重松清 「サクラ、イツカ、サク」
2010年11月17日 読書
それぞれ12篇収録されていて冬・春・夏・秋の4冊(4巻)あるらしいけれど、これは、最初の冬=『季節風 冬』(文藝春秋、2008/文春文庫、2010)に収録されている1篇(12篇中の12篇目)。そもそも重松清(の小説)が嫌いだし、タイトルはダサい(?)しで、ぜんぜん期待していなかったけれど、意外と面白かったです。
舞台というかは、合格発表が行なわれている大学(=城北大学、そこそこレベル以上の大学で偏差値高め、受験生にも人気があるらしい)。「僕」は昨年入学した、今度2年に上がる在校生。大学8年目でもうすぐ放校になるマルオ先輩といま「バンザイ隊」のチームを組んでいる。――私は知らなかったけれど、有料おめでとう隊(?)にはいろいろとあるんだね(汗)。「胴上げ隊」(アメフト部・柔道部)に「バンザイ隊」(映画サークル)、そして「花吹雪隊」(宝塚研究会)…。そんなとき、でも(?)ベテランであるはずのマルオ先輩が、不合格になった女の子に声をかけてしまう。ごめんなさいジュースを買いに行った先輩に代わって「僕」が、その子を慰めるはめに――みたいな話。言葉(方言)から同郷であることもすぐにわかる。
そういえば(この小説とは関係のない、個人的な思い出ばなしです)自分の場合、2浪目の後半くらいからほとんど勉強していなくて。最終的に「もう地元の大学を受ければいいか」みたいな投げやりな気分で、1校だけ受けて受かって(大学というものに初めて受かったので嬉しかったことは嬉しかったけれど)、合格発表も(地元だから)大学まで見に行ったのだけれど(人出も少なくてすごく地味な感じだった)、その帰りがけに校門から続いている道を――たぶんバス停に向かっていたんだと思うけれど――とても早足に「号泣」と言っていいくらいな泣き方で泣きながら歩いていく1人の女の子を見かけて…。さすがにそのときは、いいかげんな自分と立場を変わってあげたいな、みたいなことは思ったけれど。
非合法の(?)学生アルバイトといえば、合格電報(合格・不合格通知電報)のアルバイトもあったよね(いまもあるのかな?)。あ、考えてみれば、そちらのアルバイトの稼ぎ時(?)は、合格発表日ではなくて、入試の当日…になるのか。そう、“受験文化”の継承というか、「サクラサク/サクラチル」といういまでも使われる言葉は、もともと電報の文句だもんね(違ったっけ?)。(ネタバレしてしまうかもしれないけれど、干刈あがた「マスク」(『物は物にして物にあらず物語 借りたハンカチ』集英社、1989)という短篇(掌篇)では、主人公が最後にそのアルバイトをしている。あと、東野圭吾のエッセイ集『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社文庫)を読むと、合格電報ならぬ“合格電話”というものもあったようだ。いまやインターネットな世の中だし、そんな電報も電話も古きよき時代の産物?)
舞台というかは、合格発表が行なわれている大学(=城北大学、そこそこレベル以上の大学で偏差値高め、受験生にも人気があるらしい)。「僕」は昨年入学した、今度2年に上がる在校生。大学8年目でもうすぐ放校になるマルオ先輩といま「バンザイ隊」のチームを組んでいる。――私は知らなかったけれど、有料おめでとう隊(?)にはいろいろとあるんだね(汗)。「胴上げ隊」(アメフト部・柔道部)に「バンザイ隊」(映画サークル)、そして「花吹雪隊」(宝塚研究会)…。そんなとき、でも(?)ベテランであるはずのマルオ先輩が、不合格になった女の子に声をかけてしまう。ごめんなさいジュースを買いに行った先輩に代わって「僕」が、その子を慰めるはめに――みたいな話。言葉(方言)から同郷であることもすぐにわかる。
そういえば(この小説とは関係のない、個人的な思い出ばなしです)自分の場合、2浪目の後半くらいからほとんど勉強していなくて。最終的に「もう地元の大学を受ければいいか」みたいな投げやりな気分で、1校だけ受けて受かって(大学というものに初めて受かったので嬉しかったことは嬉しかったけれど)、合格発表も(地元だから)大学まで見に行ったのだけれど(人出も少なくてすごく地味な感じだった)、その帰りがけに校門から続いている道を――たぶんバス停に向かっていたんだと思うけれど――とても早足に「号泣」と言っていいくらいな泣き方で泣きながら歩いていく1人の女の子を見かけて…。さすがにそのときは、いいかげんな自分と立場を変わってあげたいな、みたいなことは思ったけれど。
非合法の(?)学生アルバイトといえば、合格電報(合格・不合格通知電報)のアルバイトもあったよね(いまもあるのかな?)。あ、考えてみれば、そちらのアルバイトの稼ぎ時(?)は、合格発表日ではなくて、入試の当日…になるのか。そう、“受験文化”の継承というか、「サクラサク/サクラチル」といういまでも使われる言葉は、もともと電報の文句だもんね(違ったっけ?)。(ネタバレしてしまうかもしれないけれど、干刈あがた「マスク」(『物は物にして物にあらず物語 借りたハンカチ』集英社、1989)という短篇(掌篇)では、主人公が最後にそのアルバイトをしている。あと、東野圭吾のエッセイ集『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社文庫)を読むと、合格電報ならぬ“合格電話”というものもあったようだ。いまやインターネットな世の中だし、そんな電報も電話も古きよき時代の産物?)
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