・葛西善蔵「子をつれて」
手もとにあるのは、講談社文芸文庫『哀しき父・椎の若葉』(1994)。初出は本文の最後に書いてあって、<大正七年三月「早稲田文学」>とのこと。面白かったというより、考えさせられる感じだったかな。貧乏についてとか、人の性格(?)の変わらなさ、変えられなさについてとか。――家賃を滞納していていますぐにでも出て行くように迫られている「彼」(=小田)と2人の子ども。金策のために子どもを1人連れて実家に戻っている奥さんからは、いまだ音沙汰なし。作家仲間のKはいい人(?)だけれど、そのほかの仲間からは、生活費を稼ごうとせず、お金を借りてばかりいる「彼」は、けっこう疎まれている(“山本山鉄アレイ事件”エピソードがけっこうリアル…。相手に明らかに非があると、その人に対して何でもできてしまう人ってけっこういるよね…、うーん…。人権問題? …違うか(汗))。安く住める引っ越し先を探してうろうろしていた「彼」は、警官に呼び止められる。無視して通り過ぎようとしたら、なんと昔の知り合い。
<警官――横井と彼とは十年程前神田の受験準備の学校で知り合ったのであった。横井はその時分医学専門の入学準備をしていたのだが、その時分下宿へ怪しげな女なぞ引張り込んだりしていたが、それから間もなく警察へ入ったのらしかった。>(p.70)
浪人中…と言ってもいいのかわからないけれど、少なくとも2人は当時「受験生」…とは言っても大丈夫かもしれない。作中年がわからないけれど、大正7年(1918年)くらいだとすると、10年前は、明治41年(1908年)くらい? …あいかわらず私には昔の学校制度がよくわからんです(「医学専門」はいまでいえば大学医学部?)。主人公のほうは、何の(どこの)学校を受験するために、そこに通っていたんだろう?(書かれていない)。「彼」というか小田さん、あとでダメモトでその横井にお金を借りに行くのだけれど、やっぱり貸してくれない(涙)。ま、当たり前か。それにしても、子どもは無邪気でいいよね、ファミレス(じゃないけれど)で、お父ちゃんエビフライ食べていい? とか(汗)。食べ終われば外に出て走り回っているし。何か嫌なことがあれば、とりあえず泣けばいいんだし。
・宇野浩二「枯木のある風景」
手もとにあるのは『百年文庫97 惜』(ポプラ社、2011.10)。3篇中の1篇目。初出は別の本によると、『改造』昭和8年(1933年)1月号らしい。これも、どこがどうとかうまく言えないけれど(それは毎度のことか(涙))、読んでいる間、意外と面白かったです。――雪が降ったので「研究所」をずる休みして奈良へ写生旅行に出かける島木新吉。その研究所(「浪華(なにわ)洋画研究所」)は、島木が仲の良い古泉圭造と、共通の友人の2人=矢田弥作&入井市造を加えて始めたもの。…意味があるのかないのか、名前が4人とも頭韻(しまき・しんきち、など)になっている(汗)。島木は、雪景色を描いたりしている間、古泉のことをあれこれ思い出したり…。2人が最初に知り合ったのは、
<島木がはじめて古泉を見たのは、二十二三年前、中学を出て上京し、美術学校の入学試験を受ける準備に、一年間白馬会洋画研究所にはいっていた時のことであった。自分とおなじような大阪ぼんち風の書生がいつも教室の隅の方で黙黙と素描をやっていた、その素描が他のどの生徒よりも図抜けていた、殆んど誰とも話をしているのを見かけなかった、既に美術学校の日本画科にはいっていたのだが、改めて洋画科にはいるために洋画の素描の稽古に来ている、――など、ことごとく一風かわっていたことで、言葉をかわす機会はなかったが、その時はじめて島木は古泉の存在を知ったのであった。>(pp.9-10)
とのこと。島木のほうは当時、浪人生…とは言えないか(わからない)。明らかに“過年度卒業生”ではある。古泉のほうは、いま風にいえば再受験? 2人とも翌年にはちゃんと美術学校に受かっているようだから、おめでたいというか、恵まれているというか。これも作中年がわからないけれど、初出=昭和8年(1933年)くらいであるとすれば、22, 3年前というのは、えーと…、明治43, 4年(1910, 1年)くらいかな。
・州之内徹「赤まんま忌」
