」(『砂のように眠る むかし「戦後」という時代があった』新潮社、1993/新潮文庫、1997)

 <「(略)それにな、高校生は[(引用者注)ヘンリー・ミラーの『南回帰線』より]山崎貞の新々英文解釈とかチャート式の数Ⅱとか、そういうのを読むべきなんじゃないの」/ここでいらいらしたらまた体温があがって発作がぶり返す。わたしはこらえた。(略)>(p.153、文庫)

「わたし」は高校2年生で、1つ上の先輩と話している場面。1965年頃の話らしい。当時は数学のチャート式と肩を並べるくらい、代表的な英語の参考書だったことが窺える。

・森内俊雄「橋上の駅」(『梨の花咲く町で』新潮社、2011)

 <そのころ、ラムの『エリア随筆集』を戸川秋骨訳で読んだ。原テキストと合わせて読んだ。山崎貞の『新英文解釈』を丸暗記した程度の学力では、読解が困難であったが(略)>(p.159)

書名がちょっと違っているので、別の参考書の可能性も? 1955年、「わたし」が浪人中の話。

・三木卓『柴笛と地図』(集英社、2004/集英社文庫、2006)

 <そう思って、英語には精をだそうと思った。たしかに読むのはおもしろい。で、豊三は山崎貞『新々英文解釈研究』(研究社)などという分厚い参考書を読んだ。前後関係がわからない文章などを眺めて、あれこれ想像するのが楽しかった。/だがどうもそれは、受験勉強ということではないようなのである。(略)>(p.571、文庫)

1953年、主人公は高校3年生。ほかの参考書と比べてそれほど厚くはなかったのではないかと思うけれど。心理的な厚み(重さ)?


[補足]『新々~』の改訂履歴。

  (1) 1912
  (2) 1915 著者による改訂。『新~』に。
  (3) 1925 同。以降『新々~』に。
   * 1930年、著者・山崎氏が亡くなる。
  (4) 1941 高見頴治による改訂。
  (5) 1951 同。
  (6) 1958 佐山栄太郎による改訂。
  (7) 1965 同。
  (8) 1971 同。
  (9) 1979 同。
   * 1990年、改訂者・佐山氏が亡くなる。
   * 2008年12月、(7)の復刻版が出る。

最終更新:2012/03/01
 

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