バイク小説集(とやっぱり言いたくなる)『ラストラン』(ポプラ文庫、2009)に収録されているいちばん短い1篇(全5篇中)。単行本は…というか、本の後ろのほうに、<本書は1985年にCBSソニー出版で刊行された「いつか風が見ていた」に「遠い風の音」を加え改題したものです。>と書かれている。この1篇の初出は「解説」(池上冬樹)によれば、<「ブルータス」八一年四月一日号>らしい。

いやま伝説となっているZⅡ(ゼッツー)のエリという美人女性ライダーについて、オートバイ雑誌の編集者からご存じですか、という電話がかかってきて、「ぼく」はいまから6,7年前に知り合いであったその歳上の女性について、思い出している。という形で書かれている小説。最後にちょっとミステリー的な(?)サプライズがあるけれど、短いせいか、全体的に何かもの足りないような気も…。

昔…というか、1975年でも(原付バイクではない)オートバイに乗れるのは、いまと同じで18歳からでしょう? 「ぼく」は、ライダーたちが集まるボニーという喫茶店(明治通りの渋谷と原宿の中間にあるらしい)に出入りするようになるのだけれど、19歳の浪人生(一浪)であるといちばん歳下だからね、いじられるとまではいかないけれど、子ども扱いされているというか。「ぼく」は店主(オーナー)の南さんやエリから「健坊」と呼ばれている。坊や扱い。「ぼく」が乗っているのは――何だっけ?(ページをめくって……ありました)「CB400F」とのこと。私はバイクにも自動車にも疎いのだけれど、これは浪人生が乗っていてもいいような車種なの? それよりも購入代金はどうやって?(まぁどうでもいいか)。あ、でも、<ぼくはあの夏を、自分がバイクを捨てた夏、として記憶している。>(p.111)と語っている。何月生まれなのかな、健坊は? 高校を卒業してから乗るようになったのであれば、8月の第1土曜日の時点では、まだ半年も乗ってないことになる。

この小説も(物語的に)浪人生だからどうのこうのこうの、みたいな話はないのだけれど、ま、人との会話には、よく現われている感じ。例えば、こんなところ。

 <「受験生が遊んでいていいのか? 二浪はしたくないんだろう」/「放っておいてくれよ」ぼくは答えた。「この暑さだもの。やってられないよ。今晩は走り回って頭を冷やすよ」>(p.114)
 <「こら、予備校生。そんなことでサイコウガクフを目指せるのか」/「心配してくれなくなっていいったら」ぼくは言った。「それより、どう? 走ってみる気になった?」>(p.123)

上が南さん、下がエリ。「息抜き」という言葉は口にしていなかったと思うけれど(一字一句読みなおさないとわからないけれど)、エリを誘うのに「今晩だけ」みたいなことを言っているので、同じことかもしれない。ちなみに、「最高学府」というのは、「東京大学」という意味ではないです(一般常識かな、私は高校生くらいのときに間違って覚えていたけれど(汗))。小説のパターンとしては、好きだった人(憧れの女性)が自分の前からいなくなる、みたいな話だけれど、「ぼく」は多少、成長しているかもしれない…というか、それより浪人生の「ぼく」は大学には受かったのかな? 電話がかかってきた6、7年後の現在は、<同僚たちが黙々と図面に鉛筆を走らせてい>(p.104)るようなオフィスにいるらしいから――これは建築関係の設計事務所みたいなところ? 大学はちゃんと出ているかもしれない。
 

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