新潮社、2011。連作短篇集で、いちおう4作収録されている(アンソロジー本に収録されていた2篇目は既読で、残りの3篇を読んだ)。おなじみの(?)御手洗潔が出てくるので、シリーズものの1冊でもある。――なんていうか小説としてすごく“うまい”と思う。小説を書かない人間が口にしてはいけない言葉かもしれないけれど、そう思ってしまう。…それはそれとして、冒頭、

 <ぼくの名前はサトル。>(p.7)

久しぶりに「おっす、オラ悟空」みたいな始まりの小説を読んだよ(汗)。いや、笑いどころではないんだろうけれど。浪人生なのに(ライトノベルではないのに)高校生のときの話をされてもなぁ…。でも、この「ぼく」は、1篇目で御手洗さん(京大医学部の学生)に自らの話を語ることで、作中において聞き手(narratee)としての資格を得ているのかな? 御手洗さんも、海外で直接体験したことだけでなく、人から聞いた話も長々と語っている(本当にそんなに詳しく語られたのか?)。3篇目は、根に毒をもつ花・彼岸花、4篇目は出自などから狂った花であるソメイヨシノ…。たしかにどちらも香りを楽しむ花ではないよね。1969年は元東大志望・語る薫くんなのに対して、5年後の1974年は京大志望・語られるサトル(悟?)くん。――こじつけはよくないか(汗)。個人的には現実逃避したい昨今だけれど、海外で完結している話よりも、ここ日本と繋がっている話が多い(あ、「日本」には定義が必要)。関係ないけれど、けっこう早めに喫茶店が関係なくなってない?(ハライチの突っ込みみたいだな(汗))。

地元ばなしも少し。S県ではなくて隣のG県。家から10キロくらいのところかな(「世界」どころか、半径10キロくらいの話)、道路沿いのゆるい斜面にそれほど大きくない長方形の田んぼが何枚か並んでいる場所があって。田んぼどうしのそれぞれの間にある細長い土手に、秋のそれくらいの季節になると、彼岸花がきれいに(びっしりではないけれど、離れたところから見ると一列にそろって)咲いているところがあって。意外と人工美? 毎年、その赤い花を見るとちょっと不思議な気分(毒々しい気分?)になってくる。うちの家の近くの田畑やその周辺にはなぜかあまり群生していなくて。場所を選ぶというか、そういうもんなのかな。

[追記]文庫は『御手洗潔と進々堂珈琲』(新潮文庫nex、2015.2)。

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振り返ってみれば、2011年上半期(1月~6月)のキーワードは、このブログ的には、なんとなく「京都」や「京都大学」だったかもしれない。まず、2月だっけ?(個人的にはなぜか最初からぜんぜん興味関心が持てなかったけれど)京大の入学試験でカンニング事件が発生。報道によれば、逮捕された(のちに不起訴処分になった)のは、仙台の予備校に通っていた浪人生とのこと。“浪人生が出てくる小説”としては――3月11日の地震発生以降、個人的には(主に精神的に、少し物理的にも)小説どころではなかったけれど――、

  鴻上尚史『八月の犬は二度吠える』(講談社)
  島田荘司『進々堂世界一周 追憶のカシュガル』(新潮社)

という2冊くらいしか見つけられなかった。『八月の~』の主人公は1978年、京大志望ではないけれど、寮に入って京都の予備校に通っている。『進々堂~』の主人公(というか)は1974年、京大志望で、下宿して京都の予備校に通っている。そういえば『八月の~』にも桜が出てきていたっけな。あ、思い出した(毎度のこと、書いているとあれこれ思い出してくる)、『進々堂~』とはクローンつながり(?)2011年上半期“浪人生小説”のマイ・ベスト1は、

  川上弘美「一実ちゃんのこと」(『天頂より少し下って』小学館)

にしておきたい。理由は、たんに好きだから(汗)。もともとアンソロジー本(『Teen Age』双葉社、2004→双葉文庫)に収録されていたもので、“2011年産”とは言えないかもしれないけれど。ほかには、小説ではないけれど、『文藝』2011年夏号(河出書房新社)が京大卒の作家・森見登美彦(1979年早生まれ、奈良県生まれ)を特集していて、1ページだけだけれど、浪人時代の日記(1997年)も公開されている(p.18)。というか、森見登美彦って浪人していたんだ、知らなかった。そう、いつだっけ、鼎談番組『ボクらの時代』(フジテレビ)の「湊かなえ×有川浩×万城目学」の回を見ていたら、京大卒・万城目学が阪神淡路大震災(1995年1月)のとき、予備校生だったと口にしていて。この人も浪人していたのか、知らんかったです。1976年の…早生まれか。1994年に浪人に? 時期的には、『花束』(朝日新聞社)の木村紅美と同じかもしれない(『すばる』か何かで書いていた気がする、東京の予備校の寮に入って1浪)。

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ついでに昔の話も。山本禾太郎『小笛事件』(単行本は昭和11年=1936年、いま手もとにあるのは『日本探偵小説全集11 名作集1』創元推理文庫、1996)という小説(ノンフィクション・ノヴェル)には次のような箇所がある。

 <「南側の二階には当時××高等予備校に通っていた学生が下宿して居りましたが、名前は忘れました。北側の二階は平松方に兇変のあった前々日から、××に勤めて居られる××と云う方が下宿して来られました」/「昨年六月二十七日の晩、平松小笛方から何か異様なもの[手前2字傍点]音を聞かなかったか」/(略)>(p.322。[括弧]は引用者注、以下同じ)
 <「その当時の刑事さんが来られて調べられましたが、小笛方の見える部屋に居た学生さんは少しも気づかなかったと云って居り、前々日下宿して来られた方は、(略)」>(pp.322-3)

