田中りえ 『おやすみなさい、と男たちへ』
2010年4月26日 読書
講談社文庫、1987。短篇集。アマゾンでこの本のレビューを小谷野敦(文芸評論家)が書いていて、古本屋で探してきて読んでみたのだけれど、これは当たりでした。お薦めです(浪人生が出てくるとか出てこないとかは関係なく)。この作者、ちょっと川上弘美っぽい? 文体とか自意識の在り方とか。(以前、三石由起子「ダイアモンドは傷つかない」を読んだときにチェックしておけばよかったな、この文庫本。)
収録作は――書き出しておけば、
「おやすみなさい、と男たちへ」
「プラスチック・ラブ」
「「アルファ」を読んで」
「じゃあね」
「四十一階の窓から」
「息ぬきだから」
「とべない鳥」
「まだ、スキ」
「西尾というヤツ」
の9篇。本の後ろのほうによれば、最初の5篇は同名の単行本(講談社、1982)の収録作と同じ、次の2篇は『セリ・シャンブル1 中沢けい・田中りえの部屋』(旺文社、1985)という本からで、最後の2篇はこの文庫書き下ろし、らしい。
「息ぬきだから」(つきあっていた歳上の男性と別れる話)と「とべない鳥」(飼い猫が傷つけた鳩を動物病院へ連れて行く話)の2篇は、語り手が予備校生(女子)。最後の1篇「西尾というヤツ」(知り合って3年になる西尾くんについての話)は、語り手はもう大学生になっているけれど、予備校時代のこと(出会い)から語られている。3篇とも長さ的には、短篇小説というよりは掌篇小説という感じ。“浪人生小説”、タイトル的には「息ぬきだから」がいいと思うけれど、内容的には「西尾というヤツ」のほうが好きかな、個人的には。そのほか、大学生が語り手になっている作品も、大学に入るのに浪人(1年か2年)しているという設定になっているものが多い。あ、あと、細かいところでは、2篇目の「プラスチック・ラブ」(2浪していていま大学4年生の「わたし」が、同じ歳の中学・高校のときの友達たち=男3人とお酒を飲んだりする話)では、移動中のタクシーでラジオから、DJが電話で浪人生(女の子)と話をしているのが聞えてくる、みたいな箇所がある。
肩ひじをはっていない感じの小説だし(けっこう心地よく読めるし)、あと、全体的にあからさまな感傷(性)がなくて良いというか。表題作を読むと、“妊娠小説”(斎藤美奈子による同名の著書参照)をパロディ化しているというか、相対化しているように読める箇所もある。中沢けい「海を感じる時」とか、「おやすみなさい、~」と同じく「早大文芸科卒業小説」(文庫カバー裏で使われている言葉)として書かれたものらしい見延典子「もう頬づえはつかない」や、卒業小説を大幅に改稿したものらしい小川洋子「揚羽蝶が壊れる時」(もともとのタイトルは「情けない週末」、小川氏は佐野元春のファン)とは、その点でも異なっている。
作者も2浪しているのかな? 著者紹介(奥付の上のところ)によれば、昭和31年(1956年)7月生まれで、昭和56年(1981年)4月に大学を卒業している。――最初から早大文芸科を目指していたのかはわからないけれど、大学入学までに浪人している可能性は高い。
+++++++++++++++++++
あまり関係ないけれど、予備校つながりで、伊藤和夫『予備校の英語』(研究社、1997)という本に、田中小実昌が書いたエッセイ?(『週刊朝日』1978年5月26日号)からの引用があって(pp.206-7)――ひと言でいえば、下の娘さん(大学2年生)が某大学の入試問題を「国語入試問題必勝法」式に解いて見せた、みたいな話なのだけれど、その娘さんがたぶん、田中りえ。なんていうか、小説から間接的に知れる作者(のキャラクター)と矛盾しないエピソードかもしれない。
(1978年には、田中小実昌の『ポロポロ』ってもう出ているのかな? ――あ、雑誌には掲載されているけれど、単行本(1979年らしい)はまだなのか。微妙な時期だな…。清水義範『国語入試問題必勝法』の単行本は、えーと、――1987年であってる? 持っているはずだけれど、例によってどっかにいっちゃったよ(涙)。それはともかく、意外と最近なんだね。…といっても、20年以上も前か。)
