滝井孝作 「邦男と二宮と」
2009年5月17日 読書
短めの短篇小説。けっこう淡々と読んでしまって面白いのやら面白くないのやらよくわからなかったな。手もとにあるのは『日本文学全集36 滝井孝作・尾崎一雄集』(集英社、1967)で、初出は『文藝春秋』昭和6年(1931年)9月号らしい。ところで、新聞配達と並ぶ苦学生のアルバイトの定番といえば? ――そう、人力車夫ですね(汗)。いちおう商売をしているけれど、実家が金持ちなおかげで、ほとんど何もせずに暮らすことができている邦男。その邦男を視点人物として、苦学して鉱山の医者になり、いまは町の県立病院に勤務している二宮との親交(腐れ縁?)などが書かれている小説。気のいいお坊っちゃん(?)邦男は、二宮のことを「ニガ手」だと思っているわりに、気の障るようなことや命に関わるようなことをされても、しばらくすると簡単に許してしまうというか。
2人は中学校の同級生(同窓生)らしいのだけれど、東京で共同生活をしていたことがあって、冒頭はそのときのことについて書かれている。
<東京時分の親交は、今思いだせば苦笑が出た。邦男は上京した年は父の言いつけに従い高商の入学試験をうけて落第して、受験生の一年間に早くも都会の遊蕩の味を知ったが、この時分に中学の同窓の二宮に遊蕩を叱責されて「俺といっしょに自炊しないか、貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」と言われたりして、ことばに従い芝の方の二宮の二階借へ移っていった。>
受験に失敗しても家に戻らなかったのか。東京の「高商」だからいまでいえば一橋大学? 一般に、家が商売をしていると(この人の場合、次男だけれど)親は経済学部を受けろ、みたいなことを言いがちかもしれない。「芝の方」ってどこ?(あいかわらず、東京やその近辺の地理に疎いうえに調べる気もない(汗))。2人の郷里もどこなのか(私には)よくわからないな。「遊蕩」というのは……とりあえず「馴染の女」もできているらしい(「遊蕩仲間」もいるらしい)。「貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」というのはどうなのかな? 「貧苦」「嘗める」の内実にもよるか。あまり栄養状態がよくなかったりすると、勉強する気力もなくなるし、勉強中に頭も回転しなくなるよね。そういえば、回想的で短い箇所だけれど、浪人生(いちおう)の男が2人で暮らしている小説というのも、いままで読んだことがなかった気がする。
二宮は「夜学」に通っていると言っているのだけれど、どうも素振りにおかしい点があるので、ある日、邦男は出かける前の二宮に尋ねる。すると、彼は涙を流して謝ってくる。
<「僕実際君をだまかいてすまなんだ、僕は、鉱山の役人の所から月五円送金がきて、君には毎月十分仕送りが来るように見せかけたが五円より収入がないので、君といっしょになれば何とかなると思ったが、じつは今まで内証で俥を挽いて不足を補っていたんで、このとおり毎晩……」と、包[=風呂敷包]の中から汗くさい紺の半被と股引とが出た。邦男は世間に苦学生の俥夫があることは聞いていても目の前の友がそれとは思わなんだ。>([括弧]は引用者による)
このあと邦男はお金を工面したりするけれど、それも長くは続かず、二宮はまた働き出す。で、そうこうするうちに二宮は不意に千葉のほうへ行ったきり、帰って来ない。共同生活は結局、5,6ヶ月続いたらしい。――そもそもどうして「鉱山の役人」からお金がもらえるの? のちに鉱山の医者になっているらしいからそれと関係するのか。5円というのはいまでいえばいくらくらい? その前にいつの時代の話なのかが(私には)よくわからない。苦学をしている浪人生は、やっぱり働いていること(アルバイトをしていること)を友だちやほかの浪人生に隠しがちなのかな…。うーん。
2人の受験の結果というかは、二宮は(千葉の?)<医専の試験に受かったらしかった>とのこと。邦男本人は、中退してしまったらしいけれど、(東京の)「美術学校」に在籍していたらしい。
++++++++++++
人力車や車夫が出てくる小説については、十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫、2008)で少し詳しく書かれている(pp.246-56)。富田常雄『姿三四郎』には(読んだことがないので何の勉強をしているのかわからないけれど)苦学生の車夫が出てくるらしい。そういえば、その本(『近代日本文学案内』)では触れられていないけれど、山田美妙「花ぐるま」という、タイトルからして(?)人力車な小説もある。浪人生が出てくるのかと思って、だいぶ前に図書館で(収録されている本を)借りてみたのだけれど、ぱらぱらと拾い読みしたかぎりでは出てこない模様。
今東光『毒舌 身の上相談』(集英社文庫、1994)という、わりと質問者(相談者)に浪人生が含まれている人生相談Q&A本があるのだけれど、そのなかに「苦学している友人になにかしてやりたい」と見出しを付けられた予備校生からの相談がある。その内容はともかく、著者というか回答者が、回答のなかで、
<オレの中学時代の奴なんか、バイトで人力車夫しながら学校を出た。誰もそれを知らなかったんだよ。おめえも知らないことになっていることだし、知らんふりしといた方がいい。(略)>(p.74)
