和田はつ子 『娘の受験期』
2009年8月24日 読書
図書館から借りた本。三一書房、1990。19年前に出版された小説にしては、あまり古びていないと思う。この本も、書名でちょっと損をしているような?(なんていうか、売れなそう)。この作者、ホラー小説(というか角川ホラー文庫)や時代小説を書いているイメージがあったので、ちょっと心配していたのだけれど、思ったよりしっかりしている小説でよかったです。長さ・文体的に地の文と変わらないような会話部分があって、それは読んでいてちょっとめんどくさかったけれど。内容はひと言でいえば、“お受験もの”という感じかな、やっぱり。というか、“教育”全般について考えるための情報小説として、手もとに置いておきたいな、この本(例によってブックオフなどで探しても見つからず(涙))。教育に関する記述が、変に偏っていなくて、この手の小説(?)にしてはバランスがとてもいいような気が。読んでいて苛々しない。浪人生(大学受験浪人生)に薦められる小説か、といえば、浪人生が読んでもあまり得るところはないかな。「理想の教育とは?」みたいなことを考えている(考えなくてはいけない)教師志望の大学生が読むとよい、ような小説ではあるかもしれない(わからないけれど)。
3人称小説で途中で視点が交替したりするけれど、主人公と言えるのは、「国立学術大学」の教育学部国語科の助教授、小田島悠一(専門は近代文学)。前科長の岡倉教授(下の名前は道祐、中世文学)たちから押し付けられた科長として、教師志望である教え子たちの就職先を見つけるのに苦労したりしている。そんなとき、教え子の1人で「教職浪人」をしていた高梨(下の名前は圭、男子学生)は、ほかの先輩2人――予備校の講師・田辺一成と中学校教師の溝口秀昭――と一緒に塾を始めると言う。一方、悠一には、自身が勤める大学の付属中学校に通う今年中学3年になる娘、由加がいる。家族にはほかに、妻の奈美(元公立中学の音楽教師)、小学生の息子、冬樹がいる。大学の同じ学科には、……全員書いておくか。
教授
岡倉道祐(中世)
朝比奈義則(上代)
助教授
佐中孜(近世)
君川(中古) *下の名前が不明。
小田島悠一(近代)
講師
押味暎介(国語学)
助手
橋本剛(国語学)
言語学系が弱すぎ? それはともかく。学内で不遇な立場にある橋本助手のために、悠一が一肌脱ぐ、というような話もある。ただ、やっぱりメインのストーリー(というか)は、ネタバレしてしまうけれど、奥さんが娘の由加の付属高校進学のために文字通り一肌脱ぐ話というか、佐中助教授夫人(佐中葵)――息子が由加と同級生でPTAの役員をしたりしている――から紹介された美術教師(峠敏之)と云々、みたいなことに端を発する一家離散ばなし、かな。でも、“家族小説”として読むと、すごくベタな小説(になってしまう)かもしれない。内容をさらに書いてしまうけれど、奥さんが、動機は娘のためとはいえ、夫を裏切る浮気(のようなこと)をして、それが旦那の職場(での立場など)を危うくし、夫婦の会話を聞いてしまった娘は家出、奥さんは息子を連れて実家に、みたいな。(ある種の文科系学者を描いているという点では、筒井康隆『文学部唯野教授』や武谷牧子『英文科AトゥZ』などに、塾や予備校なども含めて広い意味での(公私を問わず)教育を描いているという点では、城山三郎『素直な戦士たち』『今日は再び来らず』や夏樹静子『遙かな坂』などに似ているかもしれない。『素直な~』は買ったまま未読、『遙かな坂』は上下巻で、上巻の半分くらいまでしか読んでいないけれど。)
学習塾がらみの話も多いけれど(娘が通っている「秀練塾」という学術大の卒業生が始めたという塾や、「能強ゼミ」や「J・P・S」という、大手チェーンの塾についての話など)、大学受験予備校についての話もけっこう出てくる。具体的に書いているときりがないというか、文字数が多くなりすぎてしまうので省略するけれど、高梨と一緒に学習塾(「田島塾」)を始める、予備校(「親愛ゼミナール」)の講師をしている(いた)田辺が語っている話とか、悠一が1度、名古屋で「松宮塾」という予備校――「上野予備校」と「親愛ゼミナール」と肩を並べる大手予備校――の講師(鎌田功)と会って交わしている話とか。
浪人生がらみの話では、橋本助手が悠一に語るところによれば、岡倉教授には東大浪人4年目になる息子(2人兄弟の次男)がいるらしい。最初の1、2年は予備校に通わせたり、家庭教師を雇ったりしていたらしいけれど、いまでは岡倉自身が勉強を教えているらしい。「らしい」というか、悠一が岡倉の家を訪ねたとき、1度ちらっと出てくるし、岡倉自身の口から息子のことについて聞いてもいる。そう、そのとき、岡倉が息子に「文Ⅲ」を勧める理由について語っていて(p.46)、読んでいて思わず納得してしまった(汗)。――それはそれとして。学内政治にも長け、学外にもコネクションがたくさんあって、自身の定年退職後のこととまで計算して行動してきた(いる)人が、自分の息子のことになるとけっこう視野が狭くなってしまうのかな? それこそ、子どもが産まれたときから東大に入れたいと思っていたら、もっとほかにいろいろな方法があったのではないか、と思わなくもない。要するに4浪(さらに5浪)というのは、後手後手に回っている感じがする。
