真木武志 『ヴィーナスの命題』
2011年1月5日 読書
角川書店、2000/角川文庫、2010。手もとにあるのは、文庫版。地方にある偏差値の高い進学校・成箕(なるみ)中央高校という学校が、主な舞台となっている学園青春ミステリー。ほしおさなえ『ヘビイチゴ・サナトリウム』(創元推理文庫)を読んだあとに“学校墜死もの”つながり、という気軽な感じで読み始めたのだけれど、読んでいて何を言っているのやらさっぱり、ここ数年以内に読んだ小説の中で、意味不明さマックスだったかもしれない(涙)。なもので、読み終わるのに通常の3倍くらい時間がかかっちゃったよ(いや本当に)。早めに再読したほうがいいとは思うけれど、いまのところその気力がない…。以上、感想終わりです(感想になっていないな)。閉塞感が伝わってくる小説、
<成央の校舎にかけられた首吊り浪人の呪い>(p.74)
高校生…というより現役受験生が、過年度卒業生たる浪人生を嫌悪するという図は、小説でもときどき見かける気がするけれど――、うーん、どうなんだろうね? 死ぬ気で勉強している高校生が、大学に落ちてもう1年(死ぬ気で)受験勉強するのを、まっぴらごめんだ、と考えているのは、当然すぎるほど当然か。ときどき(?)死ぬほど勉強して、大学に落ちて本当に死んでしまう人も出てくる? それこそ(むしろある意味では死んでいた)3年間が無駄になっちゃうよね。思うに、ほんとみんな(?)無責任に「頑張れ」「頑張れ」と言うけれど――ま、言われない場合も含めて、結果、成果が出なかった時の制度的な(システム上の)フォローがなさすぎだよね、世の中。ま、だから大学受験に関してなら、素直に予備校に“進学”すればいいわけか。そう、(私は恩田陸はほとんど読んだことがなくて比べられないけれど)「呪い」の中身は、作者は以前、双六(すごろく)をたくさん作っていたことがあるらしいけれど(『本格ミステリ大賞全選評 2001-2010』光文社、2010、p.492)、1年で何組→2年で何組→3年で何組(となると大学に不合格、とか)――というのは、パズルというよりはちょっと双六っぽいね。
~・~・~・~・~・~・~・~・~
文庫が出版されてすぐに購入したわけではないのだけれど、私が書店で手にしたときにはまだ帯が付いていて、そこにはこの小説に対する谷川流(と長門有希)のコメントが引かれていて。私のなかではライトノベルと言われると、“涼宮ハルヒ”シリーズくらいしか読んでいなくて(そんなこともないかな)それくらいしか思い浮かばないのだけれど、『S BLUE ザ・スニーカー100号記念アンソロジー』(角川スニーカー文庫、2010)というアンソロジーの2篇目(全6篇)には、谷川流「涼宮ハルヒ劇場 ファンタジー編」というものが収録されている(あ、『ヴィーナスの命題』はたぶんライトノベルではないと思う)。で、このブログでは何度か書いているような気がする、ライトノベルと「浪人(生)」とは相性がよくないみたいな話だけれど、証拠の一つ(にはならないか)、最初のページには次のような箇所がある。
<乗った電車の行き先が生徒指導室とか予備校の浪人生クラスとかになっていないことを祈るしか手だてはない。>(p.84)
「電車」というのは比喩で“暴走ハルヒ列車”というか。
<成央の校舎にかけられた首吊り浪人の呪い>(p.74)
高校生…というより現役受験生が、過年度卒業生たる浪人生を嫌悪するという図は、小説でもときどき見かける気がするけれど――、うーん、どうなんだろうね? 死ぬ気で勉強している高校生が、大学に落ちてもう1年(死ぬ気で)受験勉強するのを、まっぴらごめんだ、と考えているのは、当然すぎるほど当然か。ときどき(?)死ぬほど勉強して、大学に落ちて本当に死んでしまう人も出てくる? それこそ(むしろある意味では死んでいた)3年間が無駄になっちゃうよね。思うに、ほんとみんな(?)無責任に「頑張れ」「頑張れ」と言うけれど――ま、言われない場合も含めて、結果、成果が出なかった時の制度的な(システム上の)フォローがなさすぎだよね、世の中。ま、だから大学受験に関してなら、素直に予備校に“進学”すればいいわけか。そう、(私は恩田陸はほとんど読んだことがなくて比べられないけれど)「呪い」の中身は、作者は以前、双六(すごろく)をたくさん作っていたことがあるらしいけれど(『本格ミステリ大賞全選評 2001-2010』光文社、2010、p.492)、1年で何組→2年で何組→3年で何組(となると大学に不合格、とか)――というのは、パズルというよりはちょっと双六っぽいね。
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文庫が出版されてすぐに購入したわけではないのだけれど、私が書店で手にしたときにはまだ帯が付いていて、そこにはこの小説に対する谷川流(と長門有希)のコメントが引かれていて。私のなかではライトノベルと言われると、“涼宮ハルヒ”シリーズくらいしか読んでいなくて(そんなこともないかな)それくらいしか思い浮かばないのだけれど、『S BLUE ザ・スニーカー100号記念アンソロジー』(角川スニーカー文庫、2010)というアンソロジーの2篇目(全6篇)には、谷川流「涼宮ハルヒ劇場 ファンタジー編」というものが収録されている(あ、『ヴィーナスの命題』はたぶんライトノベルではないと思う)。で、このブログでは何度か書いているような気がする、ライトノベルと「浪人(生)」とは相性がよくないみたいな話だけれど、証拠の一つ(にはならないか)、最初のページには次のような箇所がある。
<乗った電車の行き先が生徒指導室とか予備校の浪人生クラスとかになっていないことを祈るしか手だてはない。>(p.84)
「電車」というのは比喩で“暴走ハルヒ列車”というか。
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