安岡章太郎 『私説聊斎志異』
2011年1月4日 読書
単行本は1975年に朝日新聞社から出ているらしい。いま手もとにあるのは、図書館から借りてきた講談社文庫版です(1980年)。あと講談社文芸文庫からも出ている模様。読み終わったけれど、いまいち全体的な印象が薄いんだよね…。なんとなく安岡章太郎の“落第生論”の集大成みたいな本かと思っていたら、それほどでもないような…。いちおう小説です。作家の「私」は、京都の寺(南禅寺)に滞在して長篇小説を執筆しようとしているけれど、うまく書けずにいる。そんなとき、あるきっかけがあって中国の怪異譚(物語集)『聊斎志異』をヒントに――作者の蒲松齢は科挙(郷試)の万年落第生であり、「私」もかつて高校浪人を3年している――自分流の小説を書こうと試みる。
<中国清朝初の幻想的怪異譚「聊斎志異」の作者蒲松齢は、官吏の登龍門科挙の本試験に挑戦すること数十回、落第しつづけたまま未練を残して世を去った。その生きざまに心ひかれた著者が、自身の劣等感に塗りこめられた青春の自画像を重ね合わせ、人間を支配している大きな力を探って鋭い文明批判に結晶させた名作。>(表紙カバー後ろより)
別に複雑な構造になっているわけではないけれど、少し(部分的に)整理すれば、
(1) 蒲松齢 → 『聊斎志異』 (創作方法1)
(2) 太宰治 → 「清貧譚」/「竹青」 (創作方法2)
(3) 「私」 → 「私」が書こうとしている長篇小説 (創作方法3)
(4) 作者(安岡章太郎) → 私たちがいま読んでいるこの小説 (創作方法3’)
こんな感じかな。蒲松齢(ほ・しょうれい)の、少なくとも51歳(!)まで郷試(ごうし)を受け続けていたという経験や、家族(特に奥さん)や家系などが、その作品=『聊斎志異』にどう反映されているか、を、作家である「私」は(もちろん作品から)推測するわけだけれど、それは当然、“物語の創作論”にはなるよね。日本と中国では教育制度(具体的には狭い意味での入試制度)が異なっているし、「私」は戦争を経験しているし、松齢をそのまま真似する(?)わけにはいかない。そもそも「私」が『聊斎志異』を知ったきっかけは、太宰治「清貧譚」を雑誌で読んだことらしいけれど、太宰氏による『聊斎志異』の料理方法=「ロマンチシズム(の発掘)」(というよりファンタジー?)は、「私」がかつて惹かれた方法ではあるけれど、それは結局、捨てることに。――えーと、すみません、やっぱり私には整理できそうもない、今回はもう諦めます(というか、いつも諦めてばかりだな(涙))。そう、三高(いまでいえばたぶん京都大学)の帽子に似せた、予備校生(浪人生)向けの帽子って、本当にあったのかな?
