佐江衆一 『老熟家族』
2009年8月22日 読書
新潮社、1985/新潮文庫、1996。家庭内老人(高齢者)介護問題小説、みたいな感じ。おばあさんを殺したのは誰か、みたいなことで一応、推理小説としても読める。小説としての良し悪しはともかく、自分の家族(祖母、両親)のことなどを、あれこれと考えさせられる小説だった。手もとにあるのは文庫版だけれど、後ろの「解説」(沖藤典子)を読むと、ここ10年くらいの国の福祉政策の変遷なども少し知りたくなってくる。
森本家が暮らしているのは、横浜市の住宅地にある一軒家。おじいさんの亮作(87歳)とおばあさんのタツ(83歳)は離れなのだけれど、母屋には、会社員である息子の代志男(51歳)とその妻で主婦の律子(49歳)、私立大学1年の孫、鷹男(20歳)と同じく孫で高校3年生の直子(17歳か18歳)が暮らしている。――小説の冒頭は、1984年の梅雨明けが宣言された日(7月14日)。おばあさんが亡くなっていて、首に絞められたような痕があり、なんだかんだで(?)とりあえず夫の亮作が逮捕される。軽いボケというか痴呆症(いまでいえば認知症)が見られ、田上警部補(代志男と同じく51歳)たちは取り調べにも苦労したりする。痴呆症(認知症)を患い、半寝たきりだったおばあさんの面倒(下の世話など)を見ていたのは、義理の娘というか嫁、の律子。
ネタバレしてしまうかもしれないけれど、死にたかったり殺して欲しかったり、殺して欲しいと頼んだりする高齢者と、同居する高齢者に死んで欲しかったり自ら殺してしまいたかったり、殺して欲しいと頼まれたりする息子たち。――20年以上前に書かれた小説だけれど、同じ種類の問題は、いま現在も解決、解消せずに、家族まかせにされてそのまま引き継がれているように思う。どうしたらいいんだろうね…、本当に。
代志男は群馬県は板倉町の農家出身で、マイホームを建てることをきっかけに(マイホーム代の一部を負担してもらうことを条件に)地元から、妹夫婦と暮らしていた両親を引き取っている。上の2人の兄(源一郎、亮治)は若くして戦死、すぐ上の兄(名前は?)は幼くして病死していて、代志男は(その名前の通り?)四男。――小説的にはどうでもいいことかもしれないけれど、「板倉沼」とか、おばあちゃんが歌っていたという“藻採り唄”というのは本当にあるの? おじいさんの話し方も、群馬弁(上州弁)と老人語みたいなものが混じっていて、ちょっとぐちゃぐちゃになっている感じ。……そんなこともないのかな、おじいちゃん、明治の生まれだっけ?(うちの死んだじいちゃんよりも歳上か)。
最後に孫の鷹男が出てきてしゃべる場面がある。何この冷たい若者は? とか思うけれど、大人たちと比べて、素直で正直であるといえばそうなのかもしれない(<「だいたいおれ、はっきりいって、老人って生理的に嫌いなんですよ。老人って臭いでしょう。(略)」>、p.192)。お母さん目線の箇所などを読むと、鷹男くんが大学受験に2度失敗した(2浪した)理由も、祖父母と同居するようになったことが無関係でもない感じである。お父さん(“家族小説”の定番で、やっぱり不倫したりしていたらしい)は、えーと…、6月生まれか。息子が1浪目にちょうど50歳になっている計算。浪人生の親って、50歳前後くらいが多いのかな?
森本家が暮らしているのは、横浜市の住宅地にある一軒家。おじいさんの亮作(87歳)とおばあさんのタツ(83歳)は離れなのだけれど、母屋には、会社員である息子の代志男(51歳)とその妻で主婦の律子(49歳)、私立大学1年の孫、鷹男(20歳)と同じく孫で高校3年生の直子(17歳か18歳)が暮らしている。――小説の冒頭は、1984年の梅雨明けが宣言された日(7月14日)。おばあさんが亡くなっていて、首に絞められたような痕があり、なんだかんだで(?)とりあえず夫の亮作が逮捕される。軽いボケというか痴呆症(いまでいえば認知症)が見られ、田上警部補(代志男と同じく51歳)たちは取り調べにも苦労したりする。痴呆症(認知症)を患い、半寝たきりだったおばあさんの面倒(下の世話など)を見ていたのは、義理の娘というか嫁、の律子。
ネタバレしてしまうかもしれないけれど、死にたかったり殺して欲しかったり、殺して欲しいと頼んだりする高齢者と、同居する高齢者に死んで欲しかったり自ら殺してしまいたかったり、殺して欲しいと頼まれたりする息子たち。――20年以上前に書かれた小説だけれど、同じ種類の問題は、いま現在も解決、解消せずに、家族まかせにされてそのまま引き継がれているように思う。どうしたらいいんだろうね…、本当に。
代志男は群馬県は板倉町の農家出身で、マイホームを建てることをきっかけに(マイホーム代の一部を負担してもらうことを条件に)地元から、妹夫婦と暮らしていた両親を引き取っている。上の2人の兄(源一郎、亮治)は若くして戦死、すぐ上の兄(名前は?)は幼くして病死していて、代志男は(その名前の通り?)四男。――小説的にはどうでもいいことかもしれないけれど、「板倉沼」とか、おばあちゃんが歌っていたという“藻採り唄”というのは本当にあるの? おじいさんの話し方も、群馬弁(上州弁)と老人語みたいなものが混じっていて、ちょっとぐちゃぐちゃになっている感じ。……そんなこともないのかな、おじいちゃん、明治の生まれだっけ?(うちの死んだじいちゃんよりも歳上か)。
最後に孫の鷹男が出てきてしゃべる場面がある。何この冷たい若者は? とか思うけれど、大人たちと比べて、素直で正直であるといえばそうなのかもしれない(<「だいたいおれ、はっきりいって、老人って生理的に嫌いなんですよ。老人って臭いでしょう。(略)」>、p.192)。お母さん目線の箇所などを読むと、鷹男くんが大学受験に2度失敗した(2浪した)理由も、祖父母と同居するようになったことが無関係でもない感じである。お父さん(“家族小説”の定番で、やっぱり不倫したりしていたらしい)は、えーと…、6月生まれか。息子が1浪目にちょうど50歳になっている計算。浪人生の親って、50歳前後くらいが多いのかな?
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