どうしていままで気づかなかったのか、『橘傳來記――山田風太郎初期作品集――』(出版芸術社、2008)という本が出ていた(あ、読み方は「たちばなでんらいき」)。「初期」というか、デビュー前に書かれた小説が13作収録されている。中学校の機関誌(『徳達』)に掲載されたものが4篇、雑誌『受験旬報』(旺文社)に掲載されたもの(懸賞小説に当選したもの)が6篇、『受験旬報』が『螢雪時代』と誌名を変えてから掲載された(当選した)ものが3篇収録されている。真ん中の6篇は、『山田風太郎ミステリー傑作選10 達磨峠の事件 <補遺篇>』(光文社文庫、2001)という本にも収録されていて、以前に読んであったけれど――それらは今回は措いておいて。最後の3篇中の2篇目が、作者の日記(『戦中派虫けら日記』ちくま文庫)を読んで、その存在を知って以来、個人的にずっと読んでみたいと思っていた「國民徴用令」(『螢雪時代』昭和18年5月号)という作品。読めてよかったです。感想というかは、あとの2篇――「勘右衛門老人の死」(昭和17年7月号…とこの本には書かれているけれど、たぶん昭和18年の間違い)、「蒼穹」(昭和18年10月号)――もそうだけれど、涙、涙? 「國民徴用令」は、鬼の目にも涙…ではなくて、軍人の目にも涙というか。私はそもそも山田作品をあまり読んだことがなくて、ほかの小説のことはわからないけれど、なんていうかこの3篇を読むかぎり、陸、海、空、それらの涯(はて)を風の眼(?)で見つめているような? ちょっと神がかってもいるかな。

以下、余談です。ごちゃごちゃ書いても得るところがないので、なるべく手短に(と自分に言い聞かせて)。以前このブログで私は、日記本(同上、昭和17年11月下旬以降のもの)しか読んでいない段階で、井上光晴の小説『乾草の車』(単行本は講談社、1967)の冒頭に出てくる(“引用”をまじえて紹介されている)<戦時中の受験雑誌に掲載された学生小説>というのは、山田風太郎「國民徴用令」のことだ、と断言してしまった記憶があるけれど、実際、読み較べてみるとだいぶ異なっている(当たり前か)。ただ、働きながら一高(いまでいえば東大)に合格した主人公が、職場というか工場全体に徴用令がかかっていて(本人の徴用を取り消すことができずに)入学を断念しなければならないという核の部分(メイン・アイディアというか)は同じ。設定としては、

  井上作中作 … 主人公=久雄、夜間中学生、両親と同居? 兄が戦死する、川崎の機械製作所。
  山田作品 … 主人公=蓮沼明人(あきと)、中学卒業後上京(1浪というか)、本人曰く「田舎の小地主の息子」、品川の海の見える機械工場。

という違いがある。でも、そうした違いよりも、一読、雰囲気がぜんぜん違っている。井上光晴の作中作のほうがシリアス度が高いかもしれないけれど、“小説”らしく感じるのは、やっぱり情というかが描かれている山田風太郎のほうかな。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
さらに余談。小説(フィクション)以外の話にもなるけれど――もっと面倒な話になりそうだけれど、まず、作家の井上荒野『ひどい感じ――父・井上光晴』に次のような箇所がある。

 <紀伊国屋ホールでの講演を記録した『小説の書き方』によれば、父がはじめて小説を書いたのは、小学校四年生のときだという。(略)/次が十六歳のときに書いた受験小説。軍需工場で働いている者が希望の学校にすすめないという当時の受験システムをテーマにしたもので、「その矛盾というか、危険な素材には、誰も触れなかったんですよ」「青春小説としてもわりに緊迫した、いい作品だと自負していますよ」と父は語っている。/(略)>(pp.54-5、講談社文庫)

これを読んで『乾草の車』の冒頭の作中作(部分的なもの)が、作者が16歳のときに書いた小説だと思ってしまうのは、たぶん私だけではないと思う(…言い訳です(涙))。井上光晴は1926年5月15日生まれらしい。16歳であるのは、1942年(昭和17年)5月15日から1943年(昭和18年)5月14日までということになる。繰り返しになるけれど、山田風太郎の「國民徴用令」が掲載されたのは、『螢雪時代』の1943年(昭和18年)5月号であるらしい。発売日は4月中? やっぱり微妙なんだよな…、よくわからないです。でも、「國民徴用令」を読んでからも、私の、ほとんど根拠なしの邪推は変わっていなくて、すなわち山田作品を『螢雪時代』で読んでショックと感動を受けた(?)“全身小説家”の井上が後年、それを(あるいはそれと似たものを)自分が書いたことにしている、というもの。書いたと言っているだけで、受験雑誌などに掲載されたと言っているわけでもないし。――本人もどこかで語っているかもしれないけれど、井上光晴が『螢雪時代』を読んでいた証拠というか、証言ならある。原一男『全身小説家――もうひとつの井上光晴像――』(キネマ旬報社、1994)という本に、崎戸時代の同級生へのインタビューが収録されていて、そのなかに、