収録作は――書き出しておけば、
「おやすみなさい、と男たちへ」
「プラスチック・ラブ」
「「アルファ」を読んで」
「じゃあね」
「四十一階の窓から」
「息ぬきだから」
「とべない鳥」
「まだ、スキ」
「西尾というヤツ」
の9篇。本の後ろのほうによれば、最初の5篇は同名の単行本(講談社、1982)の収録作と同じ、次の2篇は『セリ・シャンブル1 中沢けい・田中りえの部屋』(旺文社、1985)という本からで、最後の2篇はこの文庫書き下ろし、らしい。
「息ぬきだから」(つきあっていた歳上の男性と別れる話)と「とべない鳥」(飼い猫が傷つけた鳩を動物病院へ連れて行く話)の2篇は、語り手が予備校生(女子)。最後の1篇「西尾というヤツ」(知り合って3年になる西尾くんについての話)は、語り手はもう大学生になっているけれど、予備校時代のこと(出会い)から語られている。3篇とも長さ的には、短篇小説というよりは掌篇小説という感じ。“浪人生小説”、タイトル的には「息ぬきだから」がいいと思うけれど、内容的には「西尾というヤツ」のほうが好きかな、個人的には。そのほか、大学生が語り手になっている作品も、大学に入るのに浪人(1年か2年)しているという設定になっているものが多い。あ、あと、細かいところでは、2篇目の「プラスチック・ラブ」(2浪していていま大学4年生の「わたし」が、同じ歳の中学・高校のときの友達たち=男3人とお酒を飲んだりする話)では、移動中のタクシーでラジオから、DJが電話で浪人生(女の子)と話をしているのが聞えてくる、みたいな箇所がある。
肩ひじをはっていない感じの小説だし(けっこう心地よく読めるし)、あと、全体的にあからさまな感傷(性)がなくて良いというか。表題作を読むと、“妊娠小説”(斎藤美奈子による同名の著書参照)をパロディ化しているというか、相対化しているように読める箇所もある。中沢けい「海を感じる時」とか、「おやすみなさい、~」と同じく「早大文芸科卒業小説」(文庫カバー裏で使われている言葉)として書かれたものらしい見延典子「もう頬づえはつかない」や、卒業小説を大幅に改稿したものらしい小川洋子「揚羽蝶が壊れる時」(もともとのタイトルは「情けない週末」、小川氏は佐野元春のファン)とは、その点でも異なっている。
作者も2浪しているのかな? 著者紹介(奥付の上のところ)によれば、昭和31年(1956年)7月生まれで、昭和56年(1981年)4月に大学を卒業している。――最初から早大文芸科を目指していたのかはわからないけれど、大学入学までに浪人している可能性は高い。
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あまり関係ないけれど、予備校つながりで、伊藤和夫『予備校の英語』(研究社、1997)という本に、田中小実昌が書いたエッセイ?(『週刊朝日』1978年5月26日号)からの引用があって(pp.206-7)――ひと言でいえば、下の娘さん(大学2年生)が某大学の入試問題を「国語入試問題必勝法」式に解いて見せた、みたいな話なのだけれど、その娘さんがたぶん、田中りえ。なんていうか、小説から間接的に知れる作者(のキャラクター)と矛盾しないエピソードかもしれない。
(1978年には、田中小実昌の『ポロポロ』ってもう出ているのかな? ――あ、雑誌には掲載されているけれど、単行本(1979年らしい)はまだなのか。微妙な時期だな…。清水義範『国語入試問題必勝法』の単行本は、えーと、――1987年であってる? 持っているはずだけれど、例によってどっかにいっちゃったよ(涙)。それはともかく、意外と最近なんだね。…といっても、20年以上も前か。)
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