※以下、すべてネタバレ注意です(毎度、すみません)。
田山花袋「重右衛門の最後」
手もとにあるのは、新潮文庫『蒲団・重右衛門の最後』。初出については書かれていないけれど、本文の最後に<(明治三十五年五月)>とある(明治35年=1902年)。どうでもいいけれど、カバー(の後ろ)の紹介文がネタバレを起こしているというか、「~の最後」という題名なのに、その“最後”について書いてしまったらあかんのではないか?(涙)。田山花袋は以前、『田舎教師』を読んだことがあるだけだけれど([追記]忘れていた、「少女病」も読んだことがある)、この小説も、けっこう悲惨なことが起こっているわりに“自然大好きほのぼの小説”みたいな感じがする(のは、私だけなのか?)。――かつて麹町にあった、主に陸軍士官学校・幼年学校受験者向けの予備校(と言ってもいい?)の「速成学館」に通っていた「自分」(=富山)は、同じくその学校に通っていた信州の山村出身(というか青雲の志にかられた脱走者)の2人組(=山県行三郎、杉山)と友人になり、さらに半年後2人を通じてもう1人、彼らの同郷者(=根本行輔)と友人になって。「自分」は当時、16歳(数え年?)で幼年学校の志望者。4人のうち、結局、まともに学校に合格できた人はいなかったようだけれど、東京で2年ほどの交際があった5年後(6年後?)、「自分」はあれこれ聞かされていて、憧れていた自然豊かな彼ら郷里を訪れる――。そこでは夜な夜な、藤田重右衛門による放火が行なわれていて、みたいな話。「遊学」という言葉に註(紅野敏郎)が付けられていて、
<いわゆる青雲の志を立てて上京し勉学すること。明治時代は、この「遊学」ということから、人生のドラマがはじまる場合が多かった。>
とある。そんな「ドラマ」が描かれている小説ではないのにな…(汗)。なんていうか、視点人物の「自分」を含めてけっこう人が行き来(出入り)しているところを見ると、あまり閉鎖的な村ではないような?(そうでもないのかな…)。村人たちの成功と失敗(財を成せるか成せないか)も、そんなに単純に割り切れていないというか。善悪についてもそうかもしれない。若いときからのやんちゃ者(?)であっても、東京でお金を持つようになって帰郷すれば、ある程度それなりに評価されたり……するのは、まぁ当たり前か。そう、『田舎教師』もそうだけれど、この小説でも最後、少女が幕を降ろしている(死者を弔っている)。
芥川龍之介「彼」
手もとにあるのは、ちくま文庫『芥川龍之介全集 6』(1987)。本文の最後に<(大正十五年十一月十三日)>とあるのは、初出年ではなくて執筆年かな。だいぶ前に読んでよく覚えていないけれど、谷崎潤一郎「金色の死」では、語り手は現役で一高、語られている友人(=岡村)は一高を落ちて、翌年一高――だったような? それに対して、こちらでは語り手の「僕」は現役で一高、語られている「彼」は現役で一高を落ちて、翌年、六高(現在でいえば岡山大学)に合格している。「彼」には両親がおらず(お母さんは亡くなっていない)叔父さんの家に住んでいたのだけれど、中学(府立三中)を卒業後は、本郷の印刷屋の2階に間借りしていたらしい。一高の寮生になった「僕」はそこに遊びに行ったり…。浪人中は(「浪人」という言葉は本文には見られない)マルクスやエンゲルスなどの社会科学の本を読んだり――時代はまだ明治かな、受験勉強に関してはけっこうのんびりしていたのかもしれない。読んでいて個人的には、「彼」が亡くなったさいの話が印象的だった。六高に入学した「彼」は、半年くらいして病気になって、東京の叔父さんの家に戻ることに。その後、転地というか小田原の病院に。
<彼の死んだ知らせを聞いたのはちょうど翌年の旧正月だった。何でも後に聞いた話によれば病院の医者や看護婦たちは旧正月を祝うために夜更けまで歌留多会をつづけていた。彼はその騒ぎに眠られないのを怒り、ベッドの上に横たわったまま、おお声に彼らを叱りつけた、と同時に大喀血をし、すぐに死んだとか云うことだった。僕は黒い枠のついた一枚の葉書を眺めた時、悲しさよりもむしろはかなさを感じた。>(p.125)
まだ20歳にもなっていなかったのかな? 女を知っていたかどうかみたいなことも書かれているけれど、それはともかく。それほど不遇とか不条理とか、理不尽みたいな感じで描かれているわけでもないけれど、なんていうか、…毎度のこと、うまい言葉が見つからないな(涙)。そういえば、芥川龍之介の人の死の描き方って、個人的にちょっと怖く(?)感じるものが多いかな(「地獄変」とか)。