“落第生”に関しては、私は、いままでに安岡章太郎のエッセイ(集)をばらばらといくつか読んでいるので――『なまけものの思想』(角川文庫)、『とちりの虫』(光文社文庫)、あと『僕の昭和史』(新潮文庫)も持っているな――それらの繰り返しに感じてしまって。…ま、当たり前か。キーワードを挙げれば、「運命」、(それと矛盾していそうだけれど)「怠惰(なまけ者)」、あと(比喩的な意味での)「虫」か。
~・~・~・~・~・~・~・~・~
関係ないけれど、村上春樹『若い読者のための短編小説案内』(文藝春秋、1997/文春文庫、2004)を読み直していたら、安岡章太郎「ガラスの靴」(雑誌掲載は1951年)をとりあげた章の、次のような箇所が目についた。
<安岡氏は初期の様々な短編小説の中で、自分を「弱者」として規定して小説を作り上げているわけですが、よくよく読んでみると、主人公たちは弱者でもなんでもない。彼らはただ単に「外から見れば、客観的には弱い立場に見える」というところにいるに過ぎないわけです。それは従来の私小説的弱者とはまったく違ったものです。作者は計算してその弱者的立場を誇張しているのです。非常に意識的であり作為的です。>(文庫版、p.102)
偽装弱者? ――小説家って、ふつうデビュー作からそれほど意識的に計算して小説を書いているものなの? うーん…、小説を書かない(書けない)自分にはよくわからんです。「初期」っていつくらいまでだろう? でも、万年落第生というか、旧制高校浪人を3年している人、というのは「弱者」だったのか。いままで気づかなかった。ただ、偽装…じゃなくて「外から見れば、~」という話だけれど――そう、安岡氏の小説に対して「優等生による嘘」とか「貧乏自慢と同じだ」とか言っている人もいたと思うけれど(いなかったっけ?)、えーと、作家・河野典生は、筒井康隆との対談で次のようなことを述べている(同じものが河野氏の本にも収録されているようだけれど、手もとにあるのは筒井康隆『トーク8<エイト>』徳間書店、1980/徳間文庫、1984。の文庫のほう)。
<河野 ぼくは安岡章太郎さんとははるかな遠縁だけど、安岡さんとは血の繋がりのあるおばあさんのところに、浪人のころ一年間下宿していたんです。そのおばあさんは、もう亡くなったけれども、若いころチャンバラを目撃したというくらいで、たいへんな年齢なんだ。けれども、ぼくは文学少年なんだもので、「章ちゃんみたいにならないでよ」ってよく言っていた。だから、安岡さんですら、親戚中のたいへんな厄介者だったらしくてね。つまり、文学をやる、小説を書くなんていうと、まず安岡さんが頭に浮かぶらしくて、「章ちゃんみたいにならないでよ」って、頭に吹き込まれながら毎日書いてたんだ。こいつは、まだ安岡さんには言ってない。いつか言ってやろうと思ってるんだけどね。>(pp.93-4)
話し言葉は引用すると長くなって困るな(涙)。それはともかく、これまた縁起がいいのやら悪いのやらな所で浪人していたもんだよね、この人。1935年の早生まれだから、浪人中というのは、安岡章太郎が芥川賞を受賞しているかしていないかくらいのときかな?(受賞は1953年)。なんていうか浪人生どころか、↑小説を書く人たちも、ある意味で社会的な「弱者」な感じだよね。
<中国清朝初の幻想的怪異譚「聊斎志異」の作者蒲松齢は、官吏の登龍門科挙の本試験に挑戦すること数十回、落第しつづけたまま未練を残して世を去った。その生きざまに心ひかれた著者が、自身の劣等感に塗りこめられた青春の自画像を重ね合わせ、人間を支配している大きな力を探って鋭い文明批判に結晶させた名作。>(表紙カバー後ろより)
別に複雑な構造になっているわけではないけれど、少し(部分的に)整理すれば、
(1) 蒲松齢 → 『聊斎志異』 (創作方法1)
(2) 太宰治 → 「清貧譚」/「竹青」 (創作方法2)
(3) 「私」 → 「私」が書こうとしている長篇小説 (創作方法3)
(4) 作者(安岡章太郎) → 私たちがいま読んでいるこの小説 (創作方法3’)
こんな感じかな。蒲松齢(ほ・しょうれい)の、少なくとも51歳(!)まで郷試(ごうし)を受け続けていたという経験や、家族(特に奥さん)や家系などが、その作品=『聊斎志異』にどう反映されているか、を、作家である「私」は(もちろん作品から)推測するわけだけれど、それは当然、“物語の創作論”にはなるよね。日本と中国では教育制度(具体的には狭い意味での入試制度)が異なっているし、「私」は戦争を経験しているし、松齢をそのまま真似する(?)わけにはいかない。そもそも「私」が『聊斎志異』を知ったきっかけは、太宰治「清貧譚」を雑誌で読んだことらしいけれど、太宰氏による『聊斎志異』の料理方法=「ロマンチシズム(の発掘)」(というよりファンタジー?)は、「私」がかつて惹かれた方法ではあるけれど、それは結局、捨てることに。――えーと、すみません、やっぱり私には整理できそうもない、今回はもう諦めます(というか、いつも諦めてばかりだな(涙))。そう、三高(いまでいえばたぶん京都大学)の帽子に似せた、予備校生(浪人生)向けの帽子って、本当にあったのかな?
