段落の冒頭が1文字下がっていなくてちょっと気持ちが悪いな。見た目に違和感が...。

手もとにあるのは、講談社文芸文庫『金色の死 谷崎潤一郎大正期短篇集』(2005)。その7篇中の最初の1篇。初出は本文の最後(と本の後ろの年譜)に書かれていて、<大正三年十二月「東京朝日新聞」>らしい。(大正3年=1914年ということは、大正7年発表の久米正雄「受験生の手記」よりも4年早いのか。)

友人の岡村君は機械体操好きで、肉体美うんぬん…みたいな。1作も読んだことがないけど、イメージ的に三島由紀夫を思い浮かべてしまう。ネタバレしてしまうけれど、岡村君の生涯で唯一の巨大な創作、文字通り見どころであるはずのその絶景パノラマみたいなものが私には、頭の中でうまく想像できなくて(涙)。あいかわらずの想像力がないのと、たぶん芸術的な知識がぜんぜんないせい。ロダンの作品もぜんぜん知らないし。

しかも、これもネタバレになってしまうけど(推理小説ではないけど)、オチというか、最後の最後のタイトルにも関係する箇所を読んでいて、思わず「それじゃ死ねないやろ!」と突っ込んでしまった(汗)。というのは、わりと最近、山本幸久『失恋延長戦』(祥伝社、2010)という小説の次の箇所を読んでいたから。

<「皮膚呼吸ができなくて倒れたんでしょ」『と』が断言する。「全身に金粉を塗ってると二十分が限界なんですよ。うちの父さんが昔観たショーで司会者がそう説明したって言ってましたもん」/(略)/「それ、病院の先生に言ったら」セーラー服だった女性が口をはさんできた。「嘘ですよって諭すように言われたわ」>(p.202)

人は全身に金粉を塗っても(皮膚呼吸ができなくなったとしても)すぐには倒れることはない? 「金色の死」のほうは次のように書かれている。

<徹夜の宴に疲れ抜いて、殿堂の廊下や柱や長椅子にしどけなく酔い倒れたまゝ、明くる日の明け方まで何も知らずに睡り通した一同の者は、やがて眼を醒ますと部屋の中央の卓子の上に、金色の儘水の如く冷たくなって居る岡村君の死骸を発見したのです。彼の邸に雇ってあった医師の説明に依ると金箔の為めに体中の毛孔を塞がれて死んだのであろうと云う事でした。>(p.45)

金箔で毛孔(毛穴?)を塞がれると死んでしまう、というのが当時の医学の常識なのか、あるいはこの医師がたんなるやぶ医者なのか…。あるいはやっぱり金粉を塗りたくると人は死んでしまうのか? ...私にはわからない。



岡村君は「私」(島田)とは違って一高に入るのに1年遅れている。「私」とは違って数学があまりできないらしい。希臘(ギリシャ)の芸術について口にしていたり、リズム感もありそうだったり、...数学的なことも得意なような感じはするけど。高校デビューではなくて浪人デビューというか、服装などがさらに芸術的に派手になっている。女装に近くなっていたり、化粧をしたり。身体を鍛えていてマッチョだから、個人的にはどうも美輪明宏とか思い浮かべてしまって(汗)。あと、岡村君はある種の“遊び”も始めている。

<「何も急ぐ事はないのだから、来年亦試験を受ける。今年一年死んだ気になって少うし数学を勉強しよう。」彼はこう云ってさ程落胆した気色もなく、その後当分毎日二三時間ずつ、幾何や代数を練習して居る様子でした。/「君なんぞは一層西洋へ留学に行ったらいゝじゃないか。」私がこんな忠告をすると、「そりゃ行きたい事は非常に行きたいんだが、どうしても伯父が許してくれない。伯父の生きて居る間はまあ駄目だろう。」と云って居ました。>(p.17)

「急ぐことはない」みたいな余裕がある感じは、いまでも家が裕福で、そこそこ勉強のできる東大志望の青年とかが言いそうなセリフ? 岡村君は両親が亡くなっていて、伯父さんがその莫大な遺産を管理している(一方の「私」のほうは中学校卒業の半年前に家の酒問屋が傾いて、生活などが苦しくなっている)。お金持ちの息子が大学に落ちたら(浪人生というのは世間体が悪いから)いっそのこと海外に留学させてしまう、要するに厄介払いみたいなものは、現実でも小説でも1つのパターンかもしれないけど(そうでもないかな...)、「私」の岡村君への西洋留学はどうか、という提案はそれに近くないこともないかな。

<「君のような生活を送って居たら、もう再び学校なんぞへ這入るのは嫌になるだろう。」私がこう云って尋ねると、彼は頻りに冠を振って、/「いやそんな事はない。僕は決して学問の値打ちを軽蔑する事は出来ない。君にはまだ僕の性質がほんとうに分って居ないのだろう。」/と答えました。>(p.19)

そこら辺にいる堕落学生(ダメ浪人生)、遊蕩児とは異なる岡村君は違う? でも高校に入学できたあとは、出席不足で落第(留年)を繰り返したりしている。作者は「私」と同じように浪人せずに一高に入学しているらしいけど、それは明治38年(1905年)らしい。なので、大正ではなくて明治の浪人生かな。ちなみに(久米正雄「受験生の手記」と同じで)この小説でも「浪人」という言葉は使われていない。
 
 
※少し直しました(2016.04.23)。
 

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