受験生がらみの作品としては、ほかに「お律と子等と」というものもある(いま手もとにあるのは角川文庫『杜子春・南京の基督』)。途中までの視点人物(=洋一)は、中学を卒業していて、1ヶ月後くらいに一高の入試を控えている受験生(当時の入試は7月)。本人は勉強机で(下女の少女・美津にあげる)歌を作ったりしていてけっこうのんきな感じだけれど、病気で寝ているお母さんはやっぱり息子の受験のことを心配していたり…。あと、「手紙」という作品には(あらすじは措いておいて)次のような箇所がある(手もとにあるのは上記の全集本)。
<しかしいつか読んだ新聞記事によれば、この奥さんはM子さんやM子さんの兄さんを産んだ人ではないはずです。M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました。(略)>(pp.337-8)
何の学校の「入学試験」かわからないけれど。本文の最後には<(昭和二年六月七日)>とある。
坂上弘「野菜売りの声」
いま手もとにあるのは、“筑摩現代文学大系”の第94巻(1977)。初出は『文芸』1969年2月号らしい(関係ないけれど、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」の初出は『中央公論』同年5月号らしい)。微妙…というか、なんだろう、いまいちピンと来ない小説でした(ま、ピンと来ないのは最近、何を読んでもそんな感じだけれど)。舞台は東京、この春から大学生の信一は、母親に対して複雑な思いを抱いていたり(そんなに束縛系のお母さんではない感じだけれど)、また、喫茶店のウェイトレスで東北地方出身の美代子と付き合ったりもしている。ネタバレしてしまうけれど、“童貞喪失小説”、あるいは一応“妊娠小説”でもあったりする。回想部分というかで、今年の1月、高校の1年先輩で浪人中のNが訪ねてきて、お金を借り、さらに話をしているときに(まだ経験のない信一に)いい旅館を紹介してくれたりもする。Nはお坊っちゃんというか、家は麻布にある。浪人生活の始めのころにノイローゼで入院していたらしい(受験ノイローゼで「電気衝撃療法」? …本当に?)。浪人中、受験勉強とは関係なく(?)アテネ・フランセに通っていたようだ。作中年はいつだろう? 例によって歴史オンチな自分…。本の後ろに付いている年譜によれば、作者が大学生(慶応)になったのは、1954年であるようだ。そんなに昔な感じもしないよな、初出年(=1969年)の近く?
丸岡明「街の灯」
手もとにあるのは、集英社“日本文学全集”の第73巻(1969)。後ろの「年表」を見ると、この一篇の初出は『群像』1964年3月(号?)であるらしい。記憶というか(そのソースになっている)時間がわりと行ったり来たりしている小説で、個人的には頭の中で時系列(出来事が起こった順)に整理できなかったりして――ま、もう諦めます(汗)。10年近く前から家を建てて暮らしている今の場所、の近くに、その昔(戦前)わずかの間、住んでいたことがある、と「彼」がふと思い出したのは、すでに2年前のことで――。旧制中学を卒業したころ「彼」は、弟の家庭教師をしていた大学生・田所五郎(高文試験の勉強中)と3ヶ月くらい(だっけ?)の間、小さな家を借りて同居していたことがある。その前にも実家を出てその田所と一緒に暮らしていたことがあって――もう細かいことはいいや(涙)。田所には生島浩という大学の同級生(甲府出身)がいて――だからそういう細かいことはいいってば!(汗)。本の後ろの「年表」によれば、作者は(10年ほど前の)1954年に新宿区の下落合に転居している。同年表によれば、中学を卒業したのは、大正14年(1925年)。引用しておけば、
<三月、暁星中学を卒業。卒業後、暁星の夜学、外語の夜学、アテネ・フランセなどに通った。このころ、フランス語に熱中。>
とのこと(この「年表」では翌年の大正15年/昭和元年=1926年が飛ばされていて、次は昭和2年=1927年になっているから、↑の記述は2年分のこと?)。
村田喜代子「鍋の中」