と言っている。回答者というか今東光は1898年生まれらしい。中学というのはもちろん旧制。誰も知らなかった、というのは、中学を卒業してから知った、ということ? そう、同じ中学生でも4年生とか5年生とかならいいかもしれないけれど、新聞配達と違って車挽きは夜だし、中学1,2年生くらいだとできない(できなかった)んじゃないの? そんなこともないのかな。そう、車を貸してくれるところが(子どもだからという理由で)貸してくれなそう。
2人は中学校の同級生(同窓生)らしいのだけれど、東京で共同生活をしていたことがあって、冒頭はそのときのことについて書かれている。
<東京時分の親交は、今思いだせば苦笑が出た。邦男は上京した年は父の言いつけに従い高商の入学試験をうけて落第して、受験生の一年間に早くも都会の遊蕩の味を知ったが、この時分に中学の同窓の二宮に遊蕩を叱責されて「俺といっしょに自炊しないか、貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」と言われたりして、ことばに従い芝の方の二宮の二階借へ移っていった。>
受験に失敗しても家に戻らなかったのか。東京の「高商」だからいまでいえば一橋大学? 一般に、家が商売をしていると(この人の場合、次男だけれど)親は経済学部を受けろ、みたいなことを言いがちかもしれない。「芝の方」ってどこ?(あいかわらず、東京やその近辺の地理に疎いうえに調べる気もない(汗))。2人の郷里もどこなのか(私には)よくわからないな。「遊蕩」というのは……とりあえず「馴染の女」もできているらしい(「遊蕩仲間」もいるらしい)。「貧苦を嘗めれば気持も改って生活が直る」というのはどうなのかな? 「貧苦」「嘗める」の内実にもよるか。あまり栄養状態がよくなかったりすると、勉強する気力もなくなるし、勉強中に頭も回転しなくなるよね。そういえば、回想的で短い箇所だけれど、浪人生(いちおう)の男が2人で暮らしている小説というのも、いままで読んだことがなかった気がする。
二宮は「夜学」に通っていると言っているのだけれど、どうも素振りにおかしい点があるので、ある日、邦男は出かける前の二宮に尋ねる。すると、彼は涙を流して謝ってくる。
<「僕実際君をだまかいてすまなんだ、僕は、鉱山の役人の所から月五円送金がきて、君には毎月十分仕送りが来るように見せかけたが五円より収入がないので、君といっしょになれば何とかなると思ったが、じつは今まで内証で俥を挽いて不足を補っていたんで、このとおり毎晩……」と、包[=風呂敷包]の中から汗くさい紺の半被と股引とが出た。邦男は世間に苦学生の俥夫があることは聞いていても目の前の友がそれとは思わなんだ。>([括弧]は引用者による)
このあと邦男はお金を工面したりするけれど、それも長くは続かず、二宮はまた働き出す。で、そうこうするうちに二宮は不意に千葉のほうへ行ったきり、帰って来ない。共同生活は結局、5,6ヶ月続いたらしい。――そもそもどうして「鉱山の役人」からお金がもらえるの? のちに鉱山の医者になっているらしいからそれと関係するのか。5円というのはいまでいえばいくらくらい? その前にいつの時代の話なのかが(私には)よくわからない。苦学をしている浪人生は、やっぱり働いていること(アルバイトをしていること)を友だちやほかの浪人生に隠しがちなのかな…。うーん。
2人の受験の結果というかは、二宮は(千葉の?)<医専の試験に受かったらしかった>とのこと。邦男本人は、中退してしまったらしいけれど、(東京の)「美術学校」に在籍していたらしい。
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人力車や車夫が出てくる小説については、十川信介『近代日本文学案内』(岩波文庫、2008)で少し詳しく書かれている(pp.246-56)。富田常雄『姿三四郎』には(読んだことがないので何の勉強をしているのかわからないけれど)苦学生の車夫が出てくるらしい。そういえば、その本(『近代日本文学案内』)では触れられていないけれど、山田美妙「花ぐるま」という、タイトルからして(?)人力車な小説もある。浪人生が出てくるのかと思って、だいぶ前に図書館で(収録されている本を)借りてみたのだけれど、ぱらぱらと拾い読みしたかぎりでは出てこない模様。
今東光『毒舌 身の上相談』(集英社文庫、1994)という、わりと質問者(相談者)に浪人生が含まれている人生相談Q&A本があるのだけれど、そのなかに「苦学している友人になにかしてやりたい」と見出しを付けられた予備校生からの相談がある。その内容はともかく、著者というか回答者が、回答のなかで、
<オレの中学時代の奴なんか、バイトで人力車夫しながら学校を出た。誰もそれを知らなかったんだよ。おめえも知らないことになっていることだし、知らんふりしといた方がいい。(略)>(p.74)
と言っている。回答者というか今東光は1898年生まれらしい。中学というのはもちろん旧制。誰も知らなかった、というのは、中学を卒業してから知った、ということ? そう、同じ中学生でも4年生とか5年生とかならいいかもしれないけれど、新聞配達と違って車挽きは夜だし、中学1,2年生くらいだとできない(できなかった)んじゃないの? そんなこともないのかな。そう、車を貸してくれるところが(子どもだからという理由で)貸してくれなそう。
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