ほかに浪人がらみの箇所で、読みどころと言えそうなのは、過去の話だけれど、田辺と結婚して塾を手伝い始める麻也子――田辺とは約10歳違いの22歳、予備校での教え子――の受験生のときの話、があるか。浪人がらみというより(ネタバレしてしまうけれど)これも不正合格がらみ。ちなみに主人公の悠一も大学(東大・文Ⅲ)に入るのに2浪しているらしい。というか、年齢はいくつだっけ? 書いてあったようななかったような(汗)。大学在学中に学園紛争があったらしい(名古屋で会った予備校講師も学園紛争が理由で企業に就職しなかったらしい)。あと、高梨くんも学術大に入るのに1浪しているらしい。
ところで、2,3年前(だっけ?)に発覚した大分県(だっけ?)の教員採用試験の不正事件は(私はもちろんTVのニュースなどを通じてしか知らないけれど)、誰が依頼しているのかとか、口利きのしくみが本当に明らかになって、ある意味ではとても面白かったよね(←すみません、他人事なもんだから(汗))。この小説のなかでも、小中学校の校長の子どもは採用されやすい、みたいなことが書かれていて、噂を超えた噂というか、公然の秘密というか、昔から知っている人は知っているんだよね…。自分も(よく覚えていないけれど)中学校のときに通っていた塾に、1人教え方がうまい先生がいて、毎年教員採用試験を受けて落ちているらしかったけれど、その先生に対してほかのある先生がぼそっと、「あれはコネが必要だからなぁ」みたいなことを言っていて。「えっ?(試験にコネ?)」と思ったことがある。ふつう思うよね?
そう、そもそも国立大学に付属校なんて要らないんじゃないの? 小学校も中学校も高校も。あ、幼稚園も。必要な理由がわからない。例えば、大学教師(学者、研究者)が、高校では国語のこういうことは、こういう教え方をすると理解されやすいかもしれない、みたいなことを研究するさいに、出向いたりして実験する(というと語弊があるかもしれないけれど)というのならまだわかるけれど、そんなことをしている気配がまったくない。この小説の大学教師たち。
書き忘れていたけれど、描かれているのは、大学の夏休み前くらいから翌年の4月まで。…あっと、タイトルにもなっているのに、娘(=由加)についてほとんど触れていないな。まぁいいか、高校入試より大学入試のほうに関心があるのだから(汗)。アンバランスだな…。
[追記]もしかしたら私は「助教授」と「助教」を一緒にしてしまったかもしれない。持っていないとこういうとき困る。同じ本を2度と借りてくるのはちょっと嫌なんだよなあ...。
3人称小説で途中で視点が交替したりするけれど、主人公と言えるのは、「国立学術大学」の教育学部国語科の助教授、小田島悠一(専門は近代文学)。前科長の岡倉教授(下の名前は道祐、中世文学)たちから押し付けられた科長として、教師志望である教え子たちの就職先を見つけるのに苦労したりしている。そんなとき、教え子の1人で「教職浪人」をしていた高梨(下の名前は圭、男子学生)は、ほかの先輩2人――予備校の講師・田辺一成と中学校教師の溝口秀昭――と一緒に塾を始めると言う。一方、悠一には、自身が勤める大学の付属中学校に通う今年中学3年になる娘、由加がいる。家族にはほかに、妻の奈美(元公立中学の音楽教師)、小学生の息子、冬樹がいる。大学の同じ学科には、……全員書いておくか。
教授
岡倉道祐(中世)
朝比奈義則(上代)
助教授
佐中孜(近世)
君川(中古) *下の名前が不明。
小田島悠一(近代)
講師
押味暎介(国語学)
助手
橋本剛(国語学)
言語学系が弱すぎ? それはともかく。学内で不遇な立場にある橋本助手のために、悠一が一肌脱ぐ、というような話もある。ただ、やっぱりメインのストーリー(というか)は、ネタバレしてしまうけれど、奥さんが娘の由加の付属高校進学のために文字通り一肌脱ぐ話というか、佐中助教授夫人(佐中葵)――息子が由加と同級生でPTAの役員をしたりしている――から紹介された美術教師(峠敏之)と云々、みたいなことに端を発する一家離散ばなし、かな。でも、“家族小説”として読むと、すごくベタな小説(になってしまう)かもしれない。内容をさらに書いてしまうけれど、奥さんが、動機は娘のためとはいえ、夫を裏切る浮気(のようなこと)をして、それが旦那の職場(での立場など)を危うくし、夫婦の会話を聞いてしまった娘は家出、奥さんは息子を連れて実家に、みたいな。(ある種の文科系学者を描いているという点では、筒井康隆『文学部唯野教授』や武谷牧子『英文科AトゥZ』などに、塾や予備校なども含めて広い意味での(公私を問わず)教育を描いているという点では、城山三郎『素直な戦士たち』『今日は再び来らず』や夏樹静子『遙かな坂』などに似ているかもしれない。『素直な~』は買ったまま未読、『遙かな坂』は上下巻で、上巻の半分くらいまでしか読んでいないけれど。)