手もとにあるのは、同名の文庫本(文春文庫、1990)。4篇中の1篇目。初出は『文學界』1987年5月号らしい。芥川賞の受賞作、これまたどこが面白いのやらピンと来なくて…(涙)。高地にあるおばあさんの家に、両親たちがハワイに旅行中で、学校が夏休み中の孫たち――高校2年の「わたし」(たみちゃん、17歳)、中学生の弟・信次郎、いとこで大学生の縦男(19歳)、同じくいとこで「わたし」と同学年のみな子の4人――が集まっている。この小説も“記憶”がポイントの1つになっていたりするのだけれど、それはともかく。ずっと積ん読状態だったこの文庫本を読んだきっかけは、といえば、この前(というのは、すでに2,3ヶ月も前の話だけれど)、千野帽子「町子さんからたみちゃんへの花束。 尾崎翠と村田喜代子、そしてわが懺悔」(『KAWADE道の手帖 尾崎翠 モダンガアルの偏愛』河出書房新社、2009)という文章を読んだからで。でも、村田喜代子本人が何を語っているのか私は知らないけれど、『第七官界彷徨』(単行本は1933年)などの尾崎作品とこの「鍋の中」は、どこがどうとか具体的に説明されても、個人的にはぜんぜん似ていないとしか思えなくて…(うーん…)。そう、縦男が弾いているのは、佐田三五郎のようなピアノではなくてオルガンなんだよね、それも元小学校教師のおばあさんが使っていた…。三五郎よりも、田山花袋『田舎教師』に出てくる林清三(一応、音楽学校を受験する)を思い出しちゃうな。夏の時点で19歳の大学生・縦男くんは、大学に入るのに浪人はしていないのかな? きょうだいの名前を12人挙げることができたおばあさんに対して、<「きっとおばあさんは大学だって一回で入れたでしょうね」>(p.42)と口にしているから、1回で入れていない=1年浪人している可能性もある。ちなみに(下落合と上落合はぜんぜん違うらしいけれど)、尾崎翠が上落合に住み始めたのは、1927年(昭和2年)かららしい。
田山花袋「重右衛門の最後」
手もとにあるのは、新潮文庫『蒲団・重右衛門の最後』。初出については書かれていないけれど、本文の最後に<(明治三十五年五月)>とある(明治35年=1902年)。どうでもいいけれど、カバー(の後ろ)の紹介文がネタバレを起こしているというか、「~の最後」という題名なのに、その“最後”について書いてしまったらあかんのではないか?(涙)。田山花袋は以前、『田舎教師』を読んだことがあるだけだけれど([追記]忘れていた、「少女病」も読んだことがある)、この小説も、けっこう悲惨なことが起こっているわりに“自然大好きほのぼの小説”みたいな感じがする(のは、私だけなのか?)。――かつて麹町にあった、主に陸軍士官学校・幼年学校受験者向けの予備校(と言ってもいい?)の「速成学館」に通っていた「自分」(=富山)は、同じくその学校に通っていた信州の山村出身(というか青雲の志にかられた脱走者)の2人組(=山県行三郎、杉山)と友人になり、さらに半年後2人を通じてもう1人、彼らの同郷者(=根本行輔)と友人になって。「自分」は当時、16歳(数え年?)で幼年学校の志望者。4人のうち、結局、まともに学校に合格できた人はいなかったようだけれど、東京で2年ほどの交際があった5年後(6年後?)、「自分」はあれこれ聞かされていて、憧れていた自然豊かな彼ら郷里を訪れる――。そこでは夜な夜な、藤田重右衛門による放火が行なわれていて、みたいな話。「遊学」という言葉に註(紅野敏郎)が付けられていて、
<いわゆる青雲の志を立てて上京し勉学すること。明治時代は、この「遊学」ということから、人生のドラマがはじまる場合が多かった。>
とある。そんな「ドラマ」が描かれている小説ではないのにな…(汗)。なんていうか、視点人物の「自分」を含めてけっこう人が行き来(出入り)しているところを見ると、あまり閉鎖的な村ではないような?(そうでもないのかな…)。村人たちの成功と失敗(財を成せるか成せないか)も、そんなに単純に割り切れていないというか。善悪についてもそうかもしれない。若いときからのやんちゃ者(?)であっても、東京でお金を持つようになって帰郷すれば、ある程度それなりに評価されたり……するのは、まぁ当たり前か。そう、『田舎教師』もそうだけれど、この小説でも最後、少女が幕を降ろしている(死者を弔っている)。
芥川龍之介「彼」