手もとにあるのは、上と同じ本『惜』。その3篇目。後ろの「人と作品」などによれば、『絵のなかの散歩』(新潮社、1973)の最初に収録されているそうだ。――5年前(の9月1日)のこと、大学生の三男(19歳)がオートバイの事故で亡くなってしまう。大学は東京だけれど、帰省中というかでまだ京都に。お父さん=「私」は単身、東京で画廊を経営している。――久しぶりにこういう小説を読んだかな…、息子(まだ若い)の突然の死をどう受け容れるか、受け容れればいいのかみたいな話――という安っぽいまとめはよくないか。――三男が亡くなったとき、たまたま長男も入院していたらしい(バイクはこの長男のもの、三男は無免許運転)。長男は京都に戻ってガソリンスタンドで働いていたらしいけれど、それ以前は、
<三人の息子たちのうち、長男だけが大学に行っていない。三度目の入試の前日、夜中に、寝ていてガスストーブを蹴とばしてガス中毒を起し、試験が受けられなくなり、厭気がさして、自分で浅草のほうの自動車修理工場に職を見つけて、(略)>(p.100)
とのこと。ストーブを蹴っ飛ばす、それも試験の前日……って、もう受験じたいが鬱陶しくなっちゃったのかな?(自殺未遂に近い?)。とりあえず火事にならなくてよかったよね。息子たちは高校を卒業すると、順次、東京のお父さんのアパートの隣の部屋を借りて、予備校に通っていたりしたらしい。(長男が浪人していたのは、5年前…ではなくてもっと前の話か、1960年代? 京都であれば昔から予備校はたくさんあっただろうけれど、3兄弟とも東京に出たかったのかな?)
・森内俊雄「七夕さん」
『桜桃』(新潮社、1994)所収、9ページほどの掌篇小説(23篇中の7篇目)。ある古本屋(あまりちゃんとしたところではなくて、半分以上コミックとかゲームとかDVDとか)に寄ったら、この作者の本が安く4冊売っていたので、2冊買ってみた(もう1冊は『風船ガムの少女』)。…それはともかく、ひと言でいえば“大学生失恋小説”かな。なんていうか読んでいていまいちピンと来なかったです、つまらなくはなかったけれど、“普通”に感じる。内容は、短いから私が説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うけれど、えーと、加納英樹は東京を離れて、祖父母の暮らす母親の実家からすぐ近くにある大学(国立の工学部)に通う。その地方都市には、海に流れ込む川(大川)や山があったりする。毎年夏に4日間行なわれる盆踊りがあって、その関係で英樹は、3つ歳上で銀行に勤める高桐珠美と知り合う――。あと、微妙に“乗り物小説”でもあるかな。自動車は中古フェローマックス(大学1年)→中古というかお古のミラージュ(大学2年)、バイクはハスラー(高校)→CBR(大学2年)。お金は、新聞配達そのほかアルバイトをしたり、祖母から出してもらったり。――浪人時代(1浪)のときの話がちょっと面白い。
<彼は高校三年時代、ラジオで数学講座を聞いて勉強したが、浪人になって、数学と物理を勉強するために予備校へ通った。このときの数学の講師が、ラジオ講座時代の先生だった。この先生は、ラジオ講座のほかに、東京都内の方々の予備校で教えていた。英樹は分からないことが出てくると、バイクに乗って、この先生をあちこちに追いまわして、教えを乞うた。めでたく合格したので、お礼と報告に訪ねて行くと、寿司屋に連れて行ってくれて、ご馳走になった上、英文の数学パズルを贈ってくれた。一年間、バイクで尾けまわされて、印象が深かったのだろう。ハスラーは英樹の勉強、すなわち東京脱出に役立った。>(p.63)
東京であれば、人気講師はあちこち掛け持ちできたり、浪人生もあちこち質問しに行けたり…? でも、東京ならバイクではなくても、電車で移動すればいいんじゃないのか? 予備校ってたいてい駅から歩いていける場所にあるでしょ?(そういう問題ではないか)。そう、いまでも複数の予備校でひっぱりだこの人気講師はたくさんいるかもしれないけれど、もうラジオ講座じたいがないもんね(私が高校生のときにはまだO社のがあったけれど)。ま、代わりにインターネットとか携帯電話とかがあるか。最後のへんで、英樹くんは、大学を卒業して6年、28歳と書かれているので――そう、その前に初出は『新潮』の1992年(の6月号?)らしいので、えーと…、10年くらい引いておけばいいか(今回も必殺のざっくり計算(汗))、↑は1982年くらいの浪人生の話(たぶん)。
