舞城王太郎 「我が家のトトロ」
2009年5月25日 読書
『スクールアタック・シンドローム』(新潮文庫、2007)所収、3篇中の2篇目。単行本では『みんな元気。』(新潮社、2004)に収録されているらしい(文庫化で2冊に?)。とりあえず歌いにくいそうだよね、♪わがやのとっとろ、とっとーろ、…(汗)。なんていうか、わりと饒舌系だからつるつると読めてしまうのだけれど、でも、ちょっと注意して読まないといけない小説であるような。小説の冒頭では「リアル」という言葉が繰り返されているし、最初のほうの「僕」と濱田淳(会社の元同僚で売れない小説家)との会話はソクラテス(-プラトン)の対話篇ぽくなっているし。でも、ひと言でいえば“家族小説”なのかな、この小説。ふつうといえばふつうなのだけれど、面白かったのでちょっとおすすめです。
広告代理店に勤めていて広告の賞をもらったその日、「僕」(上口慎平、28歳)は“天啓”を受けて、脳外科医になることを決意し、会社を辞めて大学受験の勉強を始める。でも、以来いままで医学部には受からずにいる(今年33歳)。家には妻(りえ)と子ども(千秋)と猫(リスカ)がいる。――「医学部再受験」という言葉をときどき耳にするけれど、他人目線ではそんな状態にある人? あ、過去に1度も受けていないみたいだから「再」ではないか。どうでもいいけれど、脳外科医にならなくてはいけないという天啓がもたらされたのが頭(脳)であると考えると、何かSF小説とかホラー小説を連想する。例えば間違って脳に入ってしまった何かが自分を外に出してほしい、とか。私だけか(汗)。というか、逆に天啓が入ってきたのが脳だから脳外科医、という(小説的な)思い付きかもしれない。わからないけれど。
「僕」の戦績はといえば、ちょっと長いけれど引用させてもらうと、
<それから僕は四ヵ月後にセンター試験を受けて八〇〇点満点中五四〇点しか取れなくて二次試験なんて受ける気になれなくて個人指導塾に通って次の年にセンターで七〇〇点取って東大の二次試験で落ちて次の年はセンター七二〇点取ったけど東大と慶應の二次試験に落ちて去年は交通事故に遭って一ヵ月入院して試験どころじゃなくて今年は知り合いが自殺して葬儀があってそれを欠席してまで受けたのにまた落ちた(通夜には出た)。>(pp.86-7)
という感じ。脳外科医になりたい(だけな)のにどうして東大やら慶應やらを受けているのかがわからない。思ったよりも勉強の成果が出てしまって偏差値的に上をねらったとか? よく知らないけれど、東大の足切りラインって720点では大丈夫でも、700点ではちょっと足りなかったような…(テレビ東京『豪腕!コーチング』という番組の、「東大合格プロジェクト」というコーナーの結果発表の回を見たことがあって、年によって違うのだろうけれど、その年は710点台だったような記憶がある)。最初に受けた年を現役と考えれば、今年落ちて5浪目? 20代後半になって「個人指導塾」に通うのはちょっとつらいな、下手をしたら講師が歳下になっちゃうよね。今年の話で<春から新しい予備校に通うことにして>(p.151)と言っているので、少なくとも昨年は予備校に通っていたと思われる。先生と1対1の個別指導よりは、話を聞いているだけで済みそうな予備校のほうがましかな。あ、でも、教室にはひと回りも若い人たちがたくさん…。(こういうのは東京なら、いろいろな人がいるからまだいいけれど、出る杭は奇異な目で見られる、さびれた地方なんかだとつらいんだよね。)あと、「交通事故」というのは自転車に乗っているとき、ファミレスの駐車場から出てきた車に撥ねられたうえに踏まれて、両足を5箇所ずつ折ったらしい。試験前に交通事故で試験が受けられなかった、みたいなことは“受験生小説”ではたぶん、よくある話。“浪人生小説”では伊井直行『草のかんむり』がそう。
“家族小説”というか、子どもにも迷惑をかけているけれど、ひとまずやっぱり奥さんの理解と協力が必要だよね。お酒を飲んで帰ってきて暴れるみたいな旦那も困るけれど、5年も6年も勉強しているだけの旦那もとても困る…。ふつうの“浪人生小説”であると、親との関係が描かれていることは多いけれど、20代後半~30代前半の人の“再受験もの”では、そんなところ(=配偶者や子どもがいる点)も読みどころの1つではあるかもしれない。ちなみに、家があるのは――また付箋紙を貼り忘れたか(涙)、とりあえず東京です。
