手もとにあるのは、新潮文庫(1980年)。上下巻になっているものも出ているようだけれど、私が持っているのは(手に入ったのは)合本のもの。けっこう面白かったし、読みやすかったけれど、本文の最後が669ページ、とにかく読むのが遅いので、なかなか読み終わらなくてしんどかったです(涙)。単行本は、1975年に中央公論社から出ているらしい。文庫本は、中公文庫からも出ているようだ。で、ひと言でいえば、いろいろな人が出てきて、主人公にいろいろなことを言う小説かな。面白いキャラクターの人がけっこう出てくる。でも、人からあれこれと言われても、ずっとのん気でマイペースな主人公……。ちゃんと勉強していてお疲れぎみの浪人生に、意外とおすすめできる小説かもしれないな。反面教師としてというか、勉強の息抜きとして読めるかもしれない、ああこんな浪人生もいるんだ、みたいな(汗)。
<高校受験に失敗し、母校へ柔道の練習に通う洪作の前に、ひとりの高校生が現われた。<練習量がすべてを決定する柔道>という四高柔道部の彼の言葉に魅了された洪作は、まだ入学していない金沢の高校へとひとり出かけてゆく。――柔道に情熱のすべてを注ぎこんだ若き日の奔放な生活を、過ぎ去った青春への鎮魂の思いをこめて描く。『しろばんば』『夏草冬濤』につづく自伝的長編。>(カバー後ろより)
大正15年(1926年)3月、洪作(苗字は伊上)は沼津中学を卒業。昨年(四修)と同じく今年も静岡高校を受験して失敗。友達(藤尾、木部、金枝)は東京や京都(の私大予科)に散ってしまうけれど、洪作は、そのまま沼津で浪人生活を送ることに。というか、夏(8月)を過ぎてから勉強すればいいくらいの、のん気な考えでいる。そんなとき落第して卒業できなかった遠山から誘われて、柔道部に参加、母校に通い始める。そんな洪作を見て周りの人たち――特に宇田(化学の先生)は、台北(台湾)にいる両親(と弟妹)のところで勉強するようにと強く勧める、のだけれど、洪作はいっこうに乗り気にならない。そんなとき、蓮実という四高生が柔道場にやって来て、寝技中心の柔道で洪作や遠山を打ち負かし、四高に来て柔道をしないか、勉強なら金沢ですればいい、と洪作を誘う(というか、浪人生を誘惑(?)したらあかんよね(汗))。寝技中心の柔道=「練習量がすべてを決定する柔道」に惹かれた洪作も、行きたいと思うのだけれど、周りから説得もあって、やっぱり台北に行くことに。
でも、その前に郷里の湯ヶ島の親戚たちのところに挨拶まわりをしに行く。この親戚たちのキャラクターがまた面白いのだけれど、それはともかく。その後いったん沼津に戻って(あ、沼津ではお寺に下宿している)今度は、台北に行く前に四高の柔道部を訪ねようと思って、金沢に。←この時点でやっと小説の半分くらいかな(涙)。そのあとは、四高の柔道部の人たち(杉戸、鳶など――面白いキャラたち)との交流などが描かれている。夏期猛練習にも参加。で、なんだかんだで小説の最後、ようやっと台湾に向かう場面になって終わっている(汗)。要するにちゃんと受験勉強を始めるまでの数ヶ月(半年弱)が描かれている、という感じ。人とか柔道以外では、なにかとよく食べている小説かもしれない。洪作の送別会と称して、とか。あ、恋愛(というか)についても少し書かれていて、それも読んでいて面白かったです。タイトルの「北の海」は、四高の寮歌の一節に出てくる言葉――つまり日本海のことで、洪作は沼津に戻る前に1度、訪れている(杉戸、鳶、大天井との4人で、運送屋のトラックに乗せてもらったり、帰りにだいぶ道に迷ったり、ちょっと珍道中みたいな感じ?)。
“浪人生”ということでは、四高柔道部に出入りしながら受験勉強をすること、今年で4年目らしい大天井という人(蓮実によれば23、4歳)が出てくる。3浪目か4浪目? 体は丈夫そうでも、いわゆる“万年浪人生”という感じ、かもしれない。というか、高校3年になったときにすでに練習時間が6年分――みたいな人がふつうに試合(「高専大会」)とかに出てもいいの?(汗)。洪作くんの中学卒業までのことは(3部作の)前2作を読めば、詳しくわかると思うけれど(私は読んでいない)、中学受験も1度失敗しているらしい。(小学校の)高等科に1年通ってから中学に入ったらしい(その1年は「浪人」とは言えないかな。入学したのは浜松中学で、2年のときに転校したらしい)。
あまり時代を感じさせない小説であると思うけれど、でも、受験がらみのことでいえば(細かいところだけれど)、(「ノイローゼ」ではなく)「神経衰弱」とか、終わりにする・しあげる、みたいな意味で「参考書をあげる」といった言葉は、使われている。そう、「参考書」は具体的に書名を知りたいなと思ったけれど(大正末にどんなものが使われていたのか、気にならないですか?)、「参考書」としか書かれていない。そういえば、日本でいちばん高い山は富士山ではないらしい、知らなかったです。なに山だっけ?――どこに書かれていたか、見つからず(涙)。ま、そういうところに時代を感じたりはするか。
