GA文庫、2007。※以下、ネタバレしているといえばけっこうしているので注意です、毎度すみません。『ガンダム』&『ガンバ』、そして洋楽あれこれ…。<「あのなあ、趣味なんてのは同じ趣味の相手になら言っても聞いても面白いけど、(以下略)」>(p.24)――そうなんだよ、ガンバは少々わかるけれど、ガンダムと洋楽(というか音楽ほとんど全般)がさっぱりわからんのです、私は(涙)。『クレイジーカンガルーの夏』(GA文庫、2006)と同じ1979年、阪神間のT市が主な舞台となっている小説。『~夏』では中学1年の須田広樹(すだ・こうき)が主人公だったのに対して、こちらでは同じ中学同じ学年で別のクラス・菅野晴(かんの・はる)が主人公。「秋」になってもう夏休みがあけているので、学校での場面がだいぶ増量されている。晴は、1年2組の消極的な学級委員で(もう1人の学級委員は、広樹のいとこ・冽史=きよふみ)合唱部に所属、頭の中で繰り返す口癖は<バッカみたい>。で、前半の盛りあがりどころはたぶん、学年無差別なクラス対抗・合唱コンクール。――読んでいて“懐かしい”というより、むしろいま風だな、とは思ったけれど。あ、1979年がどれくらい再現できているのか、私には年齢的にわからない。そう、自分も中学生のときに経験があるけれど、合唱コンクールって(まとまり具合も含めて)そのクラスのカラーがかなり出ちゃうよね。

あと、以前にも書いた気がするけれど、3人称1視点の長篇小説って、読んでいてけっこう飽きてくる(うーん…)。1人称(例えば「私」)にしてしまうと、語彙が中1レベルに制限されたりするから、しかたがないのかもしれないけれど。というか、この小説では、中学1年生たちが描かれているだけでなくて、半分くらいは教師たち――特に担任教師のイカサマ(=原田、教科は英語)が描かれている(ので、たぶんしかたがない)。私がたんに教師嫌いっぽいところがあるので、そう思うのかもしれないけれど、最後のほう、晴が原田のアパートを訪ねて原田があれこれ言うあたりで、思わず、あー、つまらない小説だったな、とか思ってしまって(汗)。全体的にそれほどつまらなかったわけではないけれど。うーん…。子どもは大人になれるけれど、大人は子どもになれないからね(意味不明か)。生徒がどこまでも教師の掌の上で転がされているのも、ま、しかたがないのかも。そう、『~夏』では中1主人公たちと親たち&親戚たち(要するに大人たち)の間にお兄ちゃん(=優樹、高3・受験生)がいたけれど、こちら=『~秋』では(原田シンパの)中学3年先輩たちが間に挟まっている。子どもは急には大人にはなれない?

でも、自分は中学1年のときに、こんなに周囲の人やものを言葉で捉えていたっけな…。いまいち思い出せないけれど、やっぱりもっとずっとぼんやりしている部分もあったと思う。――まぁそれはともかく。えーと、どうでもいいことだけれど、どこだっけ…、あ、ここか。<目的格>(p.234、会話内)というのは「目的語」と言ったほうがいいな。あと、原田先生の授業にはそれほど違和感がなかったけれど、合唱コンクールの場面で書かれているBilly Joelの『PIANO MAN』の日本語訳(訳詞)がちょっと駄目っぽい気がする(pp.170-2)。

  It’s nine o’clock on a Saturday
  土曜日の午後九時
  The regular crowd shuffles in
  いつもの連中が席でごそごそしている

開店してお客が入ってくるってことでしょう? なんだ、「席でごそごそ」って(涙)。shuffleを英和辞典で引いてみると、例として<~ out of a room 足をひきずって部屋を出る>というのが載っている(『リーダーズ英和辞典』第2版)。だから<shuffle(s) in>で、「足をひきずって入ってくる」だよ、たぶん。歌詞がぜんぶ載っているわけではないので、よくわからないけれど、さらに、

  He says, bill, I believe this is killing me
  彼は言った、「ビル、俺は酒に殺されるって信じてるよ」
  As the smile ran away from his face
  その微笑みは、彼の顔から逃げていくようだ
  “Well,I’m sure that I could be a movie star
 「そう、俺は映画スターにだってなれたろうさ
  If I could get out of this place
  ここから出て行くことさえできたらな」

1979年までに出ていたレコードに付いていた歌詞カードそのままの訳なのかな、これは? これを訳した人、時制も仮定法もよくわかっていない感じが…。特にひどいのは接続詞asの訳かな。せめて「~ようだ」ではなくて「~ように」と訳してほしい。でも、ここでは“様態”(様子)ではなくて、たぶん“時間”の意味(“理由”ではないよね?)。私にもよくわからないけれど(人のことは言えないな(涙))「顔からさっと笑みを消しながら」「ほほ笑むのをやめて」くらいの訳でいいのでは?(あ、それだとranが過去形になっているのが訳せていないか)。あと、最初のbillがよくわからないな。人の名前(呼びかけ)みたいに訳されているけれど、小文字で始まっているよ?(でも、歌っているのがBillyだから、Billでいいのか)。というか、やっぱり少しくらい洋楽も聴かないとダメだな、考えてみたら自分、生まれてこのかた英語の歌詞カードをほとんど見たことがない。(あ、ほかにも、英語の歌詞ではないけれど、『ライ麦畑でつかまえて』の最後が間違っている。H(p.318)ではなくてE。「ライ麦」は「RYH」ではなくて「RYE」。というか、ぜんぶ大文字で書くのはやめてほしい(涙)。)