手もとにあるのは、ちくま文庫『芥川龍之介全集 6』(1987)。本文の最後に<(大正十五年十一月十三日)>とあるのは、初出年ではなくて執筆年かな。だいぶ前に読んでよく覚えていないけれど、谷崎潤一郎「金色の死」では、語り手は現役で一高、語られている友人(=岡村)は一高を落ちて、翌年一高――だったような? それに対して、こちらでは語り手の「僕」は現役で一高、語られている「彼」は現役で一高を落ちて、翌年、六高(現在でいえば岡山大学)に合格している。「彼」には両親がおらず(お母さんは亡くなっていない)叔父さんの家に住んでいたのだけれど、中学(府立三中)を卒業後は、本郷の印刷屋の2階に間借りしていたらしい。一高の寮生になった「僕」はそこに遊びに行ったり…。浪人中は(「浪人」という言葉は本文には見られない)マルクスやエンゲルスなどの社会科学の本を読んだり――時代はまだ明治かな、受験勉強に関してはけっこうのんびりしていたのかもしれない。読んでいて個人的には、「彼」が亡くなったさいの話が印象的だった。六高に入学した「彼」は、半年くらいして病気になって、東京の叔父さんの家に戻ることに。その後、転地というか小田原の病院に。
<彼の死んだ知らせを聞いたのはちょうど翌年の旧正月だった。何でも後に聞いた話によれば病院の医者や看護婦たちは旧正月を祝うために夜更けまで歌留多会をつづけていた。彼はその騒ぎに眠られないのを怒り、ベッドの上に横たわったまま、おお声に彼らを叱りつけた、と同時に大喀血をし、すぐに死んだとか云うことだった。僕は黒い枠のついた一枚の葉書を眺めた時、悲しさよりもむしろはかなさを感じた。>(p.125)
まだ20歳にもなっていなかったのかな? 女を知っていたかどうかみたいなことも書かれているけれど、それはともかく。それほど不遇とか不条理とか、理不尽みたいな感じで描かれているわけでもないけれど、なんていうか、…毎度のこと、うまい言葉が見つからないな(涙)。そういえば、芥川龍之介の人の死の描き方って、個人的にちょっと怖く(?)感じるものが多いかな(「地獄変」とか)。
受験生がらみの作品としては、ほかに「お律と子等と」というものもある(いま手もとにあるのは角川文庫『杜子春・南京の基督』)。途中までの視点人物(=洋一)は、中学を卒業していて、1ヶ月後くらいに一高の入試を控えている受験生(当時の入試は7月)。本人は勉強机で(下女の少女・美津にあげる)歌を作ったりしていてけっこうのんきな感じだけれど、病気で寝ているお母さんはやっぱり息子の受験のことを心配していたり…。あと、「手紙」という作品には(あらすじは措いておいて)次のような箇所がある(手もとにあるのは上記の全集本)。
<しかしいつか読んだ新聞記事によれば、この奥さんはM子さんやM子さんの兄さんを産んだ人ではないはずです。M子さんの兄さんはどこかの入学試験に落第したためにお父さんのピストルで自殺しました。(略)>(pp.337-8)
何の学校の「入学試験」かわからないけれど。本文の最後には<(昭和二年六月七日)>とある。
坂上弘「野菜売りの声」
いま手もとにあるのは、“筑摩現代文学大系”の第94巻(1977)。初出は『文芸』1969年2月号らしい(関係ないけれど、庄司薫「赤頭巾ちゃん気をつけて」の初出は『中央公論』同年5月号らしい)。微妙…というか、なんだろう、いまいちピンと来ない小説でした(ま、ピンと来ないのは最近、何を読んでもそんな感じだけれど)。舞台は東京、この春から大学生の信一は、母親に対して複雑な思いを抱いていたり(そんなに束縛系のお母さんではない感じだけれど)、また、喫茶店のウェイトレスで東北地方出身の美代子と付き合ったりもしている。ネタバレしてしまうけれど、“童貞喪失小説”、あるいは一応“妊娠小説”でもあったりする。回想部分というかで、今年の1月、高校の1年先輩で浪人中のNが訪ねてきて、お金を借り、さらに話をしているときに(まだ経験のない信一に)いい旅館を紹介してくれたりもする。Nはお坊っちゃんというか、家は麻布にある。浪人生活の始めのころにノイローゼで入院していたらしい(受験ノイローゼで「電気衝撃療法」? …本当に?)。浪人中、受験勉強とは関係なく(?)アテネ・フランセに通っていたようだ。作中年はいつだろう? 例によって歴史オンチな自分…。本の後ろに付いている年譜によれば、作者が大学生(慶応)になったのは、1954年であるようだ。そんなに昔な感じもしないよな、初出年(=1969年)の近く?
