河出書房新社、1966。いま手許にあるのは図書館本。初出は『文藝』1964年9月号らしい。文庫は、新潮文庫『たまゆら』に収録されているようだ(地元ブックオフなどで探しても見つからず)。読みやすいし、誰々がこれこれして、という話はわかりやすかったけれど、全体的に薄味で――登場人物の思考や感情の底が浅いから?――何が言いたいのか、私にはぜんぜん感じとれず(涙)。私の読み(のほう)が浅いのだとは思うけれど。

18年経っているということは、戦後19年目=1964年? 主な視点人物は、戦争で息子を失っている初老の英文学者・調所修一郎(リュウマチで歩くのが苦痛)とその息子=輝一の友人(高校の同期)だった社会学者・高木士郎(40歳すぎ、もちろん戦争を生きのびている)。それで、その2人が分かりあえないという話(だけ)なら、単純でわかりやすい小説かもしれないけれど、そういう感じでもなく。高木は雑誌(≪世論≫)に憲法改正についての「論文」を発表していて、世間で良くも悪くも評判になっている。

本題というか。面倒なので粗筋もほかの人物紹介も省略してしまえば(ネタバレしてしまうけれど)、高木と間違えて瓜生恵(うりゅう・めぐむ、輝一と同じく高木の高校の同級生で友人)を刺し殺してしまうのが、浪人中の鵜月守(うづき・まもる)。実家は伊豆の農家兼駄菓子屋で、高校卒業後(でいいのかな)に小さな出版社の社長宅で書生をしていて、そのとき、その社長=松尾嘉根次から勧められて、大学(静岡大学の文理学部)を受験して失敗して――あ、1月から始まっている小説なので、高校3年時&前年に受験をしていなければ、小説上、最初に声だけで登場しているさいには、まだ「浪人生」とは言えないかもしれない――事件を起こしたとき(4月下旬か5月上旬?)には浪人生。あ、でも、この青年は大学に落ちた時点で、来年も大学を受験するつもりがあったのだろうか。なければその時点でも「浪人生」とは言えないかもしれない。作中では「大学浪人」という言葉が使われているけれど(p.137)。というか、どうでもいい話やな(汗)。

なんていうか、戦死者の意味付けや追悼の方法、弔い方については(さらに40年以上経っているいまでも)議論の尽きない大問題だろうけれど、とりあえずこの小説的には、1人の“浪人生”が犬死にさせられているということは、けっこう確かなことかもしれない。親(特に「母ちゃん」)がかわいそう。
 

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