現場近くの下宿屋の主人が法廷に呼ばれている。「昨年」というのは大正15年(1926年)のこと。伏字でよくわからないけれど、「高等」って付いているし、この「学生さん」は、旧制高校浪人ではないかと思う(まだ中学生なら中学生と言うだろうし)。事件解決になんの役にも立たなかった浪人生。しかも、大家さんには名前を忘れられているし(涙)。

えーと、4年後(1926年→1930年)の話か、富士正晴「同人雑誌四十年」というエッセイ(いま手許にあるのは<ちくま日本文学全集>の富士正晴の巻、1993)に、中学卒業後の浪人中について書かれた次のような箇所がある。

 <平壌時代に平壌中学の英語教師として面識のあった当時、三高教授であった須貝清一という人のことを思い出して父か母が相談に行き、その秋からわたしは須貝清一監督のもとに京都の関西予備校へ通う。年末まで行っただけだが、ここで学力がついたような気がする。(略)/(略)/翌年、一月より三月まで家へかえって不眠(神経衰弱)になやまされ、受験勉強はほったらかしにしていたが、三高の受験には成功し、理科甲類に入った。医者になれというわけである。それは昭和六年(一九三一)、数え年十九歳であった。(略)>(pp.334-5)

最初のへん「当時」の手前に点があったほうがわかりやすい。あと、お父さんもお母さんも小学校の先生で、以前、一家で平壌にいたことがある。その後、神戸に引っ越している(「家へかえって」の「家」は神戸の)。少し前に(というかけっこう前かな)江利川春雄『受験英語と日本人 入試問題と参考書からみる英語学習史』(研究社、2011)という本を読んでいたら、↑の須貝という人について少し書かれていて(pp.169-70)、広島ゆかりの人なのかな?(よくわからない)。で、“カンニング”ではないけれど、三高の先生のもとで三高受験生が勉強をしていていいのか? みたいな疑問はわいてくる。…ま、でも、それくらいなら現在でもあるか、芸大受験生が芸大の教授が開いている画塾(あるいはピアノ・レッスン等)に通っているとか。

同じエッセイによれば、富士氏は三高入学後、体調を崩して(そんな生易しいものではないか)京大付属病院に入院して手術したりしているのだけれど、そのとき中学校の同級生の2人が別々にお見舞いに来てくれたそうで、うち1人について、

 <(略)彼はチェホフ論を中学時代にすでに書いているような人物であり、大阪外語に通ったのに、やはり高等学校を受け直すのだと、チャート式で有名な星野の予備校(京都にあった)に大学生の兄と一緒に下宿して通っていた。>(p.337)

と書かれている。いまでいえば東大を諦めて東外大、みたいな感じ(?)で、この「大阪外語」(通っていたのは庄野潤三に小峰元、あと司馬遼太郎もそうらしい)は、いわゆる“滑り止め”としてちょうどいい学校だったのかな?(よくわからんです)。

だいぶ時代を下って(それほどでもないか)、山田稔「ローラ、どこにいる」(手もとにあるのは『特別な一日 読書漫録』平凡社ライブラリー、1999)というエッセイには、次のような箇所がある。

 <移って来た当時[=1942年(昭和17年)]、わが家の北どなりには平安高等予備校というのが建っていた。その筋向かいの万里小路の角にはチャート式で有名だった数学研究社(俗称「数研」)の建物もあって、いまから思えば予備校の街に私は移り住んだことになる。戦争中に平安予備校は取り壊され(強制疎開か)、また「数研」の方は軍に徴用され、パラシュート工場になって女子工員が働いていた。(略)>(p.37)
 <十分理解しえぬままに、こっそりとこれらの[英文学の]本を買い求めてひとりたのしんでいた報いとして(いや、それだけが原因ではあるまいが)、私は三高の入試を二度しくじった(まことに予備校街の住人にふさわしい運命である)。そして突然の学制改革のあおりをくらって、新制高校三年に編入された。>(pp.50-1)

「街」と言っているわりには数が少ないよね? 「数学研究社」というのは出版社ではなくて予備校なのか…。そこで「チャート式」の星野華水が教えていたの?(わからんです)。そんなことよりも戦争中、予備校も大変だったんだね…。「二度しくじった」というのは……年譜みたいに書いたほうがわかりやすいか、

 1946年度 旧制中学4年 旧制三高不合格。
 1947年度 旧制中学5年 旧制三高不合格。
 1948年度 新制高校3年 新制京大(文学部)合格。
 1949年度 新制大学1回生

こんな感じかな。この人の場合、2度(2年)不合格になっていても、経歴上は「浪人」していないことになる。でも、もし最後の旧制高校の受験(1948年3月?)で合格していたとしても(小松左京や高橋和巳、あるいは岡松和夫のように)翌年、新制大学を受け直さないといけないからね。

[追記]京都&浪人がらみ、少し足しておきます。
 阿部牧郎(1933年生まれ)……1952年、京大不合格。京都で下宿して予備校に。その後、秋田に帰郷。翌年、京大合格。
 倉橋由美子(1935年生まれ)……1954年、大学受験に失敗。京都女子大学に籍をおく。9月から予備校に。翌年、国立・公立大学の医学部を受験し、失敗。日本女子衛生短期大学別科・歯科衛生士コースに入学(上京)。
 野呂邦暢(1937年生まれ)……1956年、京都の大学(たぶん京大)不合格。家には予備校に通っていると嘘をつき、京都に居続ける(古本屋をめぐったり映画を観たりなど)。3ヶ月後、父親が事業に失敗し、体調を崩して入院。郷里(長崎)に呼び戻される。
 

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