“落第生”に関しては、私は、いままでに安岡章太郎のエッセイ(集)をばらばらといくつか読んでいるので――『なまけものの思想』(角川文庫)、『とちりの虫』(光文社文庫)、あと『僕の昭和史』(新潮文庫)も持っているな――それらの繰り返しに感じてしまって。…ま、当たり前か。キーワードを挙げれば、「運命」、(それと矛盾していそうだけれど)「怠惰(なまけ者)」、あと(比喩的な意味での)「虫」か。
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関係ないけれど、村上春樹『若い読者のための短編小説案内』(文藝春秋、1997/文春文庫、2004)を読み直していたら、安岡章太郎「ガラスの靴」(雑誌掲載は1951年)をとりあげた章の、次のような箇所が目についた。
<安岡氏は初期の様々な短編小説の中で、自分を「弱者」として規定して小説を作り上げているわけですが、よくよく読んでみると、主人公たちは弱者でもなんでもない。彼らはただ単に「外から見れば、客観的には弱い立場に見える」というところにいるに過ぎないわけです。それは従来の私小説的弱者とはまったく違ったものです。作者は計算してその弱者的立場を誇張しているのです。非常に意識的であり作為的です。>(文庫版、p.102)
偽装弱者? ――小説家って、ふつうデビュー作からそれほど意識的に計算して小説を書いているものなの? うーん…、小説を書かない(書けない)自分にはよくわからんです。「初期」っていつくらいまでだろう? でも、万年落第生というか、旧制高校浪人を3年している人、というのは「弱者」だったのか。いままで気づかなかった。ただ、偽装…じゃなくて「外から見れば、~」という話だけれど――そう、安岡氏の小説に対して「優等生による嘘」とか「貧乏自慢と同じだ」とか言っている人もいたと思うけれど(いなかったっけ?)、えーと、作家・河野典生は、筒井康隆との対談で次のようなことを述べている(同じものが河野氏の本にも収録されているようだけれど、手もとにあるのは筒井康隆『トーク8<エイト>』徳間書店、1980/徳間文庫、1984。の文庫のほう)。
<河野 ぼくは安岡章太郎さんとははるかな遠縁だけど、安岡さんとは血の繋がりのあるおばあさんのところに、浪人のころ一年間下宿していたんです。そのおばあさんは、もう亡くなったけれども、若いころチャンバラを目撃したというくらいで、たいへんな年齢なんだ。けれども、ぼくは文学少年なんだもので、「章ちゃんみたいにならないでよ」ってよく言っていた。だから、安岡さんですら、親戚中のたいへんな厄介者だったらしくてね。つまり、文学をやる、小説を書くなんていうと、まず安岡さんが頭に浮かぶらしくて、「章ちゃんみたいにならないでよ」って、頭に吹き込まれながら毎日書いてたんだ。こいつは、まだ安岡さんには言ってない。いつか言ってやろうと思ってるんだけどね。>(pp.93-4)
話し言葉は引用すると長くなって困るな(涙)。それはともかく、これまた縁起がいいのやら悪いのやらな所で浪人していたもんだよね、この人。1935年の早生まれだから、浪人中というのは、安岡章太郎が芥川賞を受賞しているかしていないかくらいのときかな?(受賞は1953年)。なんていうか浪人生どころか、↑小説を書く人たちも、ある意味で社会的な「弱者」な感じだよね。
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