これもどうでもいいことだけれど、「気体に関するヘンリーの法則」(p.138)って何だっけ? 化学? 物理? どちらも勉強していたけれど、ぜんぜん覚えていないな。
広告代理店に勤めていて広告の賞をもらったその日、「僕」(上口慎平、28歳)は“天啓”を受けて、脳外科医になることを決意し、会社を辞めて大学受験の勉強を始める。でも、以来いままで医学部には受からずにいる(今年33歳)。家には妻(りえ)と子ども(千秋)と猫(リスカ)がいる。――「医学部再受験」という言葉をときどき耳にするけれど、他人目線ではそんな状態にある人? あ、過去に1度も受けていないみたいだから「再」ではないか。どうでもいいけれど、脳外科医にならなくてはいけないという天啓がもたらされたのが頭(脳)であると考えると、何かSF小説とかホラー小説を連想する。例えば間違って脳に入ってしまった何かが自分を外に出してほしい、とか。私だけか(汗)。というか、逆に天啓が入ってきたのが脳だから脳外科医、という(小説的な)思い付きかもしれない。わからないけれど。
「僕」の戦績はといえば、ちょっと長いけれど引用させてもらうと、
<それから僕は四ヵ月後にセンター試験を受けて八〇〇点満点中五四〇点しか取れなくて二次試験なんて受ける気になれなくて個人指導塾に通って次の年にセンターで七〇〇点取って東大の二次試験で落ちて次の年はセンター七二〇点取ったけど東大と慶應の二次試験に落ちて去年は交通事故に遭って一ヵ月入院して試験どころじゃなくて今年は知り合いが自殺して葬儀があってそれを欠席してまで受けたのにまた落ちた(通夜には出た)。>(pp.86-7)
という感じ。脳外科医になりたい(だけな)のにどうして東大やら慶應やらを受けているのかがわからない。思ったよりも勉強の成果が出てしまって偏差値的に上をねらったとか? よく知らないけれど、東大の足切りラインって720点では大丈夫でも、700点ではちょっと足りなかったような…(テレビ東京『豪腕!コーチング』という番組の、「東大合格プロジェクト」というコーナーの結果発表の回を見たことがあって、年によって違うのだろうけれど、その年は710点台だったような記憶がある)。最初に受けた年を現役と考えれば、今年落ちて5浪目? 20代後半になって「個人指導塾」に通うのはちょっとつらいな、下手をしたら講師が歳下になっちゃうよね。今年の話で<春から新しい予備校に通うことにして>(p.151)と言っているので、少なくとも昨年は予備校に通っていたと思われる。先生と1対1の個別指導よりは、話を聞いているだけで済みそうな予備校のほうがましかな。あ、でも、教室にはひと回りも若い人たちがたくさん…。(こういうのは東京なら、いろいろな人がいるからまだいいけれど、出る杭は奇異な目で見られる、さびれた地方なんかだとつらいんだよね。)あと、「交通事故」というのは自転車に乗っているとき、ファミレスの駐車場から出てきた車に撥ねられたうえに踏まれて、両足を5箇所ずつ折ったらしい。試験前に交通事故で試験が受けられなかった、みたいなことは“受験生小説”ではたぶん、よくある話。“浪人生小説”では伊井直行『草のかんむり』がそう。
“家族小説”というか、子どもにも迷惑をかけているけれど、ひとまずやっぱり奥さんの理解と協力が必要だよね。お酒を飲んで帰ってきて暴れるみたいな旦那も困るけれど、5年も6年も勉強しているだけの旦那もとても困る…。ふつうの“浪人生小説”であると、親との関係が描かれていることは多いけれど、20代後半~30代前半の人の“再受験もの”では、そんなところ(=配偶者や子どもがいる点)も読みどころの1つではあるかもしれない。ちなみに、家があるのは――また付箋紙を貼り忘れたか(涙)、とりあえず東京です。
これもどうでもいいことだけれど、「気体に関するヘンリーの法則」(p.138)って何だっけ? 化学? 物理? どちらも勉強していたけれど、ぜんぜん覚えていないな。
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