手もとにあるのは、講談社文芸文庫『哀しき父・椎の若葉』(1994)。初出は本文の最後に書いてあって、<大正七年三月「早稲田文学」>とのこと。面白かったというより、考えさせられる感じだったかな。貧乏についてとか、人の性格(?)の変わらなさ、変えられなさについてとか。――家賃を滞納していていますぐにでも出て行くように迫られている「彼」(=小田)と2人の子ども。金策のために子どもを1人連れて実家に戻っている奥さんからは、いまだ音沙汰なし。作家仲間のKはいい人(?)だけれど、そのほかの仲間からは、生活費を稼ごうとせず、お金を借りてばかりいる「彼」は、けっこう疎まれている(“山本山鉄アレイ事件”エピソードがけっこうリアル…。相手に明らかに非があると、その人に対して何でもできてしまう人ってけっこういるよね…、うーん…。人権問題? …違うか(汗))。安く住める引っ越し先を探してうろうろしていた「彼」は、警官に呼び止められる。無視して通り過ぎようとしたら、なんと昔の知り合い。
<警官――横井と彼とは十年程前神田の受験準備の学校で知り合ったのであった。横井はその時分医学専門の入学準備をしていたのだが、その時分下宿へ怪しげな女なぞ引張り込んだりしていたが、それから間もなく警察へ入ったのらしかった。>(p.70)
浪人中…と言ってもいいのかわからないけれど、少なくとも2人は当時「受験生」…とは言っても大丈夫かもしれない。作中年がわからないけれど、大正7年(1918年)くらいだとすると、10年前は、明治41年(1908年)くらい? …あいかわらず私には昔の学校制度がよくわからんです(「医学専門」はいまでいえば大学医学部?)。主人公のほうは、何の(どこの)学校を受験するために、そこに通っていたんだろう?(書かれていない)。「彼」というか小田さん、あとでダメモトでその横井にお金を借りに行くのだけれど、やっぱり貸してくれない(涙)。ま、当たり前か。それにしても、子どもは無邪気でいいよね、ファミレス(じゃないけれど)で、お父ちゃんエビフライ食べていい? とか(汗)。食べ終われば外に出て走り回っているし。何か嫌なことがあれば、とりあえず泣けばいいんだし。
・宇野浩二「枯木のある風景」
手もとにあるのは『百年文庫97 惜』(ポプラ社、2011.10)。3篇中の1篇目。初出は別の本によると、『改造』昭和8年(1933年)1月号らしい。これも、どこがどうとかうまく言えないけれど(それは毎度のことか(涙))、読んでいる間、意外と面白かったです。――雪が降ったので「研究所」をずる休みして奈良へ写生旅行に出かける島木新吉。その研究所(「浪華(なにわ)洋画研究所」)は、島木が仲の良い古泉圭造と、共通の友人の2人=矢田弥作&入井市造を加えて始めたもの。…意味があるのかないのか、名前が4人とも頭韻(しまき・しんきち、など)になっている(汗)。島木は、雪景色を描いたりしている間、古泉のことをあれこれ思い出したり…。2人が最初に知り合ったのは、
<島木がはじめて古泉を見たのは、二十二三年前、中学を出て上京し、美術学校の入学試験を受ける準備に、一年間白馬会洋画研究所にはいっていた時のことであった。自分とおなじような大阪ぼんち風の書生がいつも教室の隅の方で黙黙と素描をやっていた、その素描が他のどの生徒よりも図抜けていた、殆んど誰とも話をしているのを見かけなかった、既に美術学校の日本画科にはいっていたのだが、改めて洋画科にはいるために洋画の素描の稽古に来ている、――など、ことごとく一風かわっていたことで、言葉をかわす機会はなかったが、その時はじめて島木は古泉の存在を知ったのであった。>(pp.9-10)
とのこと。島木のほうは当時、浪人生…とは言えないか(わからない)。明らかに“過年度卒業生”ではある。古泉のほうは、いま風にいえば再受験? 2人とも翌年にはちゃんと美術学校に受かっているようだから、おめでたいというか、恵まれているというか。これも作中年がわからないけれど、初出=昭和8年(1933年)くらいであるとすれば、22, 3年前というのは、えーと…、明治43, 4年(1910, 1年)くらいかな。
・州之内徹「赤まんま忌」