あと、本人も語っているけれど、洪作がいまのような性格になったのは、小さいころ、おぬい婆さん(曾祖父のお妾)と2人で土蔵で暮らしていたことがある、ということと、家族と離れて親の目の届かないところで自由に暮らしてきたことに原因があるらしい。
<高校受験に失敗し、母校へ柔道の練習に通う洪作の前に、ひとりの高校生が現われた。<練習量がすべてを決定する柔道>という四高柔道部の彼の言葉に魅了された洪作は、まだ入学していない金沢の高校へとひとり出かけてゆく。――柔道に情熱のすべてを注ぎこんだ若き日の奔放な生活を、過ぎ去った青春への鎮魂の思いをこめて描く。『しろばんば』『夏草冬濤』につづく自伝的長編。>(カバー後ろより)
大正15年(1926年)3月、洪作(苗字は伊上)は沼津中学を卒業。昨年(四修)と同じく今年も静岡高校を受験して失敗。友達(藤尾、木部、金枝)は東京や京都(の私大予科)に散ってしまうけれど、洪作は、そのまま沼津で浪人生活を送ることに。というか、夏(8月)を過ぎてから勉強すればいいくらいの、のん気な考えでいる。そんなとき落第して卒業できなかった遠山から誘われて、柔道部に参加、母校に通い始める。そんな洪作を見て周りの人たち――特に宇田(化学の先生)は、台北(台湾)にいる両親(と弟妹)のところで勉強するようにと強く勧める、のだけれど、洪作はいっこうに乗り気にならない。そんなとき、蓮実という四高生が柔道場にやって来て、寝技中心の柔道で洪作や遠山を打ち負かし、四高に来て柔道をしないか、勉強なら金沢ですればいい、と洪作を誘う(というか、浪人生を誘惑(?)したらあかんよね(汗))。寝技中心の柔道=「練習量がすべてを決定する柔道」に惹かれた洪作も、行きたいと思うのだけれど、周りから説得もあって、やっぱり台北に行くことに。
でも、その前に郷里の湯ヶ島の親戚たちのところに挨拶まわりをしに行く。この親戚たちのキャラクターがまた面白いのだけれど、それはともかく。その後いったん沼津に戻って(あ、沼津ではお寺に下宿している)今度は、台北に行く前に四高の柔道部を訪ねようと思って、金沢に。←この時点でやっと小説の半分くらいかな(涙)。そのあとは、四高の柔道部の人たち(杉戸、鳶など――面白いキャラたち)との交流などが描かれている。夏期猛練習にも参加。で、なんだかんだで小説の最後、ようやっと台湾に向かう場面になって終わっている(汗)。要するにちゃんと受験勉強を始めるまでの数ヶ月(半年弱)が描かれている、という感じ。人とか柔道以外では、なにかとよく食べている小説かもしれない。洪作の送別会と称して、とか。あ、恋愛(というか)についても少し書かれていて、それも読んでいて面白かったです。タイトルの「北の海」は、四高の寮歌の一節に出てくる言葉――つまり日本海のことで、洪作は沼津に戻る前に1度、訪れている(杉戸、鳶、大天井との4人で、運送屋のトラックに乗せてもらったり、帰りにだいぶ道に迷ったり、ちょっと珍道中みたいな感じ?)。
“浪人生”ということでは、四高柔道部に出入りしながら受験勉強をすること、今年で4年目らしい大天井という人(蓮実によれば23、4歳)が出てくる。3浪目か4浪目? 体は丈夫そうでも、いわゆる“万年浪人生”という感じ、かもしれない。というか、高校3年になったときにすでに練習時間が6年分――みたいな人がふつうに試合(「高専大会」)とかに出てもいいの?(汗)。洪作くんの中学卒業までのことは(3部作の)前2作を読めば、詳しくわかると思うけれど(私は読んでいない)、中学受験も1度失敗しているらしい。(小学校の)高等科に1年通ってから中学に入ったらしい(その1年は「浪人」とは言えないかな。入学したのは浜松中学で、2年のときに転校したらしい)。
あまり時代を感じさせない小説であると思うけれど、でも、受験がらみのことでいえば(細かいところだけれど)、(「ノイローゼ」ではなく)「神経衰弱」とか、終わりにする・しあげる、みたいな意味で「参考書をあげる」といった言葉は、使われている。そう、「参考書」は具体的に書名を知りたいなと思ったけれど(大正末にどんなものが使われていたのか、気にならないですか?)、「参考書」としか書かれていない。そういえば、日本でいちばん高い山は富士山ではないらしい、知らなかったです。なに山だっけ?――どこに書かれていたか、見つからず(涙)。ま、そういうところに時代を感じたりはするか。
あと、本人も語っているけれど、洪作がいまのような性格になったのは、小さいころ、おぬい婆さん(曾祖父のお妾)と2人で土蔵で暮らしていたことがある、ということと、家族と離れて親の目の届かないところで自由に暮らしてきたことに原因があるらしい。
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