 <参考書もたくさん持っとったし、あの頃の高い参考書を。『蛍雪時代』ていう受験雑誌がありますよね、あれを一人とっていましたもんね。あの頃、あの雑誌を読んでいるのは井上ぐらいやなかったですか。>(pp.136-7)

とある。時期的には……まぁ、もう細かいことはいいや(汗)。

あと――井上荒野『ひどい感じ』だけでなく、いつだったか、お父さんの講演録『小説の書き方』(新潮選書、1988)も古本屋で手に入れることができて、いま手もとにあるけれど――、「その矛盾」というのは、働きながら(苦学して)一高に合格できたのに入学できないという個人的な(?)矛盾だけでなく、戦争中、働かずに(予備校に通ったりして、好きなだけ?)勉強して合格できた者は入学できる、といった社会的な矛盾のことも指している(『乾草の車』の作中作でも同じ)。要するに(戦後60年以上経ったいま、受験生でもない自分が読んでいるからそう思うのかもしれないけれど)山田風太郎と違って井上光晴のほうは、ちょっと恨みがましい感じもする。「危険な素材」という話にもつながるけれど――『小説の書き方』からも少し引用させてもらえば、

 <戦後になって(略)『日本抵抗文学選』(一九五五、三一書房刊)というのが刊行されました。戦争中いかに文学者は抵抗したかという、アンソロジーです。ぼくはそれを読んで、「おかしいなぁ」と思いました。そんなのが抵抗文学だったら、おれの受験小説の方がよっぽど反戦・抵抗文学だっていいたかった。今もその気持ちは変わりありません。>(p.17)

とまで言っている。仮にどこにも発表されていない作品であるなら、もし書かれていたとしても、それは「抵抗」でも何でもないよね?(そうでもないか、誰かに見られてしまう場合もあるし)。逆に、山田風太郎の『螢雪時代』に掲載された3作が、『達磨峠の事件』(光文社文庫、2001)に収録されなかったのは、「時局」寄りだと判断されたから?(これは違うな、たんに分量的な問題とかがあったのかもしない)。山田日記(同上=『戦中派虫けら日記』)によれば――これも引用させてもらえば、

 <「国民徴用令」は自分でも思いがけない反響を呼んでいるらしい。旺文社ではこれを掲載するのに厚生省文部省その他いくつかの関係当局に問い合わせ、これが掲載されると毎日数十通の批評が旺文社に飛び込んでいるという。/「涙なくしては読めぬ」という手紙もあるという。/自分は慄然とした、そして恥じ入った。/ああ、純なるものの勝利だ。作者は読者に敗北したのだ。>

昭和18年6月28日の箇所(p.219、ちくま文庫)。読者に敗北…って、すでにプロの作家のようだけれど、それはともかく。何に関して上(?)へ「問い合わせ」たのかわからないけれど、やっぱり「危険」だと思われる危険性があったのかもしれない。この「國民徴用令」がぎりぎり(?)であったとすれば、井上光晴の(のちに振り返ってであれ)抵抗・反戦の自覚があった作品が、雑誌に載せてもらえるわけがないよね?(うーん、そんなこともないかな)。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
角川書店編集部編『列外の奇才 山田風太郎』(角川書店、2010)という本に、千野帽子「山田風太郎の小説は、青空に書かれている。/出張版『幻談の骨法』」というエッセイというか評論というかが収録されていて(pp.36-40)、その最初のへんに(あぁまた引用だよ、すみません)、

 <(略)。そういえば、戦時下の山田誠也青年にはずばり『蒼穹』という作品もあったのだが、ここでその時代の作品に触れる紙数はない。残念、またの機会に。>(p.36)

と書かれている。ふつうに読めば「その時代」=「戦時下」? 個人的にもちょっと「残念」だな、「またの機会」をあまり期待せずに待っていたい。
 

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索