手もとにあるのは、上と同じ本『惜』。その3篇目。後ろの「人と作品」などによれば、『絵のなかの散歩』(新潮社、1973)の最初に収録されているそうだ。――5年前(の9月1日)のこと、大学生の三男(19歳)がオートバイの事故で亡くなってしまう。大学は東京だけれど、帰省中というかでまだ京都に。お父さん=「私」は単身、東京で画廊を経営している。――久しぶりにこういう小説を読んだかな…、息子(まだ若い)の突然の死をどう受け容れるか、受け容れればいいのかみたいな話――という安っぽいまとめはよくないか。――三男が亡くなったとき、たまたま長男も入院していたらしい(バイクはこの長男のもの、三男は無免許運転)。長男は京都に戻ってガソリンスタンドで働いていたらしいけれど、それ以前は、
<三人の息子たちのうち、長男だけが大学に行っていない。三度目の入試の前日、夜中に、寝ていてガスストーブを蹴とばしてガス中毒を起し、試験が受けられなくなり、厭気がさして、自分で浅草のほうの自動車修理工場に職を見つけて、(略)>(p.100)
とのこと。ストーブを蹴っ飛ばす、それも試験の前日……って、もう受験じたいが鬱陶しくなっちゃったのかな?(自殺未遂に近い?)。とりあえず火事にならなくてよかったよね。息子たちは高校を卒業すると、順次、東京のお父さんのアパートの隣の部屋を借りて、予備校に通っていたりしたらしい。(長男が浪人していたのは、5年前…ではなくてもっと前の話か、1960年代? 京都であれば昔から予備校はたくさんあっただろうけれど、3兄弟とも東京に出たかったのかな?)
・森内俊雄「七夕さん」
『桜桃』(新潮社、1994)所収、9ページほどの掌篇小説(23篇中の7篇目)。ある古本屋(あまりちゃんとしたところではなくて、半分以上コミックとかゲームとかDVDとか)に寄ったら、この作者の本が安く4冊売っていたので、2冊買ってみた(もう1冊は『風船ガムの少女』)。…それはともかく、ひと言でいえば“大学生失恋小説”かな。なんていうか読んでいていまいちピンと来なかったです、つまらなくはなかったけれど、“普通”に感じる。内容は、短いから私が説明するよりも読んでもらったほうが早いと思うけれど、えーと、加納英樹は東京を離れて、祖父母の暮らす母親の実家からすぐ近くにある大学(国立の工学部)に通う。その地方都市には、海に流れ込む川(大川)や山があったりする。毎年夏に4日間行なわれる盆踊りがあって、その関係で英樹は、3つ歳上で銀行に勤める高桐珠美と知り合う――。あと、微妙に“乗り物小説”でもあるかな。自動車は中古フェローマックス(大学1年)→中古というかお古のミラージュ(大学2年)、バイクはハスラー(高校)→CBR(大学2年)。お金は、新聞配達そのほかアルバイトをしたり、祖母から出してもらったり。――浪人時代(1浪)のときの話がちょっと面白い。
<彼は高校三年時代、ラジオで数学講座を聞いて勉強したが、浪人になって、数学と物理を勉強するために予備校へ通った。このときの数学の講師が、ラジオ講座時代の先生だった。この先生は、ラジオ講座のほかに、東京都内の方々の予備校で教えていた。英樹は分からないことが出てくると、バイクに乗って、この先生をあちこちに追いまわして、教えを乞うた。めでたく合格したので、お礼と報告に訪ねて行くと、寿司屋に連れて行ってくれて、ご馳走になった上、英文の数学パズルを贈ってくれた。一年間、バイクで尾けまわされて、印象が深かったのだろう。ハスラーは英樹の勉強、すなわち東京脱出に役立った。>(p.63)
東京であれば、人気講師はあちこち掛け持ちできたり、浪人生もあちこち質問しに行けたり…? でも、東京ならバイクではなくても、電車で移動すればいいんじゃないのか? 予備校ってたいてい駅から歩いていける場所にあるでしょ?(そういう問題ではないか)。そう、いまでも複数の予備校でひっぱりだこの人気講師はたくさんいるかもしれないけれど、もうラジオ講座じたいがないもんね(私が高校生のときにはまだO社のがあったけれど)。ま、代わりにインターネットとか携帯電話とかがあるか。最後のへんで、英樹くんは、大学を卒業して6年、28歳と書かれているので――そう、その前に初出は『新潮』の1992年(の6月号?)らしいので、えーと…、10年くらい引いておけばいいか(今回も必殺のざっくり計算(汗))、↑は1982年くらいの浪人生の話(たぶん)。
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