やっと本日の本題。数学の大木先生(あだ名は「ノロイ」)の下の息子が浪人中らしい(pp.228-9)。それはともかく(かなりネタバレしてしまうけれど)小説の最後、おまけ(?)として、7年後(=1986年)の話があって、それは、中1のときの某クラスメイトからの晴への手紙(書簡体というか)になっている。送り主は現在2浪目らしい。あと、たまたま会った別のクラスメイトから聞いた話として、もう1人――引用したほうがいいか、人の名前と予備校の名前は伏字にしておくけれど、

 <それが、奴に訊いてびびったんだけど、××、××××、あいつも難関狙ったせいで浪人しただろ? お前知ってた? その後、××××で男ができて駆け落ちしたって言うんだ。/(略)今年になってあいつ男と別れて家帰って、も一度法学部目指してまた予備校に通ってるって言うんだよ。(略)>(p.324)

最初の「××」は下の名前、次の「××××」はフルネーム(わかりにくくて申しわけない、要するに1人です)。予備校の「××××」は、たぶん神戸(の三宮)ではなくて、大阪のほう。大阪のほうが近いようだから。というか、私にはぜんぜん土地鑑がなくて、読んだことがないけれど、有川浩『阪急電車』(幻冬舎文庫?)が読みたくなってくる(汗)。そう、2浪目のいまも、前年と同じ予備校に通っているのかな、この人?(同じところには通いづらいか)。それはともかく、個人的には“中学生思春期小説”や“中学校教師お悩み小説”よりも、こちらの“予備校生駆け落ちストーリー”のほうが読みたかったな。

~・~・~・~・~・~・~・~・~
以下、上の小説とは関係のない話。作家の島尾敏雄(1917年生まれ、1浪→長崎高商)は、浪人中の1935年(昭和10年)、秋から「大阪青年会高等予備校」というところに通っていたらしい。で、いまだによくわからないのだけれど、その予備校は、ベストセラー作家・東野圭吾(1958年早生まれ、1浪→大阪府立大)が通っていたという、次の予備校と同じところなのかな?

 <大学受験に失敗した後、僕が通うことになったのは、レベルの高さでは大阪でも屈指の予備校だった。ある団体の傘下に属していたのだが、その団体というのはアメリカで発売禁止になったビレッジ・ピープルの歌で有名である。日本語の歌詞をつけ、西城秀樹が歌って大ヒットしたといえば、まあ大抵のひとならわかるだろう。>

エッセイ集『あの頃ぼくらはアホでした』(集英社文庫、p.183)より。TVドラマ『寺内貫太郎一家』では浪人生だった西城秀樹……。それはともかく、郷ひろみは『ムー一族』で……それもいま措いておいて。たぶん同じ学校ではないかと思う、「青年」のへんが「ヤングマン」っぽいもんね(ちょっとテキトー(汗))。

東野圭吾が浪人していた1976年、の10年前、『むさしキャンパス記』(徳間文庫、単行本は1979年に角川書店から)によれば、1966年(昭和41年)、かんべむさしは高校を卒業して関学(関西学院大学)に入学している(現役で)。当時、新しい環境になじむまで――新しい友人ができたりするまで、高校の同級生たちと<郵送巡回させるノート>(p.34)を作っていたという。<その現物がいま手元にあるので、少し書き写すことにしよう。>(同頁)といって、書き出されているのだけれど、最初が浪人中の人のもの。貴重な(?)リアル浪人生の手記なので、まるごと引用させてもらうと(著作権はだいじょうぶかな)、…これもいちおう伏字にしておくか(もうあまり意味がないけれど(汗))、

 <「まずまず元気である。××××の予備校に通っているが、初めての電車通学なので、実は少々バテ気味だ。七時四十三分のに乗っているのだからな。皆に一度会いたいと思うので、それぞれ都合のいい日時を教えてくれ」>(同頁)

とのこと。でも、こういう“交換ノート”があれば、大学生にとっても浪人生にとっても、いわゆる五月病の対策、予防になりそうだよね。大学新入生や浪人生は、真似できれば真似してみてもいいかもしれない。あ、高校のとき、仲良しグループみたいなもの(最低でも3人以上?)を形成していないとできないか。というかいまインターネットな時代だし、郵送というのが…。(ちなみに、堀勝治『青春の彷徨』(角川文庫)という本を、私は持っているのだけれど、うーん…、最初のあたりは“リアル浪人生の手記”@大阪だし、この人も1浪して結局、関学に入学している(1968年入学だから、かんべ氏の2学年下かな)けれど、高野悦子『二十歳の原点』(新潮文庫)にしても、“遺稿集”というのはどうも触れにくくて…。遺稿集って、著者に共感して読む以外の読み方をしてはいけないような気がして。とりあえずまた別の機会にしたい。あ、宮本輝の小説「星々の悲しみ」(同名書所収、単行本は1981年に文藝春秋から)は、1965年、主人公が大阪・梅田の予備校に通っている。というかすぐに通わなくなっている。)

大阪ではなくて、神戸××××予備校(××××予備校神戸校)には、中島らも(1952年生まれ、1浪→大阪芸大)が通っている。というか、(こちらも)ありがちな話、ほとんど通わなかったらしいけれど。1971年か。参考文献は『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町[増補版]』(朝日文庫)。
 

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