三木卓 「あかるい春の午後」
2011年6月14日 読書
『はるかな町』(集英社、1975/集英社文庫、1979)所収。手もとにあるのは文庫版。短篇集というより掌篇集かな(もともと『non・no』で連載されていたものらしい)、「プロローグ」を入れて33篇収録されているうちの、いちばん最後の一篇。まだ3月の下旬、東京の一流私大に合格した友達のZに対して、浪人の決まってしまった「わたし」。――この2人の会話、なんだかちょっと面白いな。Zに学生証を自慢されたりとかして「帰る」と宣言した「わたし」(自転車で来ている)に、Zは「どうして?」と尋ねる。
<(略)「どうしてって、おまえが三本も煙草をつなぐからだ」/「煙草をつないだから?」/「あたりまえよ」わたしはいう。「馬鹿みてえなことするからだ」/(略)/「ごめんな」Zはいう。「こんな馬鹿なことして」>(p.209)
いい友達だよね(笑)。というか、やっぱりちょっと児童文学っぽいのかな? それはともかく、このブログでは何度も書いている気がするけれど、教訓としては、一般に(?)大学に落ちている浪人生は、大学生になってしまった友達(高校の元同級生たち)とはあまり会わないほうがいい、みたいなことは言えるかと思う。
ちなみに1つ手前の一篇、「さよならの少年たち」では入水した浪人生についても語られている。残されていた「手紙」の内容が、ちょっとホラー小説っぽくて怖い(涙)。
<(略)「どうしてって、おまえが三本も煙草をつなぐからだ」/「煙草をつないだから?」/「あたりまえよ」わたしはいう。「馬鹿みてえなことするからだ」/(略)/「ごめんな」Zはいう。「こんな馬鹿なことして」>(p.209)
いい友達だよね(笑)。というか、やっぱりちょっと児童文学っぽいのかな? それはともかく、このブログでは何度も書いている気がするけれど、教訓としては、一般に(?)大学に落ちている浪人生は、大学生になってしまった友達(高校の元同級生たち)とはあまり会わないほうがいい、みたいなことは言えるかと思う。
ちなみに1つ手前の一篇、「さよならの少年たち」では入水した浪人生についても語られている。残されていた「手紙」の内容が、ちょっとホラー小説っぽくて怖い(涙)。
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