飯田雪子 『桜の下で、もういちど』
2010年6月24日 読書
ハルキ文庫、2010。※今回も以下ネタバレ注意です。作者の出身大学が同じだし(それは関係ないか)遠距離恋愛がテーマの1つだろうし、舞台が前半地方で後半東京だし、意外と乾くるみ『イニシエーション・ラブ』と似ているかな。雰囲気や、恋愛の扱われ方はぜんぜん違うけれど。
内容というかは、受験的にも恋愛的にも咲奈(「さくな」ではなく「えみな」、苗字は佐藤)の頭上に文字通りな意味でも、文字通りでない意味でも“桜”が咲くまでの春夏秋冬2回り+3度目の春が描かれている小説。彼女には高校の元同級生で、ひと足先に東京の大学生になっている彼氏の陽太(苗字は…ちゃんと読み直さないとわからないな)がいて、要するにいわゆる遠恋(えんれん)状態に。最初、予備校の入学式の日から始まっていて、学校の教室ではそうそうに若林春子、佐藤賢吾、吉崎亨という3人の「同志」(「戦友」)ができている。登場人物としてはほかに、家にはカナ(漢字は「愛」)という現役受験生の妹がいたりする。全体的な雰囲気はテンション低めというか、地味で真面目な感じというか。で、正直に言って、読んでいてどこが面白いのやらぜんぜんわからず(※あくまで個人の意見です)。主人公の性格や考え方に共感ができないこともちょくちょくあって。ただ、でも登場人物の設定や物語の構成はけっこういいな、とは思ったです。そもそも主人公が(前半では)女子予備校生で、しかも舞台が地方というだけで、個人的には好感が持ててしまう。ま、それはともかくとして。
差が意味を持つ、価値は差である、というのは文化人類学ではなくてソシュールな構造主義だっけ? 落差は運動(ストーリーの進行)も促すというか、下だる場合は特に一段一段足を運ばなければいけない階段――なんていうか、別にどうでもいいことだけれど、「差が1」というのがキーワードっぽいかな、この小説。「1」というのは、見方によっては「わずか」という意味にもなる。で、この小説において浪人生がどう描かれているのかといえば、1つには、
大学生が“持つ者”であるのに対して、予備校生(浪人生)は“持たざる者”
という感じかもしれない。「大学生」「予備校生(浪人生)」はそれぞれ「東京の大学生」「地方の予備校生(浪人生)」とほとんど同義。でも、具体的に何をか、といえば、大学生はお化粧できたり服装でおしゃれできたりするけれど、浪人生にはできない(する必要がない)みたいな。自分が服装にぜんぜん気を使わない人間だからか、どうでもいいことのように思えるし、少なくとも物理的には(物質的には)両者の差は、だから“わずか”だ(そうでもない?)。浪人生は“持たざる者”――その傍証というか、前半の浪人生編では(後半の大学生編に比べて)主人公はあまり人に物をあげていなかったと思う。つまり“持っていない”からあげられない。妹に参考書を貸す場面でさえ、勝手に持って行かれる感じで描かれている。どうでもいいけれど、差があまりないということは(全体的に地味な印象を与えるだけでなく)いわゆるキャラ立ちが悪いということにも繋がるかもしれない。賢吾と亨の2人の浪人生がいて、賢吾が春子のことを好きであるにしても(それを主人公が知っているにしても)主人公=咲奈が亨のこと(亨のほう)を好きになる理由が、私にはよくわからない。賢吾と亨の違いは一応、描かれてはいるけれど。
うーん…、やっぱり「つまらない」とだけ言ってしまうには、ちょっと惜しい小説という気がする。上にも書いたけれど、とりあえずあれこれ設定は面白いと思う。友人の春子の置かれている状況(古風なのか今風なのか私にはわからないけれど)とか、本人が大学生になれても「戦友」の1人が戦地から帰還できていない(?)こととか、上京してマンション(アパートだっけ)の隣の部屋には(万年浪人生とか万年留年生とかではなくて)失恋常習者の先輩(志乃)がいたりする点とか。
内容というかは、受験的にも恋愛的にも咲奈(「さくな」ではなく「えみな」、苗字は佐藤)の頭上に文字通りな意味でも、文字通りでない意味でも“桜”が咲くまでの春夏秋冬2回り+3度目の春が描かれている小説。彼女には高校の元同級生で、ひと足先に東京の大学生になっている彼氏の陽太(苗字は…ちゃんと読み直さないとわからないな)がいて、要するにいわゆる遠恋(えんれん)状態に。最初、予備校の入学式の日から始まっていて、学校の教室ではそうそうに若林春子、佐藤賢吾、吉崎亨という3人の「同志」(「戦友」)ができている。登場人物としてはほかに、家にはカナ(漢字は「愛」)という現役受験生の妹がいたりする。全体的な雰囲気はテンション低めというか、地味で真面目な感じというか。で、正直に言って、読んでいてどこが面白いのやらぜんぜんわからず(※あくまで個人の意見です)。主人公の性格や考え方に共感ができないこともちょくちょくあって。ただ、でも登場人物の設定や物語の構成はけっこういいな、とは思ったです。そもそも主人公が(前半では)女子予備校生で、しかも舞台が地方というだけで、個人的には好感が持ててしまう。ま、それはともかくとして。
差が意味を持つ、価値は差である、というのは文化人類学ではなくてソシュールな構造主義だっけ? 落差は運動(ストーリーの進行)も促すというか、下だる場合は特に一段一段足を運ばなければいけない階段――なんていうか、別にどうでもいいことだけれど、「差が1」というのがキーワードっぽいかな、この小説。「1」というのは、見方によっては「わずか」という意味にもなる。で、この小説において浪人生がどう描かれているのかといえば、1つには、
大学生が“持つ者”であるのに対して、予備校生(浪人生)は“持たざる者”
という感じかもしれない。「大学生」「予備校生(浪人生)」はそれぞれ「東京の大学生」「地方の予備校生(浪人生)」とほとんど同義。でも、具体的に何をか、といえば、大学生はお化粧できたり服装でおしゃれできたりするけれど、浪人生にはできない(する必要がない)みたいな。自分が服装にぜんぜん気を使わない人間だからか、どうでもいいことのように思えるし、少なくとも物理的には(物質的には)両者の差は、だから“わずか”だ(そうでもない?)。浪人生は“持たざる者”――その傍証というか、前半の浪人生編では(後半の大学生編に比べて)主人公はあまり人に物をあげていなかったと思う。つまり“持っていない”からあげられない。妹に参考書を貸す場面でさえ、勝手に持って行かれる感じで描かれている。どうでもいいけれど、差があまりないということは(全体的に地味な印象を与えるだけでなく)いわゆるキャラ立ちが悪いということにも繋がるかもしれない。賢吾と亨の2人の浪人生がいて、賢吾が春子のことを好きであるにしても(それを主人公が知っているにしても)主人公=咲奈が亨のこと(亨のほう)を好きになる理由が、私にはよくわからない。賢吾と亨の違いは一応、描かれてはいるけれど。
うーん…、やっぱり「つまらない」とだけ言ってしまうには、ちょっと惜しい小説という気がする。上にも書いたけれど、とりあえずあれこれ設定は面白いと思う。友人の春子の置かれている状況(古風なのか今風なのか私にはわからないけれど)とか、本人が大学生になれても「戦友」の1人が戦地から帰還できていない(?)こととか、上京してマンション(アパートだっけ)の隣の部屋には(万年浪人生とか万年留年生とかではなくて)失恋常習者の先輩(志乃)がいたりする点とか。
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