学習塾がらみの話も多いけれど(娘が通っている「秀練塾」という学術大の卒業生が始めたという塾や、「能強ゼミ」や「J・P・S」という、大手チェーンの塾についての話など)、大学受験予備校についての話もけっこう出てくる。具体的に書いているときりがないというか、文字数が多くなりすぎてしまうので省略するけれど、高梨と一緒に学習塾(「田島塾」)を始める、予備校(「親愛ゼミナール」)の講師をしている(いた)田辺が語っている話とか、悠一が1度、名古屋で「松宮塾」という予備校――「上野予備校」と「親愛ゼミナール」と肩を並べる大手予備校――の講師(鎌田功)と会って交わしている話とか。
浪人生がらみの話では、橋本助手が悠一に語るところによれば、岡倉教授には東大浪人4年目になる息子(2人兄弟の次男)がいるらしい。最初の1、2年は予備校に通わせたり、家庭教師を雇ったりしていたらしいけれど、いまでは岡倉自身が勉強を教えているらしい。「らしい」というか、悠一が岡倉の家を訪ねたとき、1度ちらっと出てくるし、岡倉自身の口から息子のことについて聞いてもいる。そう、そのとき、岡倉が息子に「文Ⅲ」を勧める理由について語っていて(p.46)、読んでいて思わず納得してしまった(汗)。――それはそれとして。学内政治にも長け、学外にもコネクションがたくさんあって、自身の定年退職後のこととまで計算して行動してきた(いる)人が、自分の息子のことになるとけっこう視野が狭くなってしまうのかな? それこそ、子どもが産まれたときから東大に入れたいと思っていたら、もっとほかにいろいろな方法があったのではないか、と思わなくもない。要するに4浪(さらに5浪)というのは、後手後手に回っている感じがする。
ほかに浪人がらみの箇所で、読みどころと言えそうなのは、過去の話だけれど、田辺と結婚して塾を手伝い始める麻也子――田辺とは約10歳違いの22歳、予備校での教え子――の受験生のときの話、があるか。浪人がらみというより(ネタバレしてしまうけれど)これも不正合格がらみ。ちなみに主人公の悠一も大学(東大・文Ⅲ)に入るのに2浪しているらしい。というか、年齢はいくつだっけ? 書いてあったようななかったような(汗)。大学在学中に学園紛争があったらしい(名古屋で会った予備校講師も学園紛争が理由で企業に就職しなかったらしい)。あと、高梨くんも学術大に入るのに1浪しているらしい。
ところで、2,3年前(だっけ?)に発覚した大分県(だっけ?)の教員採用試験の不正事件は(私はもちろんTVのニュースなどを通じてしか知らないけれど)、誰が依頼しているのかとか、口利きのしくみが本当に明らかになって、ある意味ではとても面白かったよね(←すみません、他人事なもんだから(汗))。この小説のなかでも、小中学校の校長の子どもは採用されやすい、みたいなことが書かれていて、噂を超えた噂というか、公然の秘密というか、昔から知っている人は知っているんだよね…。自分も(よく覚えていないけれど)中学校のときに通っていた塾に、1人教え方がうまい先生がいて、毎年教員採用試験を受けて落ちているらしかったけれど、その先生に対してほかのある先生がぼそっと、「あれはコネが必要だからなぁ」みたいなことを言っていて。「えっ?(試験にコネ?)」と思ったことがある。ふつう思うよね?
そう、そもそも国立大学に付属校なんて要らないんじゃないの? 小学校も中学校も高校も。あ、幼稚園も。必要な理由がわからない。例えば、大学教師(学者、研究者)が、高校では国語のこういうことは、こういう教え方をすると理解されやすいかもしれない、みたいなことを研究するさいに、出向いたりして実験する(というと語弊があるかもしれないけれど)というのならまだわかるけれど、そんなことをしている気配がまったくない。この小説の大学教師たち。
書き忘れていたけれど、描かれているのは、大学の夏休み前くらいから翌年の4月まで。…あっと、タイトルにもなっているのに、娘(=由加)についてほとんど触れていないな。まぁいいか、高校入試より大学入試のほうに関心があるのだから(汗)。アンバランスだな…。
[追記]もしかしたら私は「助教授」と「助教」を一緒にしてしまったかもしれない。持っていないとこういうとき困る。同じ本を2度と借りてくるのはちょっと嫌なんだよなあ...。
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