丸岡明「街の灯」
手もとにあるのは、集英社“日本文学全集”の第73巻(1969)。後ろの「年表」を見ると、この一篇の初出は『群像』1964年3月(号?)であるらしい。記憶というか(そのソースになっている)時間がわりと行ったり来たりしている小説で、個人的には頭の中で時系列(出来事が起こった順)に整理できなかったりして――ま、もう諦めます(汗)。10年近く前から家を建てて暮らしている今の場所、の近くに、その昔(戦前)わずかの間、住んでいたことがある、と「彼」がふと思い出したのは、すでに2年前のことで――。旧制中学を卒業したころ「彼」は、弟の家庭教師をしていた大学生・田所五郎(高文試験の勉強中)と3ヶ月くらい(だっけ?)の間、小さな家を借りて同居していたことがある。その前にも実家を出てその田所と一緒に暮らしていたことがあって――もう細かいことはいいや(涙)。田所には生島浩という大学の同級生(甲府出身)がいて――だからそういう細かいことはいいってば!(汗)。本の後ろの「年表」によれば、作者は(10年ほど前の)1954年に新宿区の下落合に転居している。同年表によれば、中学を卒業したのは、大正14年(1925年)。引用しておけば、
<三月、暁星中学を卒業。卒業後、暁星の夜学、外語の夜学、アテネ・フランセなどに通った。このころ、フランス語に熱中。>
とのこと(この「年表」では翌年の大正15年/昭和元年=1926年が飛ばされていて、次は昭和2年=1927年になっているから、↑の記述は2年分のこと?)。
村田喜代子「鍋の中」
手もとにあるのは、同名の文庫本(文春文庫、1990)。4篇中の1篇目。初出は『文學界』1987年5月号らしい。芥川賞の受賞作、これまたどこが面白いのやらピンと来なくて…(涙)。高地にあるおばあさんの家に、両親たちがハワイに旅行中で、学校が夏休み中の孫たち――高校2年の「わたし」(たみちゃん、17歳)、中学生の弟・信次郎、いとこで大学生の縦男(19歳)、同じくいとこで「わたし」と同学年のみな子の4人――が集まっている。この小説も“記憶”がポイントの1つになっていたりするのだけれど、それはともかく。ずっと積ん読状態だったこの文庫本を読んだきっかけは、といえば、この前(というのは、すでに2,3ヶ月も前の話だけれど)、千野帽子「町子さんからたみちゃんへの花束。 尾崎翠と村田喜代子、そしてわが懺悔」(『KAWADE道の手帖 尾崎翠 モダンガアルの偏愛』河出書房新社、2009)という文章を読んだからで。でも、村田喜代子本人が何を語っているのか私は知らないけれど、『第七官界彷徨』(単行本は1933年)などの尾崎作品とこの「鍋の中」は、どこがどうとか具体的に説明されても、個人的にはぜんぜん似ていないとしか思えなくて…(うーん…)。そう、縦男が弾いているのは、佐田三五郎のようなピアノではなくてオルガンなんだよね、それも元小学校教師のおばあさんが使っていた…。三五郎よりも、田山花袋『田舎教師』に出てくる林清三(一応、音楽学校を受験する)を思い出しちゃうな。夏の時点で19歳の大学生・縦男くんは、大学に入るのに浪人はしていないのかな? きょうだいの名前を12人挙げることができたおばあさんに対して、<「きっとおばあさんは大学だって一回で入れたでしょうね」>(p.42)と口にしているから、1回で入れていない=1年浪人している可能性もある。ちなみに(下落合と上落合はぜんぜん違うらしいけれど)、尾崎翠が上落合に住み始めたのは、1927年(昭和2年)かららしい。
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