『三田文学短篇選』(講談社文芸文庫、2010)所収、13篇中の9篇目。短いものだけれど、けっこう面白かったです。避暑地が舞台になっている(というと何か誤解されそうだけれど)意外とさわやかなボーイ・ミーツ・ガール小説?(ちょっと違うか)。中学校(旧制)卒業後、浪人2年目の夏のこと。前年、予備校で一緒だったF君(いまはH大学の予科生)に誘われて、気乗りはしなかったものの、避暑地のK高原へ。着いた日の翌日、F君の家(いちおう別荘)のご近所さんご一行とA牧場までハイキングに出かける。F君のだぶだぶな半ズボンを借りて穿いていた「僕」は、道中、ハチの巣を踏んでしまい、ハチに刺されまくって足が腫れてしまう。その時、同じく一団から遅れてきた少女(大学生)と知り合う――。太っているのが女性ではなくて男性(=F君)なんだね、この小説は。“浪人”がらみのこと(浪人生活や心理など)については、冒頭で少し書かれている(あ、本文中で「浪人」という言葉は使われていなかったと思う)。初出はもちろん『三田文学』で、その1954年10月号であるらしい。1954年下半期の芥川賞候補作・川上宗薫「初心」――こちらは新制高校を卒業している浪人生が主人公、「浪人」という言葉も使われていたと思う――も、掲載誌が『三田文学』らしいのだけれど、何月号に載ったものなの?(ちゃんと調べないとわからないな…)。ま、別にどちらが先でもかまわないか。それよりも、安岡章太郎が最初に書いた“浪人生小説”は何なのか、それが知りたい。

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関係ないけれど、同じ本には、石坂洋次郎「海をみに行く」(1927年2月号)という一篇も収録されている(4篇目)。大学の卒業が近くなっている「私」には、予科のときに結婚した妻(フク子)と幼い子ども(ハルキチ・3歳)がいる。もちろん(?)経済的に苦しくて、奥さんは居候している「私」の友人・室田に出て行ってもらいたがっている。――なんだかんだで最後に「私」は、室田と海(芝浦)を見に行く。

 <「うみぎしの芝生にいねて君とわれ、恋とりかわす六月の空」――黄色い鳥打帽子をかぶって神田の受験学校に通ってた頃作った歌だ。今来てみれば、工場や倉庫がガタピシと薄汚く立ちならんで昔の面影は更になく、あアあの人も嫁いでしまった。>(p.95)

芝生の上で恋を取り交わして短歌まで作っている浪人生? ――そんな暇があったら勉強せいや!(あぁ怒っちゃダメ怒っちゃダメ(汗))。しかも大学に入ってからほかの相手と結婚しているし…。ちなみに『青い山脈』『陽のあたる坂道』な作者の石坂洋次郎は、1900年(明治33年)1月・青森県生まれ。1918年(大正7年)中学校を卒業する年、慶応大学(の理財科)を受験して失敗。上京して正則予備校に通っている(翌年、慶応・文学科の予科に入学)。なので(?)上の<神田の受験学校>はその正則予備校のことだと考えても、あまり問題はないと思う。

小説を読んでいても(別に探しているわけではないけれど)けっこう出てくる気が。最近見かけたもの2作、

 <此男の勤めて居る雑誌社は、神田の錦町で、青年社といふ。正則英語学校のすぐ次の通りで、(略)>(田山花袋「少女病」、初出は『太陽』明治40年=1907年5月)
 <茂木さんは大学を出ていなかった。大学どころか小学校を出て、あとは斎藤博士の正則英学塾に学んだだけである。>(源氏鶏太「英語屋さん」、同名の単行本は東方社、1954)

道(通り)の目印になるくらい世間的に有名だったの? <斎藤博士>というのは、もちろん(?)斎藤秀三郎のこと。別にそれほど昔の話でもない…というか、やっぱりだいぶ昔の話か(汗)。一昨年(2008年)の年末くらいに(『新々英文解釈研究』と同時に)復刊された英文法の参考書、山崎貞『新自修英文典』(増訂新版、毛利可信増訂、研究社)の「はしがき」には(あ、私は2冊とも買ってしまったのだけれど。お値段各3,000円+税、高かったよ(涙))、

 <編者は正則英語学校に学び、同校に教え、同校の教授法を信ずるものであるから本書の組織、材料などの点において同校に負うところの多いことはいうまでもないが、(略)>

とある。これが書かれたのは<大正十年晩秋>とのことだから、大正7年の石坂氏は、英語をヤマテイ先生に